EIKOの気まぐれ闘病日記 -120ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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 竜頭蛇尾の指示書 ③


 6月、7月と学会の実態調査を指示し、締め切りも延長したが、わずかしか報告が届いていない。

「このようなことではその実態をつかむにほど遠く、したがって有効な対策をたてるための資料としては極めて不十分である・・・・・10月7日までに本部に必着するようお願いしたい」。

 炭労は自ら言い出した直接対決を避けて、陰で学会攻撃を続けようとしていた。しかし総評に訴えようとした動きは結局、実らなかった。

 これら3通のの指示書は、「夕張大会の衝撃」を雄弁に物語っているといえよう。池田が指揮した「札幌大会」「夕張大会」の勢いと正論が、その後の炭労による弾圧を「竜頭蛇尾」に終わらせたのである。

 「夕張大会」のひと月後、戸田城聖を迎えて念願の夕張支部が結成された。合わせて、清水沢で興隆寺の落慶法要が行われた。

 ──その1年後。北海道炭労は、定期大会で一つの総括を発表した。

「賃金闘争、選挙闘争等を通じ学会の影響によって著しくその活動が阻害されるようなことはあり得なかった」(『資料・北海道労働運動史』)

 宗教活動と組合活動はそもそも対立するはずがない、という学会の主張を、炭労側が認めたのである。


 数年前、浅見久美子(札幌市、総区副婦人部長)は知人の口から出た予想外の一言に驚いた。

「あなたはまだ小さかったから知らないかもしれないけれど、池田さんは若い時、北海道ですごいことをやったんだよ。炭労と対決するために池田さんが夕張に来て、学会が勝ったんだ」。

 その知人はかつて、北海道のある労働組合で活動していた。今は穏やかな老紳士である。当時の新聞報道などをよく覚えているという。

 夕張は浅見の故郷である。炭労との闘いの歴史も、もちろん知っている。

「でも、その老紳士から『あの出来事があったから、その後、夕張と同じような問題が他の地域では起きなくなったんですよ』と聞いて、『夕張炭労事件』の意味を大きさをあらためて教わったような気がしました」。

 「夕張炭労事件」について、池田は次のように総括している。

「炭労の人々だけが悪かったのではない。正しき民衆観、人間観を、だれからも教えてもらっていなかったのです。ある意味で、犠牲者です」(『池田大作全集』第三十1巻)


ブログの読者の皆さん、いつもありがとうございますm(__)m

25日は精神科の診察日でした。
気分が先月より落ちていることや、入眠障害がひどくなったので、眠剤が増えました。(T-T)

そのせいか、昨日から身体がだるくて重くて、何も手につきません。(T-T)

急にに気温が下がったので、皆さんも体調管理には気をつけてくださいね(*^^*)

もしかしたら連載お休みするかもしれません。できなかったらごめんなさい。m(__)m



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   竜頭蛇尾の指示書 ②


 池田はこの日、札幌へ移動した。翌3日、千歳空港から羽田空港を経由し、伊丹空港へ向かい、大阪府警に出頭した。夕張を出発する時、男子部の最高幹部に「私はこれから大阪へ行く。あとのことはよろしく頼む」と言い残している(東京からの応援隊だった浦部秀雄の手記)。

 文京支部の婦人部幹部たちは、夕張で池田を見送った後、三笠の学会員宅から池田の自宅に電話した。妻の香峰子に状況を伝えるためである。香峰子は「結婚した当初から覚悟していたことですし、何も心配しておりません」と答えた。


 北の大地から、舞台は関西へと移る。その前に、「夕張大会」後の炭労の動きを記しておきたい。

 「夕張大会」と同じ7月2日、北海道炭労はある会議を開いた。その内容を北海道新聞が「創価学会追放へ/炭労、総評大会に提案」という見出しで報じている(7月3日付)。

 この会議では、炭労が所属している総評(日本労働組合総評議会)の大会に「総評の組織内からも(創価学会を)追放する提案」を出すことが了承された。

 

 わざわざ対決を申し込み、その対決を撤回しておいて、今度は総評に訴えようというのである。3日後の同紙は、総評が炭労の提案を受け、「宗教対策委員会」を設ける予定を報じている。

 こうした動きは、その後どうなったのか。「夕張大会」の前後、炭労が中央委員長の名前で各支部の委員長に宛てた指示書がある。

 炭労はまず6月8日、創価学会の「問題」を総評大会で報告し、炭労を超えた問題へと「発展」させるために、「創価学会の実態」を16項目にわたって細かく報告するよう各所に指示している。


 すでに炭労は、6月初旬の段階で、総評まで巻き込んだ学会弾圧の計画を練っていたのである。

 ところが「夕張大会」から10日後、7月12日の指示書では、学会との問題は「(新聞やラジオが)興味本位に報道したため論議がふっとうし、創価学会は炭労と対決する方針を打ち出し」たという。そして「現在の状況はジャーナリストによって創られたものであり、その実態は炭労の方針にそわない」と弁明。世論の風向きが変わったと感じ、元々の問題の責任をマスコミに押し付けた。

 さらに2ヵ月後の9月19日、各支部宛てに出した3通目の指示書には、炭労の焦りがにじんでいる。

  竜頭蛇尾(りゅうとうだび)の指示書 ①


 「夕張大会」の傍聴を希望した十数人の炭労幹部の中に、夕張炭労書記長、相沢秀雄の姿もあった。直接対決を申し出た人物である。出迎えた池田は、最後まで学会の主張をはっきりと聴いていただきたい、終わってから懇談しましょうと約束した。

 池田の演説は「建物のガラスが割れるかと思うほどの迫力だった」(保科由子)という。

「炭労がどんなに叫んでも、わが学会は日本の潮であり、その叫びは獅子王の叫びであると信じます」──武田嘉子(岩見沢市、総県婦人部主事)は池田の演説を聞きながら、信じられない思いだった。

「夕張大会の朝、私は控え室の役員でしたが、先生は熱で赤い顔をして、タオルを顔に当てて、座布団を二つに折って横になっておられたからです。しかし登壇された先生は、体調の悪さを微塵も感じさせませんでした」。


 開会から1時間ほどで相沢たちは席を立とうとした。場内の整理役員だった高橋喜久治。

「炭労の幹部が途中で出ていく様子はよく見えた」と語る。

 同じ区役員としてその場に居合わせた井上一清。

「池田先生は両手を広げて『いやあ、どうも!もうお帰りですか』と笑顔で声をかけ、握手を求められた。彼は驚いて後ずさりしましたが、しぶしぶ握手をして去っていきました」。炭鉱幹部が「帰るんだ、帰るんだ」「いったい学会の青年部がなんだ」と強がり、大声を出しながら去っていく様子を、大勢の炭鉱員が見送った。

 池田は演説のなかで日蓮の「観心(かんじんの)本尊抄」を引いている。

「天晴れぬれば地明らかなり法華を識(し)る者は世法を得(う)可(べ)きか」──太陽が昇れば大地が明らかに見える。同じように、法華経を知る者は世間の道理に通じていく──。

 さらに「佐渡御書」を通して、法難の時に「獅子王の心」を出せる人こそ、宿命転換して仏になることができると訴えた。



  「私は大丈夫です」 ②


 7月1日。札幌・夕張両大会の準備は大詰を迎えていた。

「炭労幹部の猛省を促す」(白木義一郎)、「創価学会と組合活動について」(辻武寿)、「創価学会の本質」(池田)などの演題(えんだい)が並んだ。また「果たして学会は労組を乱したか」というテーマで二人の炭鉱員が現地報告を行った。班長の大門一男と地区幹事の井上晴である。

 「夫は原稿を書くことも、あんな大会場で登壇することも初めてで、準備の最中は生きた心地がしなかったと語っていました」(妻の大門勝代)

 

 大会直前の29日に現地報告を頼まれた。札幌大会の当日朝になっても原稿はできない。悩む二人に辻武寿は「まだできていないのか」と驚き、「間に合わないかもしれないなあ・・・・・ともかく頑張りなさい」。そこに入ってきた池田は、「今日は開口一番、何と言いますか」と尋ねた。

「夫がとっさに『皆さん、今晩は!とやります』と答えると、先生は『それでいいんだ。元気いっぱいやりなさい』と。先生の一言で不安が飛び去ったそうです」(大門勝代)。


 札幌大会には1万3000人が集まり、大成功で終わった。北海道新聞は「子供連れの婦人」や中学生、高校生の参加者が多かったと記している(7月2日付)。

「このけなげなる同志を、私は絶対に泣き寝入りさせたくなかった」(『池田大作全集』第三十一巻)。

 翌二日の「夕張大会」。若菜劇場に1500人が詰めかけた。

「皆さん、私は夕張平和炭鉱の地下深いところで働いております」。大門一男は現地報告で自らの半生を振り返った。

「過去に私はいろいろな事業の失敗から借金と世間の不信に取り巻かれた生活でした」。学会の先輩たちに支えられ、立ち上がった喜びを訴えた。


 戸田が、そして池田をはじめ文京支部のリーダーたちが心血を注いだ信心指導は、弾圧に対して一歩も退かない人々を数多く育てていた。彼らの主張は「へたな代議士顔負け」(7月3日付「読売新聞」)と一般紙が報じるほどの迫力だった。


 夕張大会に先立ち、男子部が再び夕張市内をデモ行進した。炭労事務所の前で「皆さん、出て来て話し合いを!」と呼びかけた。「北海道新聞」は一面コラムで「創価学会が夕張の炭労事務所にデモをかける。上には上がある世の中。いささか愉快」と報じた。