EIKOの気まぐれ闘病日記 -119ページ目

EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
いきなりのアメンバー申請はお断りしています。

 朝の勝利は一日の勝利だ。


 一日の勝利の積み重ねは、


 人生の勝利につながっていく。


 清々しい一日の出発こそ、


 充実の人生の秘訣である。


 きょう一日をどのような一日と輝かせるか。


 自分自身の朝の心が、その光となる。


いつも余裕のない


暗い顔をしていたのでは、


周囲の元気もなくなってしまう。


そこからは希望も、活力も生まれてこない。


笑顔の人は強い。


正しい人生を歩んでいる人には、


晴れ晴れとした明るさがある。

 いつも連載を読んでくださり、ありがとうございます

                     m(__)m


今日で、青年の譜(6)「夕張炭労事件」(下)の連載


が終了しました。


 再び、青年の譜の連載が始まったら連載を開始し


ますが、しばらくの間は内容等は不定期になると思


いますので宜しくお願いします。m(__)m

  「夜明けがきたんだ」


 1957年(昭和32年)7月3日。文京支部の田中都伎子は横須賀で座談会を担当していた。在京の幹部は羽田空港に集まるようにという、緊急の連絡が入った。

 会長の戸田も羽田に行くという。都伎子は、これが異様な事態であることに気づいた。戸田自身が地方指導に出発する時、羽田空港に見送りに行くことは多い。しかし戸田に地方指導の予定はなかった。戸田は、羽田経由でそのまま大阪へ飛ぶ池田を出迎え、見送るために、羽田空港へ赴いたのだった。


 戸田は池田に「もしもお前が死ぬようなことになったら、私もすぐに懸け付けてお前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と言った。都伎子が羽田空港に着いたのは、そのやりとりの後である。

「池田先生は別室で奥様と二人で話されていました」(田中都伎子の証言)。

 やがて時間になり、池田が搭乗口に向かう時だった。これからいったいどうなってしまうのか、たまらなくなって都伎子は「池田先生、文京支部の皆に伝えることはないでしょうか」と尋ねた。池田は、「夜明けがきたんだ」と伝言を託した。

 これから出頭されるというのに、なぜ夜明けなのだろうか。茫然と見送る都伎子は、それ以上声をかけられなかった。

 これまでに経験したことのない状況の中で池田は、仏法の眼でこの冤罪を見よ、「学会の夜明け」ととらえていってほしい、と励ましたのである。

 この日、文京支部の田中正一をはじめ何人かの幹部が夜行列車で大阪に向かった。

 大阪の天王寺区に立つ関西本部。東京以上の驚きと、不安と、怒りにあふれ返っていた。

 「大阪府警捜査二課では三日夜・・・・・創価学会渉外部長池田大作(29)を公職選挙法違反の疑いで逮捕した」(1957年7月4日付「朝日新聞」夕刊)

 大阪事件の勃発である。



 いつもペタやコメントをくださる皆さん、連載を読ん


でくださる皆さん、いつもありがとうございましたm(__)m


沢山の方から温かいコメントが届き、本当にありがと


うございました。m(__)m


 これからは体調に合わせて、無理のないように連


載したいと思います。



この度は本当にありがとうございましたm(__)m