「夜明けがきたんだ」
1957年(昭和32年)7月3日。文京支部の田中都伎子は横須賀で座談会を担当していた。在京の幹部は羽田空港に集まるようにという、緊急の連絡が入った。
会長の戸田も羽田に行くという。都伎子は、これが異様な事態であることに気づいた。戸田自身が地方指導に出発する時、羽田空港に見送りに行くことは多い。しかし戸田に地方指導の予定はなかった。戸田は、羽田経由でそのまま大阪へ飛ぶ池田を出迎え、見送るために、羽田空港へ赴いたのだった。
戸田は池田に「もしもお前が死ぬようなことになったら、私もすぐに懸け付けてお前の上にうつぶして一緒に死ぬからな」と言った。都伎子が羽田空港に着いたのは、そのやりとりの後である。
「池田先生は別室で奥様と二人で話されていました」(田中都伎子の証言)。
やがて時間になり、池田が搭乗口に向かう時だった。これからいったいどうなってしまうのか、たまらなくなって都伎子は「池田先生、文京支部の皆に伝えることはないでしょうか」と尋ねた。池田は、「夜明けがきたんだ」と伝言を託した。
これから出頭されるというのに、なぜ夜明けなのだろうか。茫然と見送る都伎子は、それ以上声をかけられなかった。
これまでに経験したことのない状況の中で池田は、仏法の眼でこの冤罪を見よ、「学会の夜明け」ととらえていってほしい、と励ましたのである。
この日、文京支部の田中正一をはじめ何人かの幹部が夜行列車で大阪に向かった。
大阪の天王寺区に立つ関西本部。東京以上の驚きと、不安と、怒りにあふれ返っていた。
「大阪府警捜査二課では三日夜・・・・・創価学会渉外部長池田大作(29)を公職選挙法違反の疑いで逮捕した」(1957年7月4日付「朝日新聞」夕刊)
大阪事件の勃発である。