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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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  「入った者でないとわからないんだ」 ②


 7月4日、沖本泰幸は大阪城に向かっていた。池田に食事の差し入れを届けるためだった。その帰りに大手門近くまで来た時、一台のジープとすれ違った。幌をかけていたが後部座席が見えた。

「後ろの座席に先生がおられた。跳びあがった。『先生!』『(分かってるよ)』先生はうなずかれた。私は、砂ぼこりの地面にへたへたと座りこんでしまった。そして地面を叩いて泣いた」(沖本の手記)。

 

 沖本は東京都との連絡責任者だった。戸田城聖は沖本に、自分の一日の行動、連絡先をすべて伝え、二時間おきに現状を報告するよう命じた。

 指示を聞き漏らしたり、見落としたりすると「百雷が落ちるように」叱られた。その沖本の手記には、戸田の切々たる思いがにじんでいる。


 「7月6日だったと思うが、いつものように報告申し上げると、じっとお聞きになったあとで『お前ばかり叱ってかわいそうだな。がまんしてくれよ。わしは弟子がかわいいんだ。かわいい弟子が苦しんでいるのを見て、いてもたってもおれないんだ。頼むぞ!』と仰せられて電話を切られた」

 「『できれば、わしが代って入ってやりたい。あそこは、入った者でないとわからないんだ』と涙声になっておられた。私は、受話器をもったまま、泣き伏した」


 逮捕から6日目の7月8日、池田の身柄は東署から大阪拘置所に移された。いつ釈放されるのか、依然わからない。ときには戸田のほうから関西本部に、10分おきに電話がかかってくることもあった。


 「入った者でないとわからないんだ」 ①


 鈎せつ子は1957年(昭和32年)7月3日の夜、地区の地区部長から池田の逮捕を聞いた。

 「その瞬間、何が何だかわからず、しばらく声にもならず・・・・・心の中で”そんなことはない、そんなことはない”と否定しながら、部員さんの家に走ったことを覚えております」「まるで枯葉に日がついたように、怒りが組織のすみずみまで浸透していきました」(鈎の手記)。


 差し入れを続けた矢追久子は毎日、気が気ではなかった。

「戻された容器を開いてみては、残っていると、食欲がおありにならないのだろうかと案じ、全部平らげてくださっていると、足りなかったのではと、わが身を責めるのでした」(矢追の手記)。


 池田の逮捕を誰よりも怒っている男は東京にいた。言うまでもなく、戸田城聖である。


  私も一緒に祈ります ③


 これらは関西で無数に生まれたエピソードの、ごく一部分にすぎない。どの地にも、池田の励ましによって立ち上がった民衆の群像があった。そのエネルギーは「暴力宗教」という偽りのレッテルを貼られても、弱まることはなかった。


 1956年(昭和31年)7月、白木義一郎は参院選に勝利する。

 権力で動くのでもない。金で動くのでもない。これまで見たことも聞いたこともない、まったく新しい民衆運動を、どのようにして「取り締る」か。学会に対して振り上げた拳を下せなくなった人々にとって、絶好の機会が訪れた。翌年4月の参院補選で、学会が推薦した中尾辰義が敗れたのである。


 支援していた学会員の中に、買収と戸別訪問の容疑で逮捕された者が出た。照準は支部の責任者池田に合わせられた。それは関西学会の組織が産声をあげてから、5年にわたって結ばれてきた「信頼の糸」を分断する動きになった。日蓮は「立正安国論」を提出して、時の最高権力者から迫害された。その日蓮を精神の中心に据えた学会にとって、避けることのできない弾圧でもあった。

  私も一緒に祈ります ②


 住吉区を中心に西大阪の草創期を築いた一人、鈎せつ子。「1万111世帯」のうち三家族に弘教した。

「よれよれの着物を着て、子どもを背負っている私の姿は、まさに終戦後の買出し部隊のようで・・・・・でも心は晴れ晴れ、無我夢中に走りました」(鈎の手記)。

 「大阪の戦い」では、4歳と1歳の子を連れて、関西本部の早朝講義に出席していた。

 夫は信仰に理解が薄く、舅猛反対。姑が寝たきりだった。しかし、やがて義父母は信仰を理解してくれるようになり、ある日、子どもを預けて会合に参加した。

 その場で池田から「きょうは子どもさんは?ご主人は?」と声をかけられ、最後に一言「頑張るのですよ」と励まされた。心底驚いた。

「毎日毎日、子どもを連れて参加していた私の姿を見てくださっていたのか・・・・生涯忘れることができません」。


 鈎は「電車賃もなく夜空の星を眺めながら、子どもの成長と幸せになることを自分に言い聞かせながら歩きました」とも書き残している。

「夏のカンカン照りの日、座談会に出席してくださったことも何回かありました。

・・・・・私たちが言えば文句ばかり、という人でも、先生の座談会に出席した人は、文句も言わないでみんな素直に入信決意するのです」。なぜだろうと不思議に思いながら、ますます信心に励んだ。