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EIKOの気まぐれ闘病日記

このブログは、日蓮仏法の信心を根本に、双極性気分障害と闘うEIKOのブログです。日々の出来事や家族のこと、創価学会や池田名誉会長のことを書いていきます。
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  「生涯、忘れまいぞ」 ②


炎天下である。東京大会にも参加した婦人部の福住ふさゑは「(午前中)赤レンガの裁判所のまわりを、ぐるぐると何度回ったことか」と書き残している。

「朝から照りつける太陽が真夏を思わせ・・・・・『この暑さで先生はどれほどお疲れになっていることか』と思っただけで、泣けて泣けて仕方ありませんでした。ノドはカラカラに渇き、角のパン屋で牛乳を買って飲もうとしましたが、胸につかえて飲めません」。

 そのパン屋の店主は福住に「長い間ここで商売をしているけれども、こんなにたくさんの出迎えは見たことないわ」と言い、誰が釈放されるのか尋ねた。

「この時ばかりとおじいさんに話しました。一人でも多くの人に池田先生の無実を知ってほしかったのです」(福住の手記)。


 日盛りの道を、人々の波が埋めていく。

「まだかまだかと背伸びしたり、そばにあった石の上に乗ったりしていました」(北側照枝)。

 「正午過ぎ、大阪拘置所の鉄の扉が開きました。池田先生の奥様は一番前で待っていらっしゃいました。本当にご心配だったと思いますが、明るく振る舞っておられました。素早く先生に駆け寄った奥様の後ろ姿が、いつまでも印象に残っています」と北側は回想する。

 「生涯、忘れまいぞ」 ①


 大阪大会を決行することは数日前に決まっていたが、この日に池田が釈放されるかどうかはまだわからなかった。

 北側照枝(平野区、総県婦人部主事)は自宅の物干し場で洗濯物を干していた。「池田先生が釈放されるで!」と連絡を受け、思わず洗濯物を投げ出したという。

「4歳の一雄、2歳の正廣の手を引き、9か月の修を背負って転げるように拘置所へ向かいました。とにかくうれしかったんです」。

 

 立花丸子(東大阪市、総県婦人部主事)は午前7時すぎに「室長が出てこられるかもしれない」電話を受け、近くの学会員宅へ連絡に走った。

「8時には家を出ました。朝からカンカン照りのえらい暑さでした。大阪拘置所のすぐ近くに差し入れ用の売店があり、そこのおばあさんが『こんな大勢の人が来るのは初めてや。よっぽど偉い人が出てくるんやな』と言っていました」

 「魔競はずは正法と知るべからず」 ③


 「私は公会堂の正面左側で人の流れを整理しました」。仲尾行雄(奈良、県主事)は、やって来る人々を誘導しながら、大会の半年ほど前の光景を思い出した、と語る。

 「あれは冬でした。先輩の有馬猶二郎さん、のぶさんご夫妻(初代の奈良支部長、支部婦人部長)に連れられて、関西本部に行ったんです」。戸田城聖のもとを訪れ、種々懇談した。


 戸田は「青年部は大作に会いなさい」と言った。ちょうど別室で池田を中心に青年部が十数人集まり、懇談会の最中だった。仲尾は奈良の男子部の先駆けの一人である。

「大作さんというのはどんな人だろう」と思いながら懇談会の輪の中に入った。

 池田は仲尾の話にうなずき、「苦労をかけるが、頼むよ」と声をかけた。

「うまく表現できませんが、『体に電流が走る』とはこういうことか、と思いました」と振り返る。

「入会して一年余りでしたが、あの真剣さ、誠実さに圧倒された。だから大阪事件は絶対に許せなかった」。

 なぜ無実の人を捕まえるのか。怒りを抑え、池田の釈放を心待ちにしたその日、公会堂前で仲尾たちは増えるいっぽうの参加者に懸命に声をかけ続けた。


 救護班だった有馬律子(奈良、支部副婦人部長)。大阪大会の9日前、池田が東署から大阪拘置所に移送される際、車に乗り込む姿を見ている。

「離れた電柱の陰から見守るしかありませんでした。しかし、先生は気づかれ、うなずき、持っていた扇子をかざして『わかっているよ』と応じてくださった。ご自身が大変な状況なのに、逆に励まされてしまいました」。



 「魔競はずは正法と知るべからず」 ②


 大阪大会には約2万人が駆けつけた。準備、運営に携わった役員にも、参加者にも、池田から薫陶を受けた人々が数多くいた。

 「夫は『わしがあの看板を設置したんやで』と生涯の誇りにしていました」。吉瀬慶子(平野区、総区婦人部主事)は語る。夫の吉瀬昌行は設営の責任者として奔走した。秦善一から託された布地を、数人がかりで正面入り口に取り付けた。

 

 大阪大会の3ヶ月前、忘れられない出来事があった。惜敗することになる参院補選。吉瀬はある地域の男子部の責任者だった。

 「大詰に至り・・・・・・悪質な妨害にもひるまず、種々の状況分析をしていたとき、池田先生から電話があって、矢つぎばやの質問があった」(吉瀬の手記)。後の池田の不当逮捕につながる事件が起き、大混乱していた渦中である。まともな受け答えができず、池田からリーダーとしての考えの甘さ、誤りを厳しく叱責された。

 「周囲の人が私の顔をのぞきこんでいる中を、受話器を持って立ったまま、足元まで涙がこぼれ落ちるのを止めることができなかった」


 戦いは敗れた。吉瀬はどうしても池田に会いたいと思い、関西本部を訪ねた。しかし池田はすでに東京へ出発した後だった。肩を落とす吉瀬に白木文が、池田室長から預かり物がありますよ、と告げた。


 それは一本の扇子だった。開くと、扇面に「人生は闘争の連続である。君が大樹になりゆくを祈る。大阪春の陣 池田」と記されていた。

 生真面目な吉瀬の性格を知っていた池田は、彼は必ず会いに来るだろうと思い、白木に激励の扇子を託していたのである。こんな状況で、俺のような一男子部員に、ここまで心を砕かれるのか──吉瀬は信じられない思いで扇子を見つめた。