読者の皆さん、いつもありがとうございます。 <m(__)m>
民衆こそ王者ー池田大作とその時代シリーズを連載していま
すが、青年の譜(9)「大阪事件」(3)の連載が終了しました。
次回からは、青年の譜(10) 「大阪事件」(4)を連載します
のでどうぞご期待ください!
大阪拘置所出所された池田先生が、恩師・戸田先生が逝去
される中、第三代会長に就任され、4年にわたる無実を勝ち取
る闘争を学んでいきたいと思います。
宜しくお願いします。<m(__)m>
読者の皆さん、いつもありがとうございます。 <m(__)m>
民衆こそ王者ー池田大作とその時代シリーズを連載していま
すが、青年の譜(9)「大阪事件」(3)の連載が終了しました。
次回からは、青年の譜(10) 「大阪事件」(4)を連載します
のでどうぞご期待ください!
大阪拘置所出所された池田先生が、恩師・戸田先生が逝去
される中、第三代会長に就任され、4年にわたる無実を勝ち取
る闘争を学んでいきたいと思います。
宜しくお願いします。<m(__)m>
「出獄と 入獄の日に 姉弟あり」 ①
幸田利子(西宮市、総県婦人部主事)はこの大阪大会の直後、池田から一枚のハガキを受け取っている。そこには「私は獅子の子です 猛然と次の戦いにそなえて居(お)ります」と記されてあった。
「大変なご苦労のなかで、先生は身をもって信心の厳しさを教えてくださいました」。94歳の幸田は「その後の人生で思い悩んだ時、行き詰った時、そのたびにこのハガキを読み返し、読み返し、生き抜いてきました」と語っている。
「その夜の関西本部は、蘇ったように活気に満ち、戸田会長の豪快な笑いが、今も耳もとに残っている」(福生伊八の手記)──約8か月後、戸田城聖はこの世を去る。池田は最愛の恩師を失った後、長く続く裁判闘争を抱えながら、学会の総務として、そして三代会長として、世界を視野に入れた休みなき闘争へと躍り込んでいく。
治安維持法違反と不敬罪によって囚われていた戸田が出獄したのは、太平洋戦争の終戦直前、1945年(昭和20年)7月3日だった。
池田が大阪事件で入獄したのは、12年後の同じ7月3日である。
のちに池田は、次の一句を関西青年部の代表に贈った。
「出獄と 入獄の日に 姉弟あり」
「今度は勝とうな!」 ②
さらに池田の動きは止まらなかった。音楽体長の有島重武が呼ばれた。これから場外を回るという。急いで螺旋階段を降りて、外に飛び出した。すでに雨は上がっていた。その瞬間の様子を、堺の婦人部で草創から活躍した里内総子が書き残していた。
「場外の同志はワーッと取り囲み、あちらこちらで学会歌の合唱が聞かれた。私も必死に走った」。
音楽隊は急いで隊列を整えた。
「先生が学会歌の指揮をとり、私たちも全力で伴奏しました。終わると、また別の場所に移動され、場外の広場を一周しました。最後には、玄関先の石段の前で演奏を繰り返しました」(有島の証言)。
池田は後に語っている。
「長い人生である。その間には、自分の思ったようにいかないときもあるかもしれない・・・・・勝っても、負けても、そこからまた『次に勝つ因』をつくっていけるかどうか。それが一番大事である。常に『今』が出発なのである」(2005年9月18日付「聖教新聞」)。
中央公会堂の前で、群衆の中でもみくちゃになりながら、池田は「今度は勝とうな!」「今度は勝とうな!」と繰り返していた。その声が里内の耳にも響いた。
「つい先ほどまで牢獄にいたとは思えないほど力強く、澄んだ声だった」「今も耳朶に残っている・・・・『人生は勝つこと』──あの日に教えていただいた指針は今も、人生を開く生命の宝となって輝いている」(里内の手記)。
「公園にいる学会員に、上の道から『ご苦労さま』と力一杯手を振ってくださいました。その姿は胸に焼きつき、生涯忘れることはできません」(大西トミコの手記)
「嘘のように晴れ上がった空には星が美しく輝いていた・・・・誰歌うともなく大合唱になった声は堂島川の川面にひびきわたった。『いろいろ御心配をかけました。早く帰って休んでください』とあたたかい言葉を残して、先生は立ち去られた」(後藤幸子の手記)
「今度は勝とうな!」 ①
大会が終わり、壇上から退場した後も池田は動き続けた。そばにいた青年部の役員に「一緒にいらっしゃい」と声をかけ、階段を駆け上がった。
「激しい雷雨にもたじろかず、参加し続けた方々を励ますためです。足早に向かう池田先生に、必死になってついていきました」(栗原明子、関西婦人部主事)。
中央公会堂の正面上方には、窓が三つある。池田はそこから上半身を乗り出し、場外で待っていた人々に大きく手を振った。
青木新造(此花区、副区長)は土佐堀川の中之島側、北浜三丁目で誘導係をしていた。
「市電の『北浜二丁目駅』と『北浜三丁目駅』からどんどん人が出てきました。大会の最中は土砂降りで信号もよく見えなかった」と語る。「あの時、公会堂の窓から手を振る先生が見えました。豆つぶほどの小ささやけどね。もうそれだけでうれしかったなあ」。
池田は窓から「ご心配かけましたが、私は元気です」と呼びかけた。和歌山から参加した西浦光信(和歌山市、副支部長)は、「正義は必ず勝ちます。みんなで頑張りましょう!」という池田の叫びに「どの顔も雨と涙にまみれていたが、『絶対に負けない』との決意がみなぎっているようであった」と記している。
池田のそばに立っていた場内役員の栗原や近江紋子らは、場外の熱気と、地響きのような大歓声に圧倒された。
「ああ、この絆は誰にも絶対に切ることができない。崩されてはならない、と思いました」(栗原)。