「出獄と 入獄の日に 姉弟あり」 ①
幸田利子(西宮市、総県婦人部主事)はこの大阪大会の直後、池田から一枚のハガキを受け取っている。そこには「私は獅子の子です 猛然と次の戦いにそなえて居(お)ります」と記されてあった。
「大変なご苦労のなかで、先生は身をもって信心の厳しさを教えてくださいました」。94歳の幸田は「その後の人生で思い悩んだ時、行き詰った時、そのたびにこのハガキを読み返し、読み返し、生き抜いてきました」と語っている。
「その夜の関西本部は、蘇ったように活気に満ち、戸田会長の豪快な笑いが、今も耳もとに残っている」(福生伊八の手記)──約8か月後、戸田城聖はこの世を去る。池田は最愛の恩師を失った後、長く続く裁判闘争を抱えながら、学会の総務として、そして三代会長として、世界を視野に入れた休みなき闘争へと躍り込んでいく。
治安維持法違反と不敬罪によって囚われていた戸田が出獄したのは、太平洋戦争の終戦直前、1945年(昭和20年)7月3日だった。
池田が大阪事件で入獄したのは、12年後の同じ7月3日である。
のちに池田は、次の一句を関西青年部の代表に贈った。
「出獄と 入獄の日に 姉弟あり」