出会いの”種” ①
93歳になる西村シズ(京都東総県婦人部主事)。
「山口では、新しい人を先生のもとに連れて行くのが楽しくて仕方ありませんでした」と語る。各地で多種多様な出会いが生まれた。池田たちの強行軍は、一人、また一人と「心を変える」旅だった。
下関の岩本憲治。1956年(昭和31年)の12月に入会し、翌年1月に池田の前で班長の任命を受けた。
「賭け事が好きだった父は、自分を変えたいと思って信心を始めました。先生に会った日、『すごい人に会ってきたぞ』 『日本一の氷屋になりなさいと言われた』と感激して母に語ったそうです」(長男の隆雄。山口圏副圏長)。
池田の講義に感激した妻から「信心しなくていいから、一度でいいから会ってください」と請われ、池田の気迫に圧倒されて入会した壮年もいた。佐川一義(岩国圏主事)は、病みつきになっていた夜釣りに行くからと抵抗した。妻の貞子(岩国、婦人部副本部長)に肝心の釣道具一式を取り上げられ、「ぶんなぐってやりたい気持ち」で「小池旅館」の座談会に向かい、池田と出会った。
「夜に、家に帰ってから、その感激を火付け役の家内が辟易するまで、興奮して語ったことを記憶している」(佐川の手記)。
柳内で写真屋をしていた平本勝。
「記念写真を撮ってほしい」という妻の伝言で「開作屋旅館」に出かけた(1956年11月)。
「二階に上がると若い人が何か講義していました。その方が池田先生でした」(平本の手記)。妻のヤエ子(柳内圏婦人部主事)は、夫が信心に反対していることを池田に相談した。
「写真を撮ってもらおう。それならご主人に来てもらって話もできるでしょう」。
勝は池田に「紙に書かれたものを拝んで、どうして功徳があるのか」と食ってかかった。池田は「千円札をあなたは恋しく思うでしょう」と答えた。「それは千円札に力があることを知っているからです。御本尊様も同じです。あなたには読めないが、どんな人も幸せにすると書かれてある」。
2カ月後、勝は信心を始めた。勝るが撮った写真は当時を知る貴重な一枚になった。