「真剣さは形に出る」 ②
池田たちが泊まる下関の東陽館を予約したのは、男子部だった嶋田耕である。下関漁港の競り
子で、午前2時に起きる生活だった。寝台急行「天草」で到着した池田を、父とともに出迎えた。耕の
兄は20歳の時、水泳事故で頚椎を損傷し、半身不随に。母のムメ子が信心を始めた。東陽館で池
田は、耕に「青年は金と暇があったらダメになる。まず人格をつくることが一番だ。貧乏は無形の財
産だよ」と語った。
試練はその後に訪れた。母のムメ子は早くに病気で亡くなり、耕は信心から離れていった。
「私も義母から信心を教わりました」という妻の淑恵(下関圏副婦人部長)。
「夫は競り子の時は羽振りがよかったのですが、自分で商売を始め、借金をつくり、苦しみ抜きまし
た。先生がおっしゃった『貧乏は無形の財産』という一言を、私も胸に刻んで耐える日々でした」。
やがて耕は壮年部でブロック長に復帰した。淑恵はホームヘルパーとして働き家計を支え続け、周
囲から信頼を得て「県介護福祉士会理事」なども務めた。