少年と見たヒマラヤ②
日程は詰まっている。11月1日=国王と会見、2日=トリブバン大学で記念講演、3日=同大学から名誉博士号の授与式、4日=カトマンズ市の名誉市民称号授与式とネパールSGI総会、5日にネパールを出発──チャンスは午前中に行事が行事が終わる3日の夕方しかなかった。
有名なナガルコットやカカニといった観光地は、時間がかかるため組み込めない。川村たちスタッフはトリブバン大学から車で小一時間ほど南に行ったあたりにスナコティという高台の村を見つけた。ヒマラヤが見渡せて、カトマンズ市街も一望できる珍しい景観である。「ここしかない」と思った。
3日、授与式を終えた池田は「さあ行こう」と周囲に声をかけ、午後四時過ぎに宿舎を出発した。車は環状の幹線道路から舗装されていない道に入り、揺れながら進んだ。
川村たち何人かのスタッフは先に現地に着いていた。
「雲がかかって、山がほとんど見えず、焦りました」。池田が到着した。「あちらがヒマラヤの方角です」と示さなければわからないほど曇っている。
「あっちがヒマラヤか」。そう言った池田は、妻の香峰子と同行者たちの方を向いて何枚か撮影した。
再び振り返った。不意に、雲が切れた。
「ピンク色に染まった峰が、東からランタン、ガネッシュヒマール、マナスルと次々に現れました。夕陽で山肌の色が刻々と変化していきました」。チャンスはわずかな時間だった。
「実はこの時、私には、かわいらしい応援団がついていた」。池田はその時の情景を綴っている。
「丘で遊んでいた近くの村の子ども達である。20人くらいだったろうか。はじめは遠巻きに見ていたが、好奇心を抑えられなかったのだろう、私が移動するたびに、ぞろぞろとついてくる。子ども達の身なりは貧しかった。しかし、目の輝きは宝石のようだった。私は語らずにいられなかった」。
布を丸めたボールで遊んでいた子どもたちが池田を囲んだ。
私たちは仏教徒です。ここは仏陀(釈尊)が生まれた国です。仏陀は、偉大なヒマラヤを見て育ったんです。あの山々のような人間になろうと頑張ったのです・・・・・・みなさんも同じです。すごいところに住んでいるんです。必ず、偉大な人になれるんです──
当時の子どもたちとネパールの青年部は、17年経った今も交流を続けている。電話公社のドライバーや公務員もいれば、商店主、理学療法士になった子もいる。
宿舎に戻る道中、突然、池田の車が止まった。後続車に乗っていた人々は「牛でも通っているのかな」と思った。
「道路沿いにSGIメンバーの家があり、先生は居合わせたお母さんと娘さんを激励されていました」。
その家の息子のアミット・ランジットは、ネパール男子部長、青年部長を歴任。のちにスウェーデンの大学で修士号をとった。
「ああ、月がきれいだ」。そう言って池田は再び車中の人になった。ヒマラヤの峰々のはるか上方から、夕餉(ゆうげ)の煙のたなびく家々に白い月光が降り注いでいた。