実は桑田は、”会長就任以前”の池田を取材している。
1956年(昭和31年)7月。参議院選挙の大阪地方区で、学会推薦の白木義一郎が当選した。「朝日新聞が「”まさかが実現”」と報じた「大阪の戦い」である。
政治部記者だった桑田は、創価学会へ取材を申し込んだ。
都内の取材場所へ着くと、他者の記者たちも待っている。細長い控え室。7、8人いただろうか。『朝日新聞』の記者もいた。「そっちも来てたのか」と互いに驚いた。
順番が来た。部屋へ入る。
テキパキと取材の応対をしていたのは、自分よりも若い男だった。
目が合った。青年は言った。
「初めまして。池田と申します」
ソフトな物腰。しかし、黙っていても、五体から満々と「磁力のようなもの」を発している。
「あ、この人は間違いなくリーダーになるぞ」。これが第一印象だった。
「取材は真剣勝負。刀を抜いて向き合う。切っ先が触れれば、『大した人物じゃないな』とか、『こいつ、やるな』とか、だいたい見極めがつく」
「池田さんと相対して、『油断するとこっちがやられる』と思った」
中学生時代から、法華経などの宗教書にも親しんできた桑田である。
ギシギシを椅子をきしませ、激しく問いかけた。
打てば響く。答える池田。熱を帯びてくる。
「なぜ創価学会に勢いがあるか?」
「折伏精神があるからです」
「なぜ政治に参加するのか」
「創価学会は現実を変えるための宗教です。日蓮大聖人の精神を受け継いだ団体なんです」
丁々発止。あっという間に時間が過ぎた。
日中平和友好条約が締結される前年の1977年(昭和52年)、桑田は再び池田を取材している。
「青年時代のエネルギッシュな感じが、少しも変わっていなかった。
「本物の宗教運動は、既成の権力に対する一種の革命運動、改革運動になっていくものでしょう。かつて『立正安国論』を掲げて鎌倉幕府に迫った日蓮と、今も民衆運動の先頭に立つ池田会長のイメージは重なります」