平和・行動と祈り        巣鴨プリズンの戦犯 | EIKOの気まぐれ闘病日記

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 「私は貝になりたい」

 この題名のドラマがヒットしたのは、1958年(昭和33年)である。

 軍隊から復員した理髪店主(フランキー堺)が逮捕される。捕虜虐待の容疑、気の弱い男で、上官の命令にしたがった行動だった。しかしBC戦犯として法廷に立たされ、絞首刑に。

 家族への遺書。もう人間に生まれたくない。海の底の貝になりたい、と記す。貝ならば兵隊に取られず、戦争もないからだ。反戦ドラマの秀作だった。


 伊藤栄子(愛知県新居浜市)の父、喜市は、BC戦犯だった。

 軍事裁判にかけられ、4年間、東京の巣鴨プリズンに押し込められた。

 もともと平凡な製缶工である。43年(昭和18年)秋。会社から、工場で捕虜を使うように命令された。新居浜には収容所があり、オランダ、オーストラリア等の捕虜がいた。命令で警戒員を努めた喜市は戦後、捕虜虐待の罪に問われた。

 娘の栄子は、一度だけ母に手を引かれ、巣鴨プリズンの父を訪ねた。

 48年12月22日。池袋の周辺には闇市がひしめき合い、喧騒がうなっていた。

 募金箱を首から提げた傷痍軍人。無表情で丼物をかっこむ女。流行始めた「異国の丘」のメロディーがラジオから流れてくる。

 刑務所は異界だった。

 ヘルメット姿の立硝兵。肩にかけた機関銃が鈍く光る。高さ5メートルほどの赤茶けた塀の中へ。万事アメリカ流で運動場も整っている。娯楽施設もなる。食事も栄養価の高いメニューだった。