初訪問から15年──池田会長がニューヨークの国連本部へ3度目の訪問をしたのは、1975年(昭和50年)の1月である。
事務総長に、核廃絶を求める1000万署名を手渡した。
その席上、国連首脳が切り出した。
「キリスト教が世界宗教になるまで、多くの殉教者を出しながら2000年かかりました。創価学会は、わずか40数年で到達しましたね」
一方通行であってはならない。池田会長は日本にアメリカの代表を招く。
夏の研修会。
「一緒に歩こう」
アメリカSGIの幹部に呼びかけた。
あたりをゆっくりと歩き、会う人、会う人ごとに励ます。役員が気を遣わせまいと、物陰に身を隠す。すると裏に回って「隠れなくてもいいんだ」。一通り歩くと「きょうの研修は終わりにしよう」。指導めいたことは一切ない。拍子抜けした。
その夜の質問会で会長に問いかけた。
「権威主義の人間を出さないためには、どうすればいいですか」
会長は「だから今朝、研修したんじゃないか」
あっ・・・・・。
目が覚めた。これまでの自分の振る舞いを思い返す。
独立、自主の気風を尊重する国で、メンバーの気持ちを十分に汲み取っていたか。一人一人の特性を生かそうと真剣だったか。
会長は、アメリカの幹部や青年との懇談のなかから、要望を受けて、いくつかの提案をしてきた。
①財政の透明化・・・・収支報告を明確にする。金銭問題を起こす幹部に常に厳しい。
②法人会則の明文化・・・・・リーダー個人の資質に左右されないシステムの整備を。「成功したアメリカ企業は、強いリーダーシップとルールが厳格である」
③会員第一の精神・・・・・・「暖かさを失ってはならない。会員を大切にしないと、組織が壊される」
④合議制の実施・・・・・上意下達は時代遅れだ。組織の打ち出しを一方的に落とすような会議は行き詰る。
⑤文化本部の設置・・・・・医学者、法律家、教育者らの特性を生かす場を設けてはどうか。
これは、ほんの一端である。
日本の組織と一線を画した上で、アメリカをSGIのモデルケースにしようとの意図がうかがえる。