海外渡航には厳しい規制があった。今日のように、単なる視察や観光目的では許可は下りない。
こころみに、1963年発行・大蔵省海外旅行調査会監修の『海外旅行の手引き』を開いてみよう。
たとえば、次の要件に該当する場合、渡航は認められない。
「その渡航の通常の業務からいって、あるいはその渡航者の業務の取り扱い量からみて、海外に渡航することの必然性を認めがたいようなもの」
池田会長は商社マンでもない。留学生でもない。報道関係者でもない。まして政府要人でもない。その場合は「一般外貨渡航審査連絡会」なる機関の審査を受けるしかない。
この審査がまた煩雑このうえなかった。
まず、渡航目的や行為の詳細、費用の見積もりなどを明示した各種申請書を日本銀行の外国為替局管理課に提出する。
次に、これら申請書の写しを持って、関係する五つの省庁を回れねばならない。大蔵省。外務省、通産省。経済企画庁。科学技術省。
それぞれの省庁を訪ね、担当者に渡航の趣旨を説明する。すべての省庁で、渡航の必然性が認められて、初めて渡航審査連絡会に案件が回る。
もとより交渉は難航を極めた。
旅行代理店で学会担当となった永井健雄。まだ駆け出しの新米社員だった。
相棒は、学会に新設された海外係りの黒柳明。「黒ヒョウ」と渾名された大柄の身体に汗を浮かべている。愛想はいいが、目は笑っていない。
二人が省庁回りを始めて、かれこれ一ヶ月。何度、門前払いを食わされようが、諦める気配がない。どの省庁でも、すっかり顔を覚えられた。
「またお前たちか!」
大蔵省の為替局管理課。ノンキャリアから叩き上げた課長補佐が窓口で睨みつけている。
「創価学会?最近できた新興宗教だろ。何しに行くんだよ」
江戸っ子なのか。チャキチャキのベランメエ口調、切り口上だ。
申請書の渡航目的には「文化交流」「世界平和」と記されている。しかし紙を一瞥するだけ。詳細も聞かずにつき返してくる。
無理もない。現地団体からの招聘状や契約書があれば有利だが、その種の書類は一切ない。アメリカでの団体の知名度も低い。現地のメンバーに有力者がいない。連絡網や指揮系統すらない。世界規模の教団として認知される要件は皆無に等しい。
「どうせ、貴重な外貨を浪費してくるだけだろ、やめとけ、やめとけ」
悪意はなさそうだが、頑固者、埒は一向に明かなかった。
池田会長から逐一、報告を受けた。そのつど勘どころを指摘した。
かつて戸田会長の事業破綻を打開するために、顧客のもとへ昼となく夜となく足を運んだ。礼を踏み、頭を下げた。
渉外は誠実第一だ。ただし卑屈になってはならない。あなどられてはならない。主張すべきことは確信を持って主張せよ。”渉外のホシ”を黒柳に伝えていく。
永井の労も労った。食事を共にし、近況や家族構成などを聞きながら気づかった。揮毫をしたためた書籍も贈った。
「学会員でもないし、旅行代理店のペーペーの若造にすぎない自分に・・・・・・」
高校球児だった永井。監督から叩き込まれた「体当たりで行け」がモットー。闘志に火がついた。会長の誠意に応えるため、自分なりに仏法を勉強し、役所の窓口で粘りに粘った。
「今回の渡航は、日本と世界の平和に必ず寄与します。すぐ結果がでるわけではありません。時間はかかります。でも、長い目で見てください。大事な大事な渡航なんです」
一方、熱血漢の黒柳。時には肩を怒らせ、テーブルを叩く。口角泡を飛ばして熱弁を振るう。省庁の廊下を行く人までもが、遠巻きにして見た。
「分かったよ」。ひと月半ほどたった頃、難物だった大蔵省の担当者が根負けしたように折れた。
渡航の案件は、ついに渡航審査連絡会に回された。