信濃町の学会本部あたりに、赤とんぼが飛び交い始めていた。
困り果てた顔で副理事長(当時)の北条浩が会長室に入ってきたのは、8月も半ば過ぎのことである。
「先生。どうしても、うまくいきません・・・・・」
渡米準備の件だった。
当局に渡航を申請してから、すでに1ヶ月。承認のメドすら立っていなかった。
出発は10月2日と決まっていたが、とうてい間に合いそうもない。日程の延期を進言するつもりだった。その理由を会長に列挙していく。
じっと聞いていた会長。北条の話が一段落するのを待って口を開いた。
「そうか。言いたいことは分かった。でも、私たちがやろうとしているのは、何のためだと思う?世界のための渡航じゃないか。そこを分かってもらいたい」
世界のため──。
北条には意外だった。
草創期、聖教新聞に「世界」という見出しは、まず見当たらない。
そもそも戸田城聖第二代会長ですら「東洋」とは口にしたが「世界」を明確に展望したことはない。学会員にとっては聞き慣れない、現実感に乏しい概念だった。
「向こうで、みんな待っているぞ。時は今だ。今しかない。渡航の日は変更しない」
北条の話は正論かもしれない。しかし未踏の道を行く以上、困難、障害は覚悟のうえである。出発日は予定通り。その一点は譲らない。
会長室を辞した北条は思った。会長の決意は固い、乾坤一擲、鵯越えの義経か、桶狭間の信長のようだ。
ジャーナリストも驚きの目を向けた。
「会長になって半年後。ほかの団体なら一番、不安定になる。トップ交代に伴う種々の変化が、すべて表面に出てくる。それを落ち着かせ、内部を固めなければならない時期だ」(五島勉)
第三代会長の誕生に学会全体が沸いていた。日を追って激増する会員数。それに伴う組織の改編、整備・・・・・・。
学会は最高幹部以下、国内の懸案事項だけで天手古舞いであった。