ニューヨークの乾いた空に、国連本部ビルが聳えている。
1960年(昭和35年)10月14日。日本人の一行がビルを仰ぎ見ていた。整然と並んだポールにたなびく国連加盟国の旗、旗、旗。イースト川を渡る風は強い。早くも晩秋の冷たさである。
第二次世界大戦の戦争状態を終結させたサンフランシスコ講和条約の発効から、やっと8年。日本は国際社会のテーブルの末端に、ようやく席をもらった程度の存在である。
トレンチコートに身を包んだ池田大作SGI会長。パナマ帽を手に、同行者を振り向いて微笑んだ。
「帽子をかぶった紳士は、見当たらないねえ」
同行の学会幹部たちが、面目なさげに頭をかいた。
会長のいでたちは、彼らが悩み抜いた末のアイデアである。どんな服装で国連本部を表敬すればよいのか。正直、見当もつかなかった。渡航直前、ニューヨークの雑誌を読みあさった。新宿の帽子屋でパナマ帽を買い求めた。最新のフォーマル・ファッションのはずだった。
初訪米。受け入れる現地スタッフは一人もいない。先発隊は無縁のこと。会館、拠点どころか、メンバーの連絡先すら、ほとんどつかめない。すべてが手探り状態のまま乗り込んだ。
ハワイ、西海岸を経て、ここニューヨークにやってきた。
国連本部では、第十五回通常総会を傍聴した。国連職員たちは怪訝そうに一行を見ている。池田会長は何事か想い巡らせながら議場を注視していた。
国連ビルから表通りに出た。マンハッタンの街角では、渋い顔をしたニューヨーカーたちがニュースペーパーを読んで毒づいている。前日にワールドシリーズ最終戦があり、地元ヤンキースが痛恨のサヨナラ負けを喫していた。
──日本人メジャーリーガーの活躍など夢のまた夢。日本から、はるかに遠く隔たった異国である。
訪米の計画が議論されていたころ。一人の学会幹部が、池田会長に質問した。
「海外には、ほとんど会員がいません。それなのに、どうして行かれるのですか」
つくづくと彼の目を見て答えた。
「30年後を見なさい。私が行った後には、必ず多くの学会員が歩く。今は分からなくてもいい。後で分かる。見ておきなさい」