一難去って、また一難。その連続だった。
外務省旅券課の窓口で引っかかった。若い役人が、学会に批判的な記事が載ったアメリカの新聞を持ち出した。
「学会さんは海外で、こんな悪口を書かれていますよ」
アメリカ側で入国を拒否される可能性があるのではないか。ねちねちとしつこい。なにも、この段階になって、わざわざ・・・・・・。
それでも永井は神妙に頭を下げた。なんとか穏便に事を運びたい。その横で、ぬっと巨躯が動いた。
「なにい・・・・・」
黒柳である。さんざん苦労させられ、タライ回しにされた挙げ句に、この嫌みか。ずいと永井を押しのけ、担当官の胸ぐらをつかまんばかりに詰め寄った。
「もう一遍、言ってみろ!」
場が凍りついた。
”やってしまった・・・・・。”永井は目をつぶった。ここまで慎重に組み上げたトランプカードの家が崩れてしまうのか。
なかば観念したが、意外や意外、がらりと役人の態度が変わっている。一喝されて、慌てている。どうやら公僕として一線を越えすぎたと気づいたらしい。
ハッと我に返った黒柳も態度を改める、やがて池田会長はじめ渡航者全員が手続きを済ませ、旅券の申請は通過した。
渡米を一週間後に控えた9月25日。静岡県内の戸田会長の墓前に、出発を報告する池田会長の姿があった。
同年5月3日の第三代会長就任式。その夜、東京・大田区小林町の自宅では常と変わらぬ献立が食卓にあった。
「お祝いのお赤飯でもと思ったのですけれども、お葬式にお赤飯は、おかしいですから」
香峰子夫人は、この日が池田家の葬式と覚悟を決めていた。
「お赤飯は用意していませんが、何か記念の品を差し上げたいと思います」
会長は応じた。「旅行カバンがいい。大きくて丈夫なものを」
10月2日。羽田空港、目の前には会長が幼少期を送った羽田の海。胸ポケットには戸田会長の写真。手には夫人が贈った心づくしの旅行カバンがあった。