「なんとしても、日本に本格的なオペラを呼びたい」
1981年(昭和56年)。日本の著名な実業家が、ミラノ・スカラ座に熱烈なラブコールを送った。
本場のオペラを日本に呼んでも、数人の歌手しか派遣されない。足りない分は日本の歌手でおぎなう。それが普通だった。
経済大国だが極東の島国。日本人のオペラへの関心や理解度は。大規模公演の受け入れ体制は。採算は取れるのか。
総裁のバディーニは腕組みをした。念のため、過去の資料を調べた。
「おや・・・・?」16年も前にスカラ座に乗り込んできた日本人がいるじゃないか。
ダイサク・イケダ・・・・
1965年(昭和40年)10月24日、会長のスカラ座招聘の意向がギリンゲッリ総裁に示されている。その後、日本公演の仮契約まで進んだが、費用の点で折り合いがつかなかった。
彼が創立した民音。日本の実業家よりも、優先すべき窓口ではないだろうか。どんな団体なのか。実績は。集客力は。今でも意欲はあるのか。
国の至宝であるスカラ座。重視すべきは”信用”である。宝を預けるのに、ふさわしいか否か。バディーニは、池田会長と民音を選択した。
1981年9月、世界最高峰のオペラが日本にやってきた。