「大江さん、すまんが、民音係りをやってくれんか?」
東京・江戸川の板金工・大江敏夫に、ひょんな話が舞い込んだのは、1964年である。好きな演歌が聞けるなら、二つ返事で民音推進委員を引き受けた。公演予定を告知し、チケット購入を啓蒙する。しかし、たちまち後悔させられた。
「音楽?映画?大江ちゃん、まず折伏だよ」「娯楽より仕事。商売繁盛を祈っているところだよ」
ガリ版刷りのパンフレットを携え、裕福な友人を訪ねると「労音さんのチケットを買ったから」
酒代を節約し、売れ残ったクラッシックのチケットを買った。快適な会場。心地よい空調。仕事の疲れが出て、ぐっすり眠ってしまった。
チケットが売れたら売れたで頭をかかえた。夜間金庫もない。こんな大金を持って夜を越すのか。江戸っ子が弱音を吐いた。
1966年(昭和41年)9月。「ノボシビルスク・バレエ団」がソ連から来日した。大江は元軍人。戦争末期、不可侵条約を一方的に破って攻め込んできたソ連が気に入らない。大江からすれば”敵国文化”だ。
だが高価なチケットが残った。仕方ない。開襟シャツに背広のいでたちで上野の会場へ。「すました感じが気に食わねえな」。満席のホールの照明が落とされた。
劇だときいたが、ストーリーは分からない。メロディも演歌ファンの大江には、なじまない。だが──こりゃ何という迫力だ。人間の中に、これほど圧倒的な感情がひそんでいるのか。気がつくと身体は前のめりになっていた。
よっぽど苦労したんだろう。命がけで技を磨いたんだろう。大したものだ。気がつくと、拍手喝采を送っていた。
まてよ・・・・・。ひょっとすると、池田先生が俺たちに教えたかったのは、この感動じゃないのか。
1970年代、池田会長の訪ソが続く。
コスイギン首相との会見。モスクワ大学からの名誉博士号。青年や教育者の交流もはじまった。食い入るように報道紙面を読んだ大江は、ちょっと自慢したい気持ちになった。
へへ、俺は本場のロシアバレエを観ているんだ。
67年(昭和42年)初夏。銀座の街角で、ある音楽評論家は、ひいきの靴磨きの女性に歩み寄った。創価学会の婦人部員のようだ。客待ちの間に聖教新聞を広げている。
軽い気持ちで、得意の舞台の話題を振ってみた。
「いやあ、この前のモーリス・ベジャール。素晴らしかったよ」。民音で観てきたばかりである。
女性は下を向いたまま、クリームを布につけ、シュッシュッと磨いていく。
「ああモーリス・ベジャールね!ベルギー国立二十世紀バレエ団でしょ」
さらっと話題についてくる。
おおっ!意表を突かれた。二十世紀最大の振付師だぞ。こんな街角のおばさんが、哲学や思想までも表現する。あの独創的なバレエに通じているのか。
「庶民が下駄履きで行ける音楽会であってほしい」
池田会長が願ったように、民音は庶民の支持を得て、独り立ちしようとしていた。