学会は人材ををもって城となすー。
青葉城址の指導は、今も広く語り継がれている。
「戸田会長の言葉は誰でも知っていた。けれど、それを言葉だけに終わらせず、現実のものとしたのは、池田先生です」(山田邦明)
なぜ、東北に「人材城」の指針を示したのか・・・・・・。
草創期、創価学会は、どこにあっても「貧乏人と病人の集まり」とさげすまれた。しかし東北では状況が異なっていた。いわゆる社会的な名士が次々と入会していったのである。
秋田市北部の港町・土崎。木造三階建ての「伊藤鉄工所」で家族が深刻な顔を突き合わせていた。伊藤家の三男・寅雄夫婦、四男・富雄の三人である。
「貞雄のやつ、東京で変な宗教にはまっているらしいな」
「ソウカガッカイとかなんとか言っているが、絶対にやめさせねば」
「そうだ、そうだ」
伊藤家は五男一女の六人兄弟。その末弟が東京に住む貞雄である。英会話学校に通うために上京。知り合った学会員から折伏されたのは昭和26年のことだった。
名士の家である。父親が創立した鉄工所は、油田開発や温泉、鉱山等の掘削で成功をおさめた。会社の施設も充実している。宿舎。食堂、娯楽施設、図書室まである。長男・福治が後を継ぎ、兄弟も何不自由なく暮らしていた。なのに、なぜ?
弟が入ったのは秋田では無名の宗教。一家にとって大事件だった。
旧家の誇りがある。三人は貞雄を呼び寄せ、脱会を迫った。
しかし理路整然とした仏法哲理を聞くうちに、三人が三人とも、ミイラ取りがミイラになってしまった。これと前後して、伊藤家と旧知の北潟家も教義に納得し、入会している。
こちらも負けず劣らずの名門。東北随一の繁華街・川反で江戸時代から続く醸造業を営み、豪壮な屋敷を構えている。
「伊藤さんや北潟さんが言うのなら」
国鉄職員。教員。経営者。地元の名士が続々と入会した。
仙台支部も結成された昭和26年当時から多士済々だった。
医師、教師、マスコミ人、警察官、実業家・・・・・。
むろん職業や社会的な立場で、人間の価値は決まらない。しかし東京の組織でさえ「背広を着ていれば人材」と言われた時代である。
東北は粒ぞろいだった。全国を歩く戸田会長の目にも、それは際立って映ったに違いない。歴史的にも数多くの偉人を輩出している。石川啄木、宮沢賢治、原敬、新渡戸稲造、米内光政、金田一京助・・・・。
著名な地理学者だった牧口常三郎初代会長は、自著『人生地理学』で、”山には人情を和らげ、人心を啓発する働きがある”と指摘している。
東北は人を育む土壌と気風がある。「人材で栄える」モデル地域になる。─学会の三代会長の洞察は一致していた。