和江は回りに頼ることをこの日からやめた。
同僚や家族、もちろん病気の彼も。
つらいとか悲しいなど、ネガティブな感情は一切自分の中から消し去った。
本社とのやりとりはそれからも続いた。
しかし、社員はもちろん派遣やアルバイトの同僚にも一切このことは話さないことにした。
祈りが誰かの気持ちを動かすなんて他力本願なものだと思ったことはなかった和江だが、このときばかりはそう願わずにはいられなかった。
やがて本社から人事の通達が部長に届いた。
左遷である。
しかし、その理由は結局本人には明かさぬまま、部長は和江の支社から姿を消した。
根本的な問題は未解決のままで腑に落ちない部分もかなりあったが、部署には平和が舞い込んだ。
「正直、あなたの行動には度肝抜かれたわ、何もできなくてごめんなさいね、でもみんな感謝してるわ」
和江はその一言だけでも救われた気がした。
それからのオフィスは同僚全員の和江に対するリスペクトに満ち溢れた。

肝心の洋は・・・というと、1ヶ月の休職後、会社に復帰したものの上司からのパワハラは収まらなかった。
和江がしたことが洋の会社でもうわさになっていて、むしろ洋は前よりも居づらくなってしまったのだ。
「たいしたもんだな、お前の彼女は、何か?これからは派遣の彼女に食わせてもらうか?」
上司からの心無い一言、苦笑いするしかない洋。

洋は和江との別れを考え始めた。
エンゲージ寸前の二人だったが、それを破棄し別れを切り出す・・・
洋の精神状態は錯乱していた。

セクハラで上司を訴えることなど今の日本、しかもこの田舎のまちではありえないことだ。

和江はそれも十分理解したうえでどうにか、この理不尽な問題を解決かつ当事者を追い込みたかった。

正義感に満ち溢れる和江にとってこのセクハラというやつはどうしても許せなかった。

部長は相変わらず何も知らずに、パワハラめいた言葉を部下に浴びせ、むしろ自分のストレスを解消しているかのようだった。


そんなある日本社から和江宛に一通のメールが届いた。

恐る恐る開く和江、その内容は、和江にとって100パーセント肯定的なものだった。

和江は一人笑顔を浮かべ、その時を待った。


しかし、同僚や上司はそれとは裏腹に消極的になっていくのが理解できなかった。

和江は女子社員全員のために立ち上がったのに・・・


「今日、本社からメールが来たよ、本格的に調査に乗り出すからって。みんなも協力してくれるよね?」

「・・・そこまでやっちゃうの?」と亜樹。

「今更何?みんな乗り気だったじゃん!」

「まさか、本社が動くとは思わなかったよ。」

「部長をどうにかするチャンスだよ、協力して!」


その夜、和江は今まで以上に真剣に祈った。

洋とのこと、家族のこと、これからのことを真剣に祈っているうちに、涙かあふれてきた。

誰が自分を愛してくれているのか、彼氏?友達?家族?

誰一人として和江に力を貸してくれる人が居ないように感じてきたのだ。

そして、祈りながら気がついたこと、最大の敵は自分自身、この弱い自分に勝つための試練だと考えられるようになってきたのだ。

祈りはとうに一時間を越えていた。


家族はそんな和江を見ながら影で支えるしかなかった。

神経内科に通い始めた洋は、一緒に暮らしている母親にも事情を説明した。
「そんなに、一生懸命にならなくてもいいのよ、和江さんにもそのうちわかってもらえるでしょ、お母さんね、今日、教会行ってくるからその時にしっかりお祈りしてくるね。」
「う、うん、心配かけてごめんね」
特にマザコンというわけではないけれど、母親が子を心配するのは当然なことでましてや男の子ならなおさらだ。
「お姉ちゃんが心臓の手術したときも、いっぱい教会いってお祈りしたのよ、おかげ見事、成功したでしょ、洋も大丈夫よ!」
この教会ってやつ、洋は深く聞いたことはないんだけど、キリスト教ではない、何かの宗教なのだ、新興宗教だと思うが、母親が熱心になって以来、我が家にはいい影響をもたらしているのも確か。
姉の心臓がよくなったのもこのおかげだと思っている。
洋はよくわからないおけれど、否定する気にはなれなかった、むしろ肯定していた。
母との会話でなんだか心が晴れた。
その夜も和江とSkypeで会話をした。

「調子どお?」
「悪くないよ、今日も神経内科行ってきたし。」
「先生なんて?大丈夫って?」
「まあね、それより、会社はどう?なんか変化あり?」
「少しずつ動いてるよ、まずは目撃者の証言集めから、でもみんな最初より消極的なんだよね~」
正義感に満ちあふれた和江は部長を社会的に制裁してやろうと水面下で動いているのだ。
「まあ、みんな和江みたく強くないからね、俺は今日、母さんに打ち明けたよ」
「なんて言ってた?」
「心配すんなって言われた、うちの母さん、RH教会って宗教で教会に行ってるんだけど、そこでしっかり祈ってくるからってさ~、姉ちゃんもそれで心臓治ったんだ、なんか少しすっきりしたよ」
「・・・・」
和江はまたも絶句に追い込まれた。
この人、お母さんの宗教のこと一言も話してくれたことがなかった上に私の宗教は反対してるっぽい。
マザコン?まさかね。
「洋は信仰してるの?」
「いや、俺は教会にも行ったことないけど、なんか最近そこはいいって噂きくよ」
「そう、じゃ一生懸命やったらいいじゃない、治るんじゃない?」
「俺はそんなんじゃないから、無宗教派だから、当分は医者に行って様子みる」
この人ってまったく理解してないみたい、私が今まで伝えたかったことが何一つ伝わってない。
「じゃ、お風呂入るから、また、明日ね」
これ以上、洋と会話する気になれない和江はそうそうに切った。

翌日、会社では同僚とその話になった。
「なんか、洋ってよくわかんないかも」
「なんかあったの?」
と和江の一番仲好しの同僚、亜樹が相談に乗っていた。
「私の宗教は割と否定気味なのに、お母さんが信仰しているのは賛成らしい」
「お母さんは何なの?なんの宗教?」
「ほらなんかさ、最近話題のやつあるじゃん、教祖様がいてさ、手をかざすと良くなったりさ、教会があるらしいよ」
「あ~なんだっけ?RH教会だっけ?」
「そうそう、それはOKなんだって」
「でも、洋さんは和と付き合うとき、宗教のこは理解するって言ったんでしょ?」
「うん、でも忘れたのか、どうでもいいと思ってるのか、いまいちわからない」
亜樹は無宗教だが和江の宗教は知っている、和江がとても良い子だからむしろその宗教に対する偏見もなくなったくらいなのだ。
「しかし、弱いね~和はこんなに頑張っているのに、1ヶ月休職って、洋さん結婚なんてできんのかね?」
「有意義らしいよ、休職中が。なんかわかんなくなってきちゃった」