「ヘパーデン結節」という症例がある。

患者は特に女性に多く、歳をとるに従いエストロゲンの不足から手指が曲がりにくくなったり、反対にバネ指といって、指を曲げると曲がりっぱなしで元に戻らなくなったり、指に力が入らなくなったりする。

若い頃に指を駆使した高齢者に多い症例だ。


去年の今頃、職を失っていた私は某食品会社で、通販課お歳暮データ入力の短期派遣として働いていた。

その際派遣会社から「実は一番忙しい年末の4日間、接客案内担当の方がお休みをとられるそうなので、その期間だけ、接客案内の仕事をやってもらえませんか?」と打診された。

「接客案内かぁ」と思いながらも(まぁそれで稼げるのなら、年末は暇だし)と軽い気持ちで承知した。


で、接客案内仕事の初日。

目が回る程、怒涛の忙しさではあったが、適性があったのか私はベテランの如く接客案内に精を出していた。

この現場が初めてだと言い右往左往している正社員に(なぜか初日で要領を得た私が)あれこれ指示を出し、スムーズにお客様を誘導する。

「心は高級ホテルのベルボーイ」と自身に暗示をかけ、入り口ドアの開閉を挨拶と共に繰り返し、混みあってきた際のお客様の整列は「ライブの入場列案内スタッフ」を参考に「こちらに順番にお並び下さいませ~」と丁寧に案内する。

(人生何が役立つか判らないもんだな)などとひとりごちつつ、ここぞとばかりの笑顔と、それまでに行っていたデータ入力作業で蓄えた商品知識をフル活用した説明で(笑)次々来訪するお客様の要望に応えること数時間。

とある高齢のお客様が訪れた。


聞けば「宅急便で商品を送りたい」との事。

家族から送り先を書いた紙を渡され「この人達に送らなくてはならない」と。

が、この職場で接客案内の仕事を始めた時「宅急便の伝票は個人で書いてもらうように」と指示を受けていた。

その話をお客様に伝えた際、そのお客様は「伝票を書きたいんだけど指に力が入らない」と話された。

指を見れば明らかなヘパーデン結節だった。

私ははしばし悩んだ。

指示通りに全部お客様に書いてもらうか、それとも手助けした方が良いのか。

お客様が伝票に書き始めた字は(失礼ながら)ほぼミミズが這ったような有り様。

ペンを握っても力が入らないらしく、4枚綴りの伝票記入はかなり辛そうに見えた。よほど痛みがあるのだろう。

私は見ているだけというのが耐えられなくなってきた。

その時、幸い私の周りにはそのお客様以外誰もいなかった。

商品の梱包係も会計係も別のお客様の接客中でこちらに注意が向いていない。

「よし!」と思い立った私は、後から叱られるのを覚悟でお客様にこっそり話した。

「伝票にはご自分のご住所のみをお書き下さい。宛先は私が代わりに書きます」と。

するとお客様は「あなたはいい人だね。ありがとう、ありがとう」と何度も言ってくれた。

昔、事務職で鍛えた伝票を速く記入する技がここで役に立ち、伝票をたった数分で書き終えた私は、素知らぬ顔でそれを渡し、お客様を送る手配の場所まで案内した。


案内の最中、お客様が「私、いちご農家をやっててね、若い頃から今朝まで毎日いちごを収穫してたから、指がうまく曲がらなくなってしまったんだよ。今日も自分で伝票を書かなくてはならないと言われた時はどうしようかと思ったけれど、あなたに助けてもらえて本当に良かった」と笑顔で話された。

私が「お若い頃からご苦労なさったのですね」と返答した所「初めて労われた。あなたは優しい人だね。来年もここに買いにくるよ!」とお客様は喜ばれた。

私の勤務がその年限りということは伝えられなかったが、その瞬間「報われた」と思った。

後でどれだけ叱られようが所詮は短期4日間。

きっとどうにかなると気持ちを切り替えた。


決まりを守らなくてはならないのは当然。

でも困っている人を見過ごせないのもまた事実。

原則はあくまでも原則、場合によっては例外もありうる、と昔上司に教わったことがある。これはまさにその事例。

結果的に私の行為は一人の方を笑顔にした。

それで良かったのだと思った。


後、その行為を叱られずに済んだ私は、無事4日間の派遣を終えた。


先日、派遣会社から連絡があった。

「今は別の所で働いていらっしゃることは知っていて、ダメ元でお電話したのですが、去年のあなたの接客が素晴らしかったので今年も是非お願いしたいと先方から依頼があったのですが、いかがですか?」と。

「残念ながら今年は難しいです」とお断りしたが、少なくとも私はあのお客様のお役には立てたのだろう。


今年もその季節がやってきた。

いちごの販売所を見る度、私はあのお客様を思い出す。

ヘパーデン結節は良くなっただろうか。

今年もあのお店に買いにこられるのだろうか。


「接客案内」という初めての経験で、私もあのお客様からかけがえのない想い出と自信を頂くことができた。

あの時のお客様に私の方こそお礼が言いたい。

ありがとう。今年もお元気で、と。