居場所の最小限は4畳半~6畳 | ejiratsu-blog

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方丈の子供部屋

日本の正方形街区の変遷2~近世・近代

日本住居集合論~51C型の前と後の階段室型

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 日本の人々は、昔も今も、個人も集団も、最小限の居場所として、次のように、4畳半~6畳(7.5~9.9㎡)程度の広さを、繰り返し使ってきました。

 

○鴨長明の『方丈記』の草庵(方丈):9.2㎡(2.8坪)

 方丈とは、1丈(3.03m=10尺)四方の平面なので、床面積が9.2㎡(2.8坪、5.6畳)です。

 方丈はもともと、大乗仏教の経典『維摩経(ゆいまきょう)』に登場する、維摩居士(こじ)の小室が起源で、文殊菩薩ら一行が訪問し、そこに全員入室して問答したとされています。

 そののち、中国・唐の皇帝(2代・太宗か3代・高宗)が、使者の王玄策(おおげんさく)に、その居室を実測させると、1丈四方しかなかったとの故事があります。

 そこから、狭小な方丈には、宇宙が内在しているとされ、仏寺(特に禅寺)の境内で、住職(指導僧)が修行僧と生活・接客する居住施設が、方丈といわれるようになり(規模は、3m四方よりも、はるかに巨大です)、その周囲に枯山水等の庭園が発達しました。

 維摩居士は、古代インドの裕福な商人で、釈迦の在家の弟子であり、彼が病気になった際に、釈迦は、弟子達に見舞に行くよういいましたが、弟子達は、以前に彼との問答でやり込められていたので、皆断って誰も行こうとせず、結局、知恵のある文殊菩薩が代表して訪問し、彼と問答しました。

 維摩居士の病気の原因は、人々に寄り添い、彼らの苦悩に向き合ったからで、人々を救済しないと完治せず、そのためには、彼らが執着した欲望(煩悩)を取り除くことが必要で、その根源を考察し、言葉(方便)で自由な境地へ解放(解脱)することが菩薩(修行僧)の役割だといっています。

 日本で維摩居士の方丈を真似したのは、鴨長明(平安末期~鎌倉初期の歌人・文人)で、彼は、加齢とともに、住戸規模をしだいに狭小し、世間とも希薄になりました。

 そして、晩年(文中では、60歳ですが、実際は、約58歳)に、京都・日野(現・伏見区)で、隠遁生活した草庵を方丈とし、そこで『方丈記』を執筆しました。

 その前半では、長明が体験した自然災害や社会情勢(大火・大風・福原遷都・飢饉と疫病・巨大地震の5大災難)を描写し、そこから自然・人間・社会や家族・住宅は、常時転変(生滅・栄枯・盛衰・興亡)を繰り返し、特に住人(主/あるじ)と住宅(栖/すみか)は無常だといっています。

 その後半では、長明の生活が紹介されており、実際の草庵は、仮設的で(移築可)、1丈四方の平面に天井高7尺(2.12m)、南面では、竹のスノコの濡縁があり、その西端には、供物用の棚を設置、東面では、3尺(90.9cm)の庇を張り出し、室内側を寝床、室外側を炊事場としています。

 また、西面の北側では、阿弥陀如来画像(天台浄土教)と普賢菩薩画像(天台法華教学)が並んで祀られ、その前方には、『法華経』が安置されています。

 さらに、西面の南側では、書物(歌集・楽譜・源信の『往生要集』)を、壁に吊られた棚の箱に収め、楽器(琴・琵琶)を壁に立て掛け、その南北は、障子の衝立で間仕切っています。

 よって、方丈の西半分の北西部は、信仰領域、南西部は、遊興領域、東半分は、就寝領域と、ゆるやかに区分され、北風や西日を遮断するため、北面と西面を壁にする一方、日照・通風等の環境条件のよい南面と東面を外界に開放し、居心地よくすることで、周囲から四季の自然を享受しました。

 

○草庵風茶室の4畳半:7.5㎡(2.3坪)

 草庵風茶室は、唐物をはじめとする名物の茶道具での書院風茶室に対抗するように、ワビ茶が確立される中で、村田珠光→武野紹鴎→千利休が発達させ、4畳半を基本としつつも、3畳→2畳へと極小化しました。

 ちなみに、書院造とは、平安期以降の貴族の住宅様式である寝殿造が発展した、室町期以降の武家の住宅様式で、接客・対面の場に活用され、1棟を障子・襖(ふすま)・板戸や土壁等で間仕切り、床が畳敷で、床の間・違い棚・付書院・帳台構え等、備え付けの座敷飾りが特徴です。

 4畳半の書院造は、銀閣寺(慈照寺)の東求(とうぐ)堂の同仁斎(どうじんさい)が有名で(現存最古)、これは、足利義政(室町幕府8代将軍)が、書斎として使用しましたが、炉が切られていたので、茶室の始まりだと、結び付けられるようになったようです。

 これらを真・行・草でいえば、書院風茶室(書院造)は、真で、草庵風茶室(数寄屋造)は、草といえ、4畳半は、その両者の境目に位置づけられていることになります。

 

○裏長屋の棟割長屋の9尺2間:9.9㎡(3坪)

 裏長屋とは、江戸期の大都市の町人地で発達した、表通りに面していない、裏路地にある庶民用の借家で、その最小単位が、2住戸を背中合わせにして連ね、切妻屋根の平入とした、棟割(むねわり)長屋の9尺2間でした(屋根の棟部分が背後の隣戸との界壁になります)。

 たとえば、江戸(東京)の町人地は、平安京の正方形の町割が手本で(1街区が縦・横ともに内法/うちのりで40丈)、京間60間(約120m)四方の町割を基本とし、街区外周の表通りには、商店(店・見世/みせ)・土蔵や、裕福な商人・職人用の住宅が配置されました(表店/おもてだな)。

 一方、街区中央の残り(会所地)には、庶民用の長屋が配置され(裏店/うらだな)、1住戸で数人(2~4人)が住み、長屋の出入口には、治安維持のため、木戸が設置されていました(明け六つ/午前6時頃に開けられ、暮れ六つ/午後6時頃に閉じられていたようです)。

 棟割長屋は、間口2.73m(9尺、1尺=約30.3㎝)×奥行3.64m(2間、1間=1.82m=6尺)の平面なので、床面積が9.9㎡(3坪、6畳)です。

 その手前側の9尺×0.5間(3尺)が、土間の出入口・水瓶(かめ)に座り流し・竈(かまど、へっつい)、奥側の9尺×1.5間(9尺)が、4畳半の居室で、採光・通風は、出入口側の引き違いの腰障子のみでした。

 上水・排便は、長屋内の共同の井戸(井戸端会議で社交・情報交換)・便所(厠/かわや)、下水・ゴミ処理は、通路の蓋(ふた)板付の溝(どぶ)・共同の掃き溜めで、糞尿・ゴミは、回収業者が堆肥化・リサイクルし、入浴は、長屋外の銭湯(湯屋、蒸し風呂)でした。

 つまり、日本の庶民住宅史を大雑把にみると、竪穴住居にも、炉(ろ)・竈があり、長屋にも、当初から台所があったので、そこから便所・風呂等の水廻りを、住戸内に取り込み、全部の住機能を内部化していった歴史といえます。

 

○木賃アパートの4畳半+台所・押入:9.9㎡(3坪)

 木賃(もくちん)アパートとは、民間経営の木造賃貸の単身者用共同住宅で、かつては、地元で土地を所有する家主、街中にある零細の工務店・不動産屋、独身の入居者の、個人的なつながりで成立し、公共的な組織・政策とは無縁で、公営住宅・公団住宅等の対極にありました。

 これは、裏長屋の9尺2間を受け継いだといえ、裏長屋と同様、隣戸とのプライバシーが皆無で、その基本単位は、便所なし・風呂なし・洗濯場なしの、4畳半(7.5㎡)+台所・押入付、床面積が9.9㎡(3坪、6畳)になり、これは、住み替えを前提とした、住宅すごろくの最初の段階でした。

 木賃アパートの生活者は、家族・郷里から解放され、匿名的で、通勤・通学時間が短縮できるか、独身から結婚・出産等へと生活が変化すれば、すぐに引っ越したので、定住と旅行の間に位置づけられる、都市遊牧民といえます。

 そうなると、家主・不動産屋も、頻繁に入れ替わるのを前提に、賃貸契約の最低年限を2年とし、月々の家賃だけでなく、敷金・礼金・仲介手数料・契約更新料等でも、もうけることになりました。

 木賃アパートの住戸配列形式は、中(内)廊下型と、片(外)廊下型に、大別できます。

 中廊下型は、食事付で同居する家主と疑似家族的なつながりをもつ、旅館下宿が原型で、そこから各住戸の台所付が発展したので、床面積は、旅館下宿と同様、4畳半(7.5㎡)か6畳(9.9㎡)の一間(ワンルーム、1R)の狭小になりがちです。

 他方、片廊下型は、中廊下型のような狭小だと、集積が非効率なので、各住戸の平面を細長形にし、台所・便所付の一間(1K)か二間(2K)になり、こちらは、現在のアパートの典型といえ、床面積も、20㎡(6.1坪、12.1畳)程度です。

 

○茶の間の4畳半:7.5㎡(2.3坪)

 日本の近現代の中流家庭の住宅は、床座の和室から、椅子座の洋室へと、変化しましたが、一挙に転換したのではなく、最初は、玄関脇にソファー座の応接間が設置され、しだいに続き間の座敷が消滅し、最後は、リビング・ダイニングに続く和室がなくなりつつあります。

 これらは、来客用の領域の減少で、それに取って代わって増加したのが、家族用の領域ですが、リビング・ダイニングに改変される過渡期には、4畳半の畳敷の茶の間が定着していました(茶の間という命名は、茶の湯の間=茶室が由来のようです)。

 茶の間では、家族が円形のチャブ台か方形のコタツを取り囲み、団欒と食事を兼用しましたが(大正期の生活改善運動で、一家団欒が提唱されました)、やがて、テレビが普及すると、向かい合うダイニングの食卓と、一方向に注視・傾聴するリビングのソファーに、区分されるようになりました。

 こうして、近年は、家族の外見的な一体感があった茶の間から、各人が別々のことをしていても、付かず離れずのLDKへと、変容しています。

 

○ホテル・旅館のシングル・ルームの限界:7~9㎡(2.1~2.7坪)

 日本の旅館業法(1948年に施行)の施設基準は、シングル1客室の床面積が、和室(ベッドなし)の場合には、7㎡以上、洋室(ベッドあり)の場合には、9㎡以上と規定されています。

 7㎡は、4.2畳(2.1坪)、9㎡は、5.4畳(2.7坪)に相当し、これらは、それぞれ4.5畳と6畳が意識されているようです。

 ただし、同じ1客室でも、ホテルの洋室の9㎡以上は、付設が必要な便所+風呂かシャワーを含める一方、旅館の和室の7㎡以上は、床の間・押入・水廻り等を含めずに算定するようですが、両者を勘案すると、おおむね4.5~6畳が最小単位とみることができます。

 

○黒川紀章の中銀カプセルタワービル(1972年):9.4㎡(2.8坪)

 カプセル化した住居等のユニットを、巨大な構造体(メガストラクチャー)に取り付け、カプセルが新陳代謝することで、都市機能を満足させるという発想は、メタボリズム・グループの提案が有名ですが(1960年~)、そのメンバーの黒川紀章が実現化したのが、中銀カプセルタワービルです。

 中銀の住居カプセルは、単身者用の都心型別荘として、140戸が提供され、外形が間口2.5m×奥行4m×高さ2.5m、内法が2.3m×3.8m・天上高2.1mなので、壁芯が2.4m×3.9mで、床面積が9.4㎡(2.8坪、5.7畳)です。

 カプセルには、オフィス・ホテル・マンションの3タイプがあり、ベッド・冷蔵庫・テレビ・時計・収納家具が標準装備で、その他にオプションも用意され、すべてがビルト・インされています。

 丸窓は、はめ殺しと内開きの二重の透明板ガラスで、その隙間の中心に、扇子状に開閉できる、丸型ブラインドが組み込まれています。

 水廻りは、1116程度の便器・浴槽・洗面の3点ユニットを、隅切りすることで、室内の圧迫感を軽減し、便器と洗面を斜めに対面配置させることで、各々のスペースを確保しています。

 おもしろいことに、中銀は、アーキグラム・グループのプラグ・イン・シティ(1964年)で主張された、コンセントにプラグを差し込むように、消耗したカプセルを簡単・自由に取り替え・使い捨てることになっていません。

 その真逆で、インフラのタワーが解体・更地になった一方、23戸のカプセルが救出・保存されており、本来なら、不変・不動のスケルトンと、変化・変動のインフィルを、使い分けるはずなのに、スケルトンが軽視され、インフィルが重視される結果となっています。

 余談ですが、視覚化された住居カプセルは、ほとんど普及しませんでしたが、ホテルのシングル・ルームよりも安価なカプセル・ホテルは、都市に定着し、その世界初のカプセル・イン大阪(1979年)のFRP(繊維強化プラスチック)製のベッド・カプセルは、黒川紀章が設計しています。

 ここまでみると、ワンルーム・マンションでさえ、まだ掃き出し窓とベランダが必要とされるように、密閉容器という意味のカプセルは、住居の規模だと、一方だけでも、外界に開きたいですが、ベッドの規模になって、はじめて、閉じたくなるのではないでしょうか。

 

○4畳半~6畳がワンルームの限界:7.5~9.9㎡(2.3~3坪)

 近年は、キッチン・トイレ・バスタブかシャワー・冷蔵庫・洗濯機が、住戸内に必須になったうえ、特に東京は、家賃が高騰していったので、独り暮らしの負担を軽減しようと、9~10㎡程度の最小限の床面積に、これらの設備機器を詰め込んだワンルームが、散見されるようになりました。

 その中でも顕著なのが、SPILYTUS(スピリタス)のQUQURI(ククリ)・シリーズで、床面積は、9㎡+ロフト4㎡(住戸床面積の1/2以下で、天井高1.4m以下)=13㎡(3.9坪、7.9畳)程度です。

 居室にベッドを設置すれば、それで一杯になるほど、極端に狭い分、天井を3.5m前後と高くし、壮年・老年には、ロフトへのハシゴでの昇り降りが大変なので、単身若者が対象で、道路や隣家と接近しているため、バルコニーがなく、窓も型板ガラスなので、カプセル的です。

 この狭小は、少し遠く離れて見たいテレビより、近くで見るスマホやパソコンに依存する、若者の生活に対応しているともいえますが、東京でも、駅近の立地を厳選したうえでの、住戸の高密集積なので、都心の特殊解といえるでしょう。

 住戸配列形式は、中(内)廊下型で、9㎡は、約6畳なので、前述した、旅館下宿が原型の木賃アパートと類似しますが、こちらは、最小限の共用部分(廊下・階段・出入口)で、セキュリティも、住人達の目でなく、オートロックとなっています。

 

 パリの条令(2002年)によると、賃貸住宅は、延床面積が、単身者で9㎡以上、2人で16㎡以上(3人以降は、1人増えるごとに9㎡を加えます)、屋根裏等の勾配天井の場合には、20㎡以上が必要で、天井高2.2m以上と規定されています(日本の居室の天井高は、2.1m以上です)。

 インド・中国での維摩居士の方丈(9.2㎡)も考慮すると、日本も海外も、9㎡(≒6畳)や20㎡(≒12畳)の広さを、最低限の標準的な基準として使っており、これは、人間的な尺度が、おおむね共通しているからだと、いえるのではないでしょうか。

 国土交通省の住生活基本計画では、単身者の最低居住面積水準を25㎡(≒15畳)に設定していますが、特に東京では、理想と現実が掛け離れています。