親鸞・唯円「歎異抄」読解3~15-18条 | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

〇第15条

・一、煩悩具足の身をもって、すでに悟りを開くと言うこと。

 

《15、煩悩を備え持つ身によって、すでに悟りを開いているということ。》

 

・この条、もっての外(ほか)のことに候う。

 

《この条項は、とんでもないことである。》

 

・即身成仏は真言秘教の本意、三密行業の証果なり。六根清浄(しょうじょう)はまた法花(ほっけ)一乗の所説、四安楽の行の感徳なり。これ皆、難行上根のつとめ、観念成就の悟りなり。来生の開覚は他力浄土の宗旨、信心決定(けつじょう)の通故なり。これまた易行下根のつとめ、不簡(ふけん)善悪の法なり。

 

《即身成仏は、真言密教の本意で、3密(手に印を結び、口に真言を唱え、心に大日如来を思う)の修行で、悟りの成果を得るのだ。6根(眼・耳・鼻・舌・身・意)清浄は、また、法華一乗の教説で、4安楽(身・口・意・誓願)の修行の功徳(善行)なのだ。これは、すべて、難行(困難な修行)・生まれつき優れた人がつとめ、観念を成就する悟りなのだ。来世に生まれ変わって、悟りを開くことは、他力浄土の宗旨で、信心が必ず通じるからなのだ。これは、また、易行(容易な修行)・生まれつき劣った人がつとめ、善か悪かを選ばない教えなのだ。》

 

・おおよそ今生においては、煩悩・悪障を断ぜんこと、極めてありがたき間、真言・法華を行ずる浄侶、なお(猶)もって順次生(じゅんじしょう)の悟りを祈る。いか(如何)にいわん(況)や、戒行・慧解とも(倶)になしといえども、弥陀の願船に乗じて、生死の苦海を渡り、報土の岸に着きぬるものならば、煩悩の黒雲早く晴れ、法性(ほっしょう)の覚月速(すみ)やかに現れて、尽十方の無碍の光明に一味にして、一切の衆生を利益せん時にこそ、悟りにては候(そうろ)え。

 

《だいたい現世において、煩悩・悪の障害を断絶しようとすることは、とても、めったにないことで、真言・法華を修行する高僧でさえも、それで順序よく、生まれ変わった次の世での悟りを祈る。どうして、ましてや、戒律を守って修行に励まず、智恵で理解もしないといっても、阿弥陀仏の本願の船に乗って、生死の苦しい海を渡り、本当の浄土の対岸に到着したならば、煩悩の黒い雲が、すぐに晴れて、真実の悟りの月が、すぐに現われて、全世界が障害のない光明とひとつになり、すべての人々に、利益しようとする時に、悟りによってあるのは、なおさらだ。》

 

・この身をもって悟りを開くと候(そうろ)うなる人は、釈尊のごとく種々の応化の身をも現じ、三十二相・八十随形好をも具足して、説法利益候うにや。これをこそ、今生に悟りを開く本とは申し候え。『和讃』に曰(いわ)く、「金剛堅固の信心の定まる時を待ちえ(得)てぞ、弥陀の心光摂護して、長く生死を隔(へだ)てける」と候えば、信心の定まる時に、一(ひと)たび摂取して捨て給(たま)わざれば、六道に輪廻すべからず。しか(然)れば、長く生死をば隔て候うぞかし。かくのごとく知るを、悟るとは言い紛(まぎ)らかすべきや。哀(あわ)れに候うをや。

 

《この身によって、悟りを開くことがある人は、釈迦のように、様々に適応・変化した身で現われ、32の様相・80の付随する形相も備え持ち、教説の利益があるのだ。これを、現世に悟りを開く根本と申すことがあるのだ。『和讃』(高僧を称賛する歌謡)には、「ダイヤモンドのように強固な信心が、定まる時を待つことができて、阿弥陀仏の心の光を摂取・守護されて、長く生死を隔てられる」とあるので、信心が定まる時に、一度摂取して捨てなければ、6道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道)に輪廻するはずがない。そうであれば、長く生死を隔てられることがあるのだよ。このように知ることを、悟りといって話しを乱すべきなのか。同情することがあるのか。》

 

・「浄土真宗には、今生に本願を信じて、かの土にして悟りをば開くと習い候うぞ」とこそ、故聖人の仰(おお)せには候いしか。

 

《「浄土真宗には、現世に本願を信じて、あの浄土で悟りを開くと習うことがある」という、故・(親鸞)聖人のお言葉があるのだ。》

 

 

〇第16条

・一、信心の行者、自然に腹をも立て、悪(あ)し様なる事をも犯(おか)し、同朋・同侶にも会いて口論をもしては、必ず廻心(えしん)すべしと言うこと。

 

《16、信心の修行者は、自然に腹も立て、悪い様相のことも犯し、仲間にも会って、口論もすれば、必ず廻心(自力を翻し、他力に任せるよう改心すること)することができるということ。》

 

・この条、断悪修善の心地か。

 

《この条項は、悪を断絶し、善を修得する心地なのか。》

 

・一向専修の人においては、廻心(えしん)と言うこと、ただ一(ひと)たびあるべし。その廻心は、日頃、本願他力真宗を知らざる人、弥陀の知恵を賜(たまわ)りて、「日頃の心にては往生叶(かな)うべからずと思いて、本の心を引き変えて、本願を頼(たの)み参らするをこそ、廻心とは申し候(そうろ)え。

 

《一向宗の専修念仏(ひたすら念仏を唱えるだけ)の人において、廻心ということは、ただ一度あるはずだ。その廻心は、日頃、本願他力の浄土真宗を知らない人が、阿弥陀仏の智恵を授かって、「日頃の心では、往生がかなうことができないと思って、根本の心を引き変えて、本願を頼りにすることを、廻心と申すことがあるのだ。》

 

・一切の事に、朝(あした)・夕(ゆうべ)に廻心して、往生を遂(と)げ候うべくは、人の命は、出(い)ずる息、入るほどを待たずして終わることなれば、廻心もせず、柔和・忍辱の思いにも住せざらん前(さき)に命尽(つ)きば、摂取不捨の誓願は虚(むな)しくならせ御座(おわ)しますべきにや。

 

《すべてのことに、朝・夕で廻心して、往生を成し遂げることができるのであれば、人の命は、出した息が、入るのを待たないで終わるほどなので、廻心もせずに、落ち着き・耐え忍ぶ思いも、安住しない前に、命が尽きれば、摂取・捨てない誓願は、空虚になることがあるのだろうか。》

 

・口には「願力を頼み奉(たてまつ)る」と言いて、心には「さ(然)こそ悪人を助けんと言う願、不思議に坐(ま)しますと言うとも、さすが(流石)善(よ)からん者をこそ助け給(たま)わんずれ」と思うほどに、願力を疑い、他力を頼み参らする心欠けて、辺地の生を受けんこと、もっとも(尤)歎(なげ)き思い給うべきことなり。

 

《口では、「本願力を頼りにする」といって、心では、「そのように悪人を助けようという本願が、不思議さにあるといっても、やはり善人を助けよう」と思うほど、本願力を疑い、他力を頼りにする心が欠けていて、辺地の浄土での生まれ変わりを受けることを、最もなげき思うべきことなのだ。》

 

・信心定まりなば、往生は弥陀に計られ参らせてすることなれば、わが計らいなるべからず。悪(わろ)からんにつけても、いよいよ願力を仰(あお)ぎ参らせば、自然の理(ことわり)にて、柔和・忍辱の心も出(い)で来(く)べし。すべて万(よろず)の事につけて、往生には賢き思いを具せずして、ただ惚(ほ)れ惚(ぼ)れと弥陀の御恩の深重なること、常は思い出(いだ)し参らすべし。しか(然)れば念仏も申され候う。これ自然なり。わが計らわざるを、自然と申すなり。これすなわち他力にて坐(ま)します。

 

《信心が定まれば、往生は、阿弥陀仏に計らわれてすることになれば、私の計らいになるはずがない。悪くても、充分に本願力を尊敬すれば、自然の摂理で、落ち着き・耐え忍ぶ心も出て来るはずだ。すべて万事について、往生には、賢い思いを備え持たずに、ただウットリと、阿弥陀仏のご恩が、深く重いことを、いつも思い出しされるはずだ。そうであれば、念仏も申すことがある。これは、自然なのだ。私が計らわないのを、自然と申すのだ。これは、つまり他力であるのだ。》

 

・しか(然)るを、自然と言うことの別にあるように、我物知り顔に言う人の候(そうろ)う由(よし)、承(うけたまわ)る、浅ましく候う。

 

《それなのに、自然ということが、別にあるように、わがもの知り顔をしていう人がいるからと聞く。みっともないことがあるのだ。》

 

 

〇第17条

・一、辺地往生を遂(と)ぐる人、遂(つい)には地獄に堕(お)つべしと言うこと。

 

《17、辺地の浄土に往生を成し遂げる人は、結局、地獄に落ちるはずだということ。》

 

・この条、何の証文に見え候(そうろ)うぞや。学生だ(立)つる人の中に、言い出(いだ)さるることにて候うなるこそ、浅ましく候え。経論・正教をば、いか(如何)ように見なされて候うらん。

 

《この条項は、何の証拠の文書に見えることがあるのか。学者風の人の中に、いい出されたことがあるのだが、みっともないことがあるのだ。経書・論書・正しい教えを、どのように見られているのか。》

 

・信心欠けたる行者は、本願を疑うによりて、辺地に生じて、疑いの罪を償(つぐの)いて後、報土の悟りを開くとこそ、承(うけたまわ)り候え。

 

《信心が欠けた修行者は、本願を疑うことによって、辺地の浄土に生まれ変わって、疑いの罪を償った後に、本当の浄土で悟りを開くと、聞いているのだ。》

 

・信心の行者少なきゆえに、化土に多く進め入れられ候(そうろ)うを、「遂(つい)に虚(むな)しくなるべし」と候うなるこそ、如来に虚妄を申し付け参らせられ候うなれ。

 

《信心の修行者が少ないので、仮の浄土に多く進め入れられることがあるのを、「結局、空虚になるはずだ」とあるのは、阿弥陀如来に虚偽を申し付けられたことになるのだ。》

 

 

〇第18条

・一、仏法の方(かた)に、施入物の多少にしたがって、大小仏になるべしと言うこと。

 

《18、仏法の方々への、お布施のものが、多いか少ないかにしたがって、大きな仏か小さな仏かになるはずだということ。》

 

・この条、不可説なり、不可説なり。比興(ひきょう)のことなり。

 

《この条項は、説明することができない。不都合なことなのだ。》

 

・まず、仏に大小の分量を定めんこと、あるべからず候(そうろ)うか。かの安養浄土の教主の御身量を説かれて候うも、それは方便報身の形なり。法性(ほっしょう)の悟りを開いて、長短・方円の形にもあらず、青・黄・赤・白・黒の色をも離れなば、何をもってか大小を定むべきや。

 

《まず、仏に大か小かの分量を定めることは、あることができないのだ。あの心が安らかで身が養える浄土で、教えを開いた主人(阿弥陀仏)のご身体を説かれてあるが、それは、方便の仮の形なのだ。真実の悟りを開いて、長いか短いか・方形か円形かもなく、青・黄・赤・白・黒の色も離れているので、何によって、大か小かを定めることができるのか。》

 

・念仏申すに、化仏を見(み)奉(たてまつ)ると言うことの候うなるこそ、「大念には大仏を見、小念には小仏を見る」と言えるが、もしこの理(ことわり)なんどにばし、引き掛けられ候うやらん。

 

《念仏を申すのに、変化した仏を見られるということがあるのは、「大きな思いには、大仏を見て、小さな思いには、小仏を見る」といっているが、もし、この道理等なんかに、関係づけられているのだろうか。》

 

・且(か)つはまた、檀(だん)波羅蜜(はらみつ)の行とも言いつべし、いか(如何)に宝物を仏前にも投(な)げ、師匠に施すとも、信心欠けなば、その詮なし。一紙・半銭も仏法の方(かた)に入れずとも、他力に心を投げて信心深くは、それこそ願の本意にて候わめ。

 

《そのうえ、また、お布施の修行ともいうことができ、どんなに宝物を仏前に提供し、師匠に施しても、信心が欠けていれば、それは無益だ。わずかでも仏法の方々に、お布施しなくても、他力に心を投げ入れて、信心深くなること、それは、本願の本意であるのだ。》

 

・すべて仏法に事を寄せて、世間の欲心もあるゆえに、同朋を言い脅(おど)さるるにや。

 

《すべて仏法にかこつけて、世間の欲望の心もあるので、仲間をいい脅されているのか。》

 

 

○結

・右条々は、皆もって信心の異なるよりこと起こり候(そうろ)うか。故聖人の御物語に、法然聖人の御時、御弟子その数御座(おわ)しける中に、同じく御信心の人も少なく御座(おは)しけるにこそ、 親鸞、御同朋の御中にして御相論のこと候いけり。

 

《右の条項は、すべて、それで信心が異なることによって、起こったことであるのか。故・(親鸞)聖人の物語には、法然聖人がいた時代に、お弟子が、その数(多く)いた中に、同じご信心の人が少なかったので、親鸞は、お仲間の中で、論じ合いをしたことがあったのだ。》

 

・そのゆえは、「善信が信心も聖人の御信心も一つなり」と仰(おお)せの候(そうろ)いければ、勢観房・念仏房なんど申す御同朋達、もっての外(ほか)に争い給(たま)いて、「いか(如何)でか聖人の御信心に善信房の信心、一つにはあるべきぞ」と候いければ、「聖人の御智慧・才覚博(ひろ)く御座(おわ)しますに、一つならんと申さばこそ僻事(ひがごと)ならめ。往生の信心においては、まったく異なることなし。ただ一つなり」と御返答ありけれども、なお(猶)「いか(如何)でかその義あらん」と言う疑難ありければ、詮(せん)ずる所、聖人の御前にて自他の是非を定むべきにて、この子細(しさい)を申し上げければ、法然聖人の仰せには、「源空が信心も、如来より賜(たまわ)りたる信心なり。善信房の信心も、如来より賜らせ給(たま)いたる信心なり。されば、ただ一つなり。別の信心にて御座(おわ)しまさん人は、源空が参らんずる浄土へは、よも参らせ給(たま)い候(そうろ)わじ」と仰せ候いしかば、当時の一向専修の人々の中にも、親鸞の御信心に一つならぬ御ことも候うらんと覚え候う。

 

《その理由は、「善信房親鸞の信心も、(法然)聖人のご信心も、ひとつなのだ」という、お言葉があったが、勢観房(源智)・念仏房(念阿)等と申すお仲間達は、とんでもないと論争になって、「どうして(法然)聖人のご信心に、善信房(親鸞)の信心が、ひとつであるはずなのか」とあれば、(親鸞が、)「(法然)聖人のお智恵・才覚が広くあるのに、ひとつでないと申せば、誤りになる。往生の信心においては、まったく異なることがない。ただひとつなのだ」とご返答があったが、なおも、「どうして、その義があるのか」という疑問・非難があったので、結局、(法然)聖人の前で、自他の是非を決定すべきとして、この詳細を申し上げると、法然聖人のお言葉には、「法然房源空の信心も、阿弥陀如来から授かった信心なのだ。親鸞の信心も、阿弥陀如来から授かった信心なのだ。そうであれば、ただひとつなのだ。別の信心であろうとする人は、法然房源空が参る浄土には、よもや参らせることがあるまい」という、お言葉があったので、当時の一向宗の専修念仏(ひたすら念仏を唱えるだけ)の人々の中でも、親鸞のご信心とひとつでないこともあると、思い起こすことがある。》

 

・いずれもいずれも繰り言にて候(そうろ)えども、書き付け候うなり。露命わずかに枯草の身に掛かりて候うほどにこそ、相伴わしめ給(たま)う人々、御不審をも承(うけたまわ)り、聖人の仰(おお)せの候いし趣をも申し聞かせ参らせ候えども、閉眼の後は、さ(然)こそしどけなき事どもにて候わんずらめと、歎(なげ)き存じ候いて、かくのごとくの義ども、仰せられ合い候う人々にも、言い迷わされなんどせらるることの候わん時は、故聖人の御心に相叶(かな)いて御用い候う御聖教どもを、よくよく御覧候うべし。おおよそ聖教には、真実・権仮(ごんけ)ともに相交わり候うなり。権を捨てて実を取り、仮を差し置きて真を用いるこそ、聖人の御本意にて候え。かま(構)えてかま(構)えて、聖教を見乱らせ給(たま)うまじく候う。大切の証文(しょうもん)ども、少々抜き出(い)で参らせ候うて、目安にしてこの書に添え参らせて候うなり。

 

《いずれも、繰り返しをいうことになるが、書き付けているのだ。露の命がわずかで、枯草の身に差し掛かっているほどで、互いに伴ってきた人々が、ご不審も聞いて、(親鸞)聖人のお言葉にある趣旨も、申し聞かせたが、(私の)死後には、そのように、しまりがないこと等になるだろうと、なげくことがあったので、このような意義で、いい合いになった人々が、いい迷わされる等となることがあった時には、故・(親鸞)聖人のお心にかなって用いられた、ご聖教等を充分にご覧になるべきだ。だいたい聖教には、真実・権仮(方便)が、一緒に交わり合っているのだ。権仮を捨て差し置いて、真実を取って用いることが、(親鸞)聖人のご本意であるのだ。気をつけて、聖教を見誤らせることがあってはならない。大切な証拠の文書を、少々抜き出して、目安として、この書に添付させているのだ。》

 

・聖人の常の仰(おお)せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり。さ(然)れば、それほどの業を持ちける身にてありけるを、助けんと思(おぼ)し召(め)し立ちける本願のかたじけなさよ」と御述懐候いしことを、今また案ずるに、善導の「自身はこれ現に罪悪生死の凡夫(ぼんぷ)、曠劫(こうごう)よりこのかた(此方)、常に沈み、常に流転して、出離の縁あることなき身と知れ」と言う金言に、少しも違(たが)わせ御座(おわ)しまさず。さ(然)ればかたじけなく、わが御身に引き掛けて、我らが身の罪悪の深きほどをも知らず、如来の御恩の高きことをも知らずして迷えるを、思い知らせんがためにて候いけり。

 

《(親鸞)聖人のいつものお言葉には、「阿弥陀仏が、測り知れないほど永年、思惟した本願を、充分に考えれば、いちずに親鸞一人のためだったのだ。そうであれば、それほどの行為を持っている身があるのに、助けようと思い立っている本願は、もったいないことだ」と、思い述べがあったことを、今また、考えれば、善導の「自身は、これが実際に、罪悪・生死の凡人で、永年から今まで、いつも(迷いに)沈み、いつも流転して、離れ出る縁がない身だと知れ」という、すぐれた言葉と、少しも違いがない。そうであれば、もったいなく、(親鸞の)わが身と関係づけて、我らの身の罪悪が深いことも知らず、阿弥陀如来のご恩が高いことも知らずに、(沈み)迷うことを思い知らそうとするためにあるのだ。》

 

・まこと(誠)に如来の御恩と言うことをば沙汰(さた)なくして、我も人も、善し悪しと言うことをのみ申し合えり。聖人の仰(おお)せには、「善悪の二つ、総じてもって存知せざるなり。そのゆえは、如来の御心に善しと思(おぼ)し召(め)すほどに知り通したらばこそ、善きを知りたるにてもあらめ、如来の悪しと思し召すほどに知り通したらばこそ、悪しさを知りたるにてもあらめど、煩悩具足の凡夫(ぼんぷ)、 火宅無常の世界は、万(よろず)の事、皆もって空言(そらごと)・戯言(たわごと)、 まこと(真)あることなきに、ただ念仏のみぞまこと(真)にて御座(おわ)します」とこそ、仰せは候(そうろ)いしか。まこと(誠)に、我も人も空言をのみ申し合い候う中に、一つ痛ましきことの候うなり。そのゆえは、念仏申すについて、信心の趣をも互いに問答し、人にも言い聞かする時、人の口を塞(ふさ)ぎ、相論を絶(た)たんがために、まったく仰せにてなきことをも仰せとのみ申すこと、浅ましく歎(なげ)き存じ候うなり。この旨をよくよく思い解き、心得らるべきことに候う。

 

《本当に、阿弥陀如来のご恩ということを取り止めて、私も人も、善し悪しということだけを申し合うのだ。(親鸞)聖人のお言葉には、「善と悪の2つは、すべて、それで承知しないのだ。その理由は、阿弥陀如来のお心に、善だと思っているほど、知り尽くしていれば、善を知ったといえるであろう、阿弥陀如来が悪だと思っているほど、知り尽くしていれば、悪を知ったといえるであろうが、煩悩を備え持つ凡人の、火炎の住宅・無常の世界は、万事がすべて、それでウソ・ふざけた言葉で、真実がなく、ただ念仏だけが、真実であるのだ」という、お言葉があるのだ。本当に、私も人もウソだけを申し合うことがある中で、ひとつ痛々しいことがあるのだ。その理由は、念仏を申すことについて、信心の趣旨も相互に問答し、人にもいい聞かせる時に、人の口をふさいで、論じ合いを断絶するために、まったく(親鸞の)お言葉でないことをいったと申すことで、みっともないと、なげくことがあったのだ。この主旨を充分に思って理解し、心得られるべきことである。》

 

・殊更(これさら)に私(わたくし)の言葉にあらずといへども、経釈の往く路も知らず、法文の浅深を心得分けたることも候わねば、定めておかしきことにてこそ候わめども、故親鸞の仰(おお)せ言(ごと)候いし趣、百分が一つ、片端ばかりをも思い出(い)で参らせて、書き付け候うなり。悲しきかなや、幸いに念仏しながら、直に報土に生れずして、辺地に宿を取らんこと。一室の行者の中に、信心異なることなからんために、泣く泣く筆を染めてこれを記す。名づけて『歎異抄』と言うべし。

 

《故意に、私の言葉でないといっても、経書・注釈書の行く道を知らず、教えの文書が浅さ・深さを心得て分別することもなければ、定めに、おかしなことがあっても、故・親鸞のお言葉にあった趣旨の、100分の1ほどの断片を思い出して、書き付けているのだ。悲しいな、幸いにも、念仏しながら、すぐに本当の浄土に生まれ変わらないで、辺地の浄土に宿を取ることは。一室の修行者の中に、信心の異なることがないために、仕方なく、筆を執って、これを記した。名づけて、『歎異抄』ということができる。》

 

・外見あるべからず。

 

《(浄土門)以外に、見せるべきではない。》

 

 

○注記

・後鳥羽院の御宇、法然聖人、他力本願念仏宗を興行す。時に、興福寺僧侶、敵奏の上、御弟子の中(うち)、狼籍(ろうぜき)子細(しさい)あるよし、無実の風聞によりて罪科に処せらるる人数の事。

 

《後鳥羽院のご天下に、法然聖人は、他力本願の念仏宗を創立した。その時に、興福寺の僧侶が、仏敵として(朝廷に)奏状で訴え出たうえ、お弟子の中に、無法の理由があるという事情、無実のウワサによる罪で、処罰させられた人・数のこと。》

 

・一、法然聖人幷(なら)びに御弟子七人、流罪。また御弟子四人、死罪に行わるるなり。聖人は土佐国幡多という所へ流罪、罪名、藤井元彦男云々、生年七十六歳なり。親鸞は越後国、罪名、藤井善信云々、生年三十五歳なり。

 

《一、法然聖人と、お弟子7人は、流罪。また、お弟子4人は、死罪が実行されるのだ。(法然)聖人は、土佐国の幡多郡という場所に流罪、罪人としての名は、藤井元彦(もとひこ)で、男性、等々、年齢76歳なのだ。親鸞は、越後国(に流罪)、罪人としての名は、藤井善信(よしざね)、等々、年齢35歳なのだ。》

 

・浄聞(じょうもん)房、備後国、澄西禅光(ちょうさいぜんこう)房、伯耆国、好覚(こうかく)房、伊豆国、行空法本(ぎょうくうほうほん)房、佐渡国、幸西成覚(こうさいじょうかく)房・善恵(ぜんえ)房二人、同遠流(おんる)に定まる。しか(然)るに無動寺の善題大僧正、これを申し与(あず)かると云々。遠流の人々、以上八人なりと云々。

 

《浄聞房は、備後国、禅光房澄西は、伯耆国、好覚房は、伊豆国、法本房行空は、佐渡国(に流罪)、成覚房幸西・善恵房の2人は、同じ遠方の流罪に定まった。しかし、無動寺の善題大僧正が申し出て、これらを引き受けた、等々。遠方の流罪の人々は、以上の8人なのだ、等々。》

 

・死罪に行わるる人々。一番、西意善綽(ぜんじゃく)房、二番、性願(しょうがん)房、三番、住蓮(じゅうれん)房、四番、安楽(あんらく)房。二位法印尊長(そんちょう)の沙汰(さた)なり。

 

《死罪が実行される人々。1、善綽房西意、2、性願房、3、住蓮房、4安楽房。2位の法印といわれた、尊長の裁定なのだ。》

 

 

・親鸞、僧儀を改めて、俗名を賜(たま)う。よって僧にあらず俗にあらず、しか(然)る間、「禿」の字をもって姓と為(な)して、奏聞を経られ了(お)わんぬ。彼(か)の御申し状、今に外記庁に納まると云々。流罪以後、「愚禿(ぐとく)親鸞」と書かしめ給(たま)うなり。

 

《親鸞は、仏僧の容貌・儀礼を変えて、俗名を授かった。よって、仏僧でもなく、俗人でもなく、そこで「禿(はげ)」の字を姓として、(朝廷への)奏上を経て、了承された。あのお申し状が、今も外記庁に残っている、等々。流罪以後には、「愚かなハゲの親鸞」と書かせたのだ。》

 

・右この聖教は、当流大事の聖教と為(な)すなり。無宿善の機においては、左右(さう)なく、これを許すべからざるものなり。釈蓮如

 

《右の、この聖教(『歎異抄』)は、この流派の大事な聖教とするのだ。(教えを聞いても)善行の機会がない者には、簡単に、これを見せるのを許すことができないものなのだ。蓮如が注釈。》

 

 

(おわり)