荻生徂徠「弁名」上・読解6~智 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○智:2則

 

(1)

・智、亦聖人之大徳也。聖人之智、不可得而測焉。亦不可得而学焉。故岐而二之。曰聖曰智、是也。故凡経所謂智、皆以君子之徳言之。如知礼、知言、知道、知命、知人、是也。知道者、知先王之道也。是統其全言之、無所不包。故難其人焉。孔子曰、為此詩者、其知道乎、難辞也。知礼者、知先王之礼也。知言者、知先王之法言也。之二者、道之分也。分而言之、所以便学者也。先王之教、詩書礼楽、詩書言也、義之府也。知言則知義。知礼与義、則道庶幾可以尽焉。不言楽者、亦難其人焉。孔子称臧文仲、不智者三。皆謂其不知礼矣。可見古者以不知礼為不智已。孟子知言、亦謂知先王之法言也。苟能知先王之法言、則規矩在我、足以知人之言焉。故下以詖淫邪遁言之耳。後儒不知道。故直謂孟子知人之言也。聴訟吾猶人也。是雖孔子不敢自道知人之言。況孟子而能之乎。故詖淫邪遁、亦好弁之過也。然又毎以規矩為言、則知其知言亦謂知先王之法言已。

 

[智もまた聖人の大徳なり。聖人の智は、得て測るべからず。また得て学ぶべからず。ゆえに岐(わか)ちて、これを二つにす。聖と曰(い)い智と曰いう、これなり。ゆえに凡(およ)そ経にいわゆる智は皆、君子の徳をもって、これをいう。「礼を知る」、「言を知る」、「道を知る」、「命を知る」、「人を知る」のごとき、これなり。「道を知る」とは、先王の道を知るなり。これその全(すべて)を統(す)べて、これをいい、包まざる所なし。ゆえにその人を難(かた)んず。孔子いわく、「この詩を為(つく)る者は、それ道を知るか」とは、難んずるの辞なり。「礼を知る」とは、先王の礼を知るなり。「言を知る」とは、先王の法言を知るなり。この二者は、道の分なり。分かちてこれをいうは、学者に便する所以(ゆえん)なり。先王の教えは、詩書礼楽にして、詩書は言なり、義の府なり。言を知れば、すなわち義を知る。礼と義とを知れば、すなわち道は、もって尽くすべきに庶幾(ちか)し。楽をいわざる者も、またその人を難んず。孔子、称すらく、臧文仲(そうぶんちゅう)は、不智なる者、三ありと。皆その礼を知らざるをいう。古者(いにしえ)は礼を知らざるをもって不智と為(な)せしことを見るべきのみ。孟子の「言を知る」も、また先王の法言を知るをいうなり。いやしくも、よく先王の法言を知らば、すなわち規矩(きく)は我に在(あ)り、もって人の言を知るに足る。ゆえに下(しも)に詖(ひ)・淫・邪・遁(とん)をもって、これをいうのみ。後儒は道を知らず。ゆえに直ちに孟子は人の言を知るというなり。「訟(うった)えを聴くは吾なお人のごときなり」と。これ孔子といえども、敢(あ)えて自(みずか)ら人の言を知ると道(い)わず。いわんや孟子にして、これをよくせんや。ゆえに詖・淫・邪・遁も、また弁を好むの過(あやま)ちなり。しかれども、また毎(つね)に規矩をもって言を為せば、すなわちその「言を知る」もまた、先王の法言を知ることをいうを知るのみ。]

 

《智もまた、聖人の偉大な徳なのだ。聖人の智は、得て測ることができない。また、得て学ぶことができない。よって、分岐して、これを2つにする。聖といい、智というのは、これなのだ。よって、だいたい経書のいわゆる智は、すべて、君子(立派な人)の徳によって、これをいう。「礼を知る」・「言葉を知る」・「道を知る」・「命を知る」・「人を知る」のようなものは、これなのだ。「道を知る」(『孟子』3-27)とは、先王の道を知ることなのだ。これは、そのすべてを統一して、このようにいい、包み込まないことはない。よって、その(道を知る)人は、ほとんどいない。孔子がいう、「この詩を作る者は、それが道を知るのか」(『孟子』11-146)とは、ほとんどいないという言葉なのだ。「礼を知る」(『論語』3-55,3-63,7-177,20-499)とは、先王の礼を知ることなのだ。「言葉を知る」(『論語』20-499、『孟子』3-25)とは、先王の教えの言葉を知ることなのだ。この2つは、道の分岐なのだ。分岐して、これをいうのは、学ぶ者に便利にする理由だ。先王の教えは、詩・書・礼・楽で、詩・書は、言葉であり、義の倉庫なのだ。言葉を知れば、つまり義を知る。礼と義を知れば、つまり道は、それで尽くすことができるのに近くなる。楽をいわないものも、また、その(言葉を知る)人は、ほとんどいない。孔子が称していう、「臧文仲(魯の大夫)は、不智なるものが3つある」と。すべて、その礼を知らないことをいう。昔は、礼を知らないことによって、不智としていたことを、見ることができるのだ。孟子の「言葉を知る」も、また、先王の教えの言葉を知ることをいうのだ。もしも、充分に先王の教えの言葉を知れば、つまり手本は、私にあり、それで人の言葉を知るのに充分だ。よって、下の者に、かたより・みだら・よこしま・のがれによって、これ(礼楽)をいうのだ。後世の儒学者は、道を知らない。よって、すぐに孟子は、人の言葉を知るというのだ。「訴えを聞くのに、私は、ちょうど(他の)人のようなものだ」(『論語』12-291)と。これは、孔子といっても、あえて自分から人の言葉を知るといわない。ましてや、孟子において、これ(人の言葉を知ること)を充分にしないのは、なおさらだ。よって、かたより・みだら・よこしま・のがれも、また、弁別を好むことの過失なのだ。しかし、また、毎時、手本によって言葉をなせば、つまり、その「言葉を知る」も、また、先王の教えの言葉を知ることをいうのを知るのだ。》

 

・知命者、知天命也。謂知天之所命何如也。先王之道、本於天、奉天命以行之。君子之学道、亦欲以奉天職焉耳。我学道成徳而爵不至、是天命我以使伝道於人也。君子教学以為事、人不知而不慍。是之謂知命。凡人之力、有及焉、有不及焉。強求其力所不及者、不智之大者也。故曰、不知命、無以為君子也。後儒或曰知其所以然之理、或曰知吉凶禍福、或曰名利得失、毫不動心。皆不知道者之言也已。

 

[「命を知る」とは、天命を知るなり。天の命ずる所、何如(いか)なるかを知るをいうなり。先王の道は、天に本づき、天命を奉じて、もってこれを行う。君子の道を学ぶも、またもって天職を奉ぜんと欲するのみ。我、道を学び徳を成せども爵(しゃく)至らざるは、これ天、我に命じて、もって道を人に伝えしむるなり。君子は教学もって事と為(な)し、人、知らざれども慍(いきどお)らず。これをこれ命を知るという。凡(およ)そ人の力は、及ぶことあり、及ばざることあり。強(し)いてその力の及ばざる所を求むる者は、不智の大なる者なり。ゆえにいわく、「命を知らずんば、もって君子為(た)ることなきなり」と。後儒、或いは「そのしかる所以(ゆえん)の理を知る」と曰(い)い、或いは「吉凶禍福を知る」と曰い、或いは「名利得失、毫(ごう)も心を動かさず」と曰う。皆、道を知らざる者の言なるのみ。]

 

《「命を知る」とは、天命を知ることなのだ。天が命令することは、何かを知ることをいうのだ。先王の道は、天に基づき、天命を奉戴して、それでこれ(天命)を行う。君子(立派な人)の道を学ぶのも、また、それで天職を奉仕しようとするのだ。私は、道を学び、徳をなしても、爵位に至らないのは、天が私に命令して、それで道を人に伝えさせたからだ。君子は、教学によって行事とし、人は知らないので、憤らない。これを「命を知る」という。だいたい人の力は、及ぶことがあり、及ばないことがある。無理に、その力が及ばないことを探し求めるものは、不智の偉大なものなのだ。よって、いう、「命を知らなければ、それで君子になることはないのだ」(『論語』20-499)と。後世の儒学者は、「そのような理由の理を知る」といったり、「吉か凶か・災禍か幸福かを知る」といったり、「名誉か利益か・取得か損失かは、少しも心を動かさない」といったりする。すべて、道を知らないものの言葉なのだ。》

 

・知人者、謂知仁賢也。是智之大者也。書曰、在知人、在安民。是皐陶立智仁二徳、以為万世法。蓋制作礼楽者、聖人之智、而非通下者焉。然至其所以平治天下者、則不出於是二言也。雖後世之君、雑霸之主、亦非是二者、則不能成其随分之治也。至哉言乎。孔子曰、脩己以安百姓、堯舜其猶病諸。禹曰、咸若時、惟帝其難之。是雖堯舜亦有所不能是二者也。豈非至言哉。且先王之道、為安民設、則宜若莫大於安民者、而知人先之。孔子称智仁、亦智先於仁。是無它。安民之道、非知人則不能行故也。自古賛聖賢之君、必言其得賢人而臣之、而其它善政不遑及之者、為是故也。故智之為徳、莫大於知人焉。祇所謂知人者、世儒多謂人之智愚賢不肖、其所長、其所短、姸媸悉照、毫釐弗遺。是謬之大者也。大氐古所謂知人者、在知其所長、而其所短不必知焉。及其至者、則必称能知仁賢之人、謂之知人焉。故樊遅不達知人之義、則子夏釈之曰、舜挙皐陶、湯挙伊尹。可見古之道為爾。

 

[「人を知る」とは、仁・賢を知るをいうなり。これ智の大なる者なり。書にいわく、「人を知るに在(あ)り、民を安んずるに在り」と。これ皐陶(こうよう)、智・仁の二徳を立てて、もって万世の法と為(な)す。けだし礼楽を制作する者は、聖人の智にして、下に通ずる者にあらず。しかれどもその天下を平治する所以(ゆえん)の者に至りては、すなわちこの二言を出(い)でざるなり。後世の君、霸(は)を雑(まじ)うるの主といえども、またこの二者にあらずんば、すなわちその分に随(したが)うの治を成すこと能(あた)わざるなり。至れるかな言や。孔子いわく、「己(おのれ)を脩(おさ)めて、もって百姓を安んずるは、堯・舜もそれなおこれを病(や)めり」と。禹(う)いわく、「皆かくのごときは、これ帝もそれこれを難(かた)んず」と。これ堯・舜といえども、またこの二者をよくせざる所ありしなり。あに至言にあらずや。かつ先王の道は、民を安んずるが為に設けたれば、すなわち宜(よろ)しく民を安んずるより大なる者なきがごとかるべきに、しかも人を知ること、これに先んず。孔子、智・仁を称するにも、また智は仁に先んず。これ它(た)なし。民を安んずるの道は、人を知るにあらずんば、すなわち行うこと能わざるがゆえなり。古(いにしえ)より聖賢の君を賛するに、必ずその賢人を得て、これを臣とすることをいいて、その它の善政は、これに及ぶに遑(いとま)あらざりし者は、これが為のゆえなり。ゆえに智の徳為(た)る、人を知るより大なるはなし。祇(ただ)いわゆる「人を知る」とは、世儒多くは、人の智愚賢不肖、その長ずる所、その短なる所、姸媸(けんし)ことごとく照らして、毫釐(ごうり)も遺(のこ)さざるをいう。これ謬(あやま)りの大なる者なり。大氐(たいてい)、古のいわゆる「人を知る」とは、その長ずる所を知るに在(あ)りて、その短なる所は必ずしも知らず。その至れる者に及んでは、すなわち必ず、よく仁賢の人を知ることを称して、これを「人を知る」という。ゆえに樊遅(はんち)は「人を知る」の義に達せざりければ、すなわち子夏(しか)これを釈していわく、「舜は皐陶を挙げ、湯(とう)は伊尹(いいん)を挙ぐ」と。見るべし、古の道しかりと為すことを。]

 

《「人を知る」(『論語』1-16,12-300,20-499)とは、仁人・賢人を知ることをいうのだ。これは、智の偉大なものなのだ。『書経』によると、「人を知ることにあり、民を安寧することにある」。これは、皐陶(古代中国の伝説上の裁判官)が、智・仁の2徳を確立して、それで全時代の教えとする。思うに、礼楽を制作するものは、聖人の智で、下の者に共通するものでない。しかし、その天下を平定・統治する理由に至っては、つまりこの2つの言葉(智=人を知ること、仁=民を安寧すること)を出ていないのだ。後世の君主は、覇道を雑居させた君主といっても、また、この2つでなければ、つまり、その本分にしたがう統治をすることができないのだ。至極だな、この言葉は。孔子がいう、「自己を修めて、それで百姓を安寧することは、堯・舜(古代中国の伝説上の帝王)も、それでもやはり、これ(統治)を苦悩した」(『論語』14-377)と。禹(夏王朝の創始者)がいう、「すべて、このようなものは、帝王もそれでこれ(統治)を苦難した」と。これは、堯・舜といっても、また、この2つを充分にしないことがあったのだ。どうして至極の言葉でないのか(いや、至極の言葉だ)。そのうえ、先王の道は、民を安寧するために設定したならば、つまり民を安寧するよりも偉大なものがないようなものがよくて、しかも、人を知ることは、これに先行する。孔子が智・仁を称するにも、また、智は、仁に先行する。これは、他でもない。民を安寧する道は、人を知ることがなければ、つまり行うことができないからだ。昔から聖人・賢人の君主を称賛するのに、必ずしの賢人を得て、これを臣下とすることをいって、その他の善政は、これに及ぶ暇がないものは、このためだからなのだ。よって、智が徳になるのは、人を知るよりも偉大なことはない。ただ、いわゆる「人を知る」とは、世の中の儒学者の多くは、人の智巧か愚鈍か・賢明か未熟か、その長所・その短所、美醜をすべて照らし合わせて、少しも残さないことをいう。これは、誤りの偉大なものなのだ。たいてい、昔のいわゆる「人を知る」とは、その長所を知ることにあって、その短所は、必ずしも知らない。それが至るものに及んでは、つまり必ず充分に仁人・賢人を知ることを称して、これを「人を知る」という。よって、樊遅(孔子の弟子)は、「人を知る」の意義に到達しなければ、つまり子夏(孔子の弟子)がこれを解釈していう、「舜は、皐陶を推挙し、湯王(殷王朝の創始者)は、伊尹(殷の宰相)を推挙した」(『論語』12-300)と。見るべきだ、昔の道は、そのようだとすることを。》

 

・夫人之知人、各於其倫。唯聖知聖、賢知賢。人之為才、相倍蓰、相什佰千万、則賢者之難知、豈不宜乎。況我不及其賢而能知之、如高宗之於傳説、桓公之於管仲、可不謂難乎。不爾、堯之於鮌、徒知其才而不知其悪、謂之不知人可乎。故堯之知人、在知舜、而不在知鮌。古之道為爾。後之学者昧乎斯義、而欲悉知其長短得失、無所逃其藻鑑。是曹孟徳之所尚耳。豈古之道哉。然求其所以失之、則昉於孟子邪。孟子曰、是非之心、智之端也。其意亦謂聖人之道率人性而立焉。祇好弁之甚、不覚其言有弊耳。後儒弗之察、乃以天下之理暁然洞徹莫所疑惑為解。殊不知、是世俗所謂智、而非先王之道所尚也。

 

[夫(そ)れ人の人を知るは、各おのその倫(ともがら)においてす。ただ聖のみ聖を知り、賢のみ賢を知る。人の才為(た)る、相倍蓰(あいばいし)し、相什佰(じゅうひゃく)千万すれば、すなわち賢者の知り難きは、あに宜(うべ)ならずや。いわんや我その賢に及ばずして、よくこれを知ること、高宗の、傳説(ふえつ)における、桓公の、管仲(かんちゅう)におけるがこときは、難しといわざるべけんや。しからずんば堯の、鮌(鯀、こん)における、徒(ただ)その才を知るのみにして、その悪を知らざりしは、これを人を知らずといいて可ならんや。ゆえに堯の人を知るは、舜を知るに在(あ)りて、鮌を知るに在らず。古(いにしえ)の道しかりと為(な)す。後の学者はこの義に昧(くら)くして、ことごとくその長短得失を知りて、その藻鑑(そうかん)を逃るる所なからんことを欲す。これ曹孟徳の尚(たっと)ぶ所のみ。あに古の道ならんや。しかれども、そのこれを失する所以(ゆえん)を求むるに、すなわち孟子に昉(はじま)るか。孟子いわく、「是非の心は、智の端なり」と。その意もまた、聖人の道は、人の性に率(したが)いて、これを立てしことをいう。祇(ただ)弁を好むの甚(はなは)だしき、その言に弊あるを覚えざるのみ。後儒はこれを察せず、乃(すなわ)ち、「天下の理、暁然(ぎょうぜん)として洞徹(どうてつ)し、疑惑する所なし」というをもって解を為す。殊(こと)に知らず、これ世俗のいわゆる智にして、先王の道の尚ぶ所にあらざることを。]

 

《そもそも人が人を知るのは、各々その仲間においてする。ただ、聖人だけが聖人を知り、賢人だけが賢人を知る。人の才能をなすのは、相互に2倍・5倍し、相互に10倍・100倍・1000倍・1万倍すれば、つまり賢者が知りにくいのは、どうして当然でないのか(いや、当然だ)。ましてや、私がその賢者に及ばないで、充分にこれを知ること、高宗(殷王朝の22代王)の傳説(殷の宰相)における、桓公(斉の16代王)の管仲(斉の宰相)におけるようなものが、苦難といわないべきなのは、なおさらだ。そうでなければ、堯の鯀(治水できずに追放)における、ただその才能を知るだけで、その悪をしらなければ、これを「人を知らない」といって、可になるのだ。よって、堯の「人を知る」は、舜(堯が地位を舜に禅譲)を知ることにあって、鯀を知ることにない。昔の道は、そのようだとする。後世の学者は、この意義に暗くて、すべて、その長所か短所か・取得か損失かを知って、その鑑識を逃れることがないようにしたい。これは、曹操(そうそう、三国の魏の創始者)が尊重することなのだ。どうして昔の道なのか(いや、そうでない)。しかし、それでこれを過失する理由を探し求めると、つまり孟子に始まるか。孟子がいう、「是非の心は、智の端なのだ」(『孟子』3-29)と。その意味も、また、聖人の道は、人の本性にしたがって、これを確立したことをいう。ただ弁別を好むのがひどく、その言葉に弊害があることに不覚なのだ。後世の儒学者は、これを推察せず、つまり「天下の理が、はっきりとわかって貫通し、疑惑することがない」(『語孟字義』仁義礼智1条)ということによって解釈をする。意外にも、これが、世俗のいわゆる智で、先王の道が尊重することでないことを、知らない。》

 

・孔子曰、択不処仁、焉得知。又曰、知者利仁。是其意謂知仁莫尚焉。不知者則又謂窮尽天下之理、而後知仁莫尚焉。故宋儒有格物窮理之説。又不知窮理本賛聖人作易之言、而非学者之事也。大学所謂格物者、謂習其事之久、自然有所得、有所得而後所知始明。故曰、物格而后知至。豈窮尽天下之理之謂哉。苟非遵先王之教、習其事之久、則所知皆世俗之知也。何以能知仁之可尚乎。故孔子所謂知礼知言知道知命知人、皆以先王之道言之者也。宋儒所謂格物窮理是是非非之類、皆以世俗之智言之者也。祇小人役力、君子役心。是以世之君子喜自用其智而不肯遵先王之道者、為是比比皆然。故孔子毎称好仁好徳好礼好義、而未嘗称好智者、為是故也。又曰、好学近乎知。可見不遵先王之道則不能成其智也。学者其思諸。

 

[孔子いわく、「択(えら)んで仁に処(お)らずんば、いずくんぞ知たるを得ん」と。またいわく、「知者は仁を利とす」と。これその意に謂(おも)えらく、仁のこれに尚(くわ)うることなきを知ると。知らざる者は、すなわちまた謂えらく、天下の理を窮尽して、しかる後、仁のこれに尚うることなきを知ると。ゆえに宋儒に格物窮理の説あり。また、窮理はもと聖人の易を作りしを賛するの言にして、学者の事にあらざることを知らざるなり。大学のいわゆる格物なる者は、その事に習うの久しき、自然に得る所あり、得る所ありて、しかる後、知る所、始めて明らかなることをいう。ゆえにいわく、「物格(きた)りて、しかる后(のち)、知、至る」と。あに天下の理を窮尽するのいいならんや。いやしくも先王の教えに遵(したが)いて、その事に習うの久しきにあらずんば、すなわち知る所は皆、世俗の知なり。何をもって、よく仁の尚(たっと)ぶべきことを知らんや。ゆえに孔子のいわゆる「礼を知る」・「言を知る」・「道を知る」・「命を知る」・「人を知る」は皆、先王の道をもって、これをいう者なり。宋儒のいわゆる格物窮理、是(ぜ)を是とし非を非とするの類は皆、世俗の智をもって、これをいう者なり。祇(ただ)小人(しょうじん)は力を役し、君子は心を役す。ここをもって世の君子、自(みずか)らその智を用うるを喜びて、先王の道に遵うを肯(がえん)せざる者は、比比として皆しかり。ゆえに孔子、毎(つね)に「仁を好む」・「徳を好む」・「礼を好む」・「義を好む」と称して、未だかつて「智を好む」と称せざりし者は、これが為のゆえなり。またいわく、「学を好むは知に近し」と。見るべし、先王の道に遵わずんば、すなわちその智を成すこと能(あた)わざることを。学者それこれを思え。]

 

《孔子がいう、「選んで仁にいなければ、どうして知を得るのか」(『論語』4-67)と。また、いう、「知なるものは、仁を利益とする」(『論語』4-68)と。これは、その意味を思うに、仁がこれに付け加えることがないのを知る。知らないものは、つまり、また、思うに、天下の理を窮(きわ)め尽くして、はじめて、仁がこれに付け加えることがないのを知る。よって、宋代の儒学者に、格物窮理(物を見極めて、理を見出すこと)の説がある。また、窮理は元々、聖人が『易経』を作ったのを称賛する言葉で、学ぶ者の行事でないことを知らないのだ。『大学』のいわゆる格物なるものは、その行事に習うのが長く、自然に得ることにあり、得ることがあって、はじめて、知ることが、始めて明らかになることをいう。よって、いう、「物が極められて、はじめて、知に至る」(『大学』1-2)と。どうして天下の理を窮め尽くすことをいっているのか(いや、いっていない)。もしも、先王の教えにしたがって、その行事に習うのが長くなければ、つまり知ることは、すべて、世俗の知なのだ。何によって充分に尊重すべきことを知るのか。よって、孔子のいわゆる「礼を知る」・「言葉を知る」・「道を知る」・「命を知る」・「人を知る」は、すべて、先王の道によって、これをいうものなのだ。宋代の儒学者のいわゆる格物窮理が、是(正しい)を是とし、非(誤り)を非とすることの同類は、すべて、世俗の智によって、これをいうものなのだ。ただ庶民は、力を役割し、君子(立派な人)は、心を役割する。こういうわけで、世の中の君子は、自分でその智を用いるのを喜んで、先王の道にしたがうことを肯定しないものは、どれもこれも、すべて、そのようだ。よって、孔子は、毎時、「仁を好む」(『論語』4-72,17-442)・「徳を好む」(『論語』9-222,15-391)・「礼を好む」(『論語』1-15,13-306,14-376)・「義を好む」(『論語』12-298,13-306)と称して、今まで一度も「智を好む」と称しなかったものは、このためだからなのだ。また、いう、「学問を好むのは、知に近い」(『中庸』8-16)と。見るべきだ、先王の道にしたがわなければ、つまりその智をなすことができないことを。学者は、それこそを思慮せよ。》

 

 

(2)

・孟子有徳慧術知之文。是古言也。非孟子所創也。謂慧由徳而生、智由道術而生者也。古之所謂知者、必学道術以成其徳而知慧至焉。格物致知、是之謂也。知之不由徳術来者、不足以為知。古之道為爾。

 

[孟子に「徳・慧(けい)・術・知」の文あり。これ古言なり。孟子の創(はじ)むる所にあらざるなり。慧は徳に由(よ)りて生じ、智は道術に由りて生ずるをいう者なり。古(いにしえ)のいわゆる知なる者は、必ず道術を学び、もってその徳を成して知慧(ちえ)至る。格物致知(ちち)は、これのいいなり。知の徳・術に由りて来(きた)らざる者は、もって知と為(な)すに足らず。古の道しかりと為す。]

 

《『孟子』に「徳・慧・術・知」の文がある(11-194)。これは、古い言葉なのだ。孟子が創出したことでないのだ。慧は、徳によって生じ、智は、道の術によって生じることをいうものなのだ。昔のいわゆる知なるものは、必ず道の術を学び、それでその徳をなして、知慧に至った。格物致知(物を見極めて、知を見通すこと)は、これ(知慧)をいうのだ。知の徳・術によって達しないものは、それで知とするのに不足だ。昔の道は、そのようだとする。》

 

 

(つづく)