荻生徂徠「弁名」上・読解5~仁 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

○仁:4則

 

(1)

・仁者、謂長人安民之徳也。是聖人之大徳也。天地大徳曰生。聖人則之。故又謂之好生之徳。聖人者古之君天下者也。故君之徳莫尚焉。是以伝曰、為人君止於仁。聖人也者不可得而学矣。後之君子学聖人之道以成其徳者、仁為至焉。故孔子曰、君子去仁、悪乎成名。言所以命君子者、以仁也。故孔門之教、必依於仁。謂其心不与聖人之仁相離也。故仁者、聖人之大徳、而君子之所以為徳也。

 

[仁なる者は、人に長となり、民を安んずるの徳をいうなり。これ聖人の大徳なり。天地の大徳を生と曰(い)う。聖人これに則(のっと)る。ゆえにまたこれを「生を好むの徳」という。聖人なる者は、古(いにしえ)の天下に君たる者なり。ゆえに君の徳は、これに尚(くわ)うるなし。ここをもって伝にいわく、「人の君と為(な)りては、仁に止(とどま)る」と。聖人なる者は、得て学ぶべからず。後の君子、聖人の道を学んで、もってその徳を成す者は、仁を至れりと為す。ゆえに孔子しわく、「君子、仁を去りて、悪(いずく)にか名を成さん」と。いうに、君子と命(なづ)くる所以(ゆえん)の者は、仁をもってなり。ゆえに孔門の教えは、必ず仁に依(よ)る。その心の聖人の仁と相離れざるをいうなり。ゆえに仁なる者は、聖人の大徳にして、君子の徳と為す所以なり。]

 

《仁なるものは、人の長となり、民を安寧する徳をいうのだ。これ(仁)は、聖人の偉大な徳なのだ。天地の偉大な徳を生という。聖人は、これ(生)にのっとる。よって、また、これ(仁)を「生を好む徳」という。聖人なるものは、昔の天下の君主なるものなのだ。よって、君主の徳は、これ(仁)に付け加えることがない。こういうわけで、伝によると、「人が君主になれば、仁にとどまる」(『大学』2-6)。聖人なるものは、得て学ぶことができない。後世の君子(立派な人)は、聖人の道を学んで、それでその徳をなすものが、仁に至ったとする。よって、孔子がいう、「君子は、仁を離れ去って、どのようにして名をなすのか」(『論語』4-71)と。いえば、君子と命名する理由は、仁によってなのだ。よって、孔子の門徒の教えは、必ず仁による。その心が聖人の仁と、相互に離れ去らないことをいうのだ。よって、仁なるものは、聖人の偉大な徳で、君子が徳をなす理由なのだ。》

 

・蓋聖人之徳、莫不備焉。何唯仁。故仁者聖人之一徳也。然聖人之所以為聖人者、以其仁天下後世也。故仁者聖人之大徳也。聖人之道、衆美所会萃、亦何唯仁。人之学聖人之道者、徳以性殊、亦何皆仁。然聖人之道、要帰安民而已矣。雖有衆美、皆所以輔仁而成之也。人性雖殊乎、然無知愚賢不肖、皆有相愛相養相輔相成之心、運用営為之才者一矣。故資治於君、資養於民、農工商賈、皆相資為生。不能去其群独立於無人之郷者、唯人之性為然。夫君者群也。是其所以群人而統一之者、非仁乎安能焉。学而成徳者、雖各以性殊乎、其所学者皆聖人之道也。聖人之道、要帰安民。故君子苟不依於仁、何以能和順聖人之道以養成其徳乎。辟諸啗人不以五穀。亦瘠而死耳。且君之使斯民学以成其徳、将何用之。亦欲各因其材以官之、以供諸安民之職已。故聖人之徳雖備乎、君子之徳雖殊乎、皆所以輔夫仁也。且先王有聡明睿知之徳、制作礼楽、立是道、俾天下後世由是焉、而後之君子奉以行之。是雖有聡明睿知之徳、将安用之。且先王之立是道也以仁。故礼楽刑政莫非仁者。是以苟非仁人、何以能任先王之道以安天下之民哉。故孔子之教、以仁為至、以依於仁為務。而不復求為聖人者、古之道為爾。孟子曰、仁也者人也。合而言之道也。夫道属先王、徳属我。唯依於仁而後道与我可得而合焉。此古来相伝之説也。

 

[けだし聖人の徳は、備(そなわ)らざるはなし。何ぞただ仁のみならん。ゆえに仁なる者は聖人の一徳なり。しかれども聖人の聖人為(た)る所以(ゆえん)の者は、その天下後世に仁なるをもってなり。ゆえに仁なる者は聖人の大徳なり。聖人の道は、衆美の会萃(かいすい)する所にして、また何ぞただ仁のみならん。人の、聖人の道を学ぶ者は、徳は性をもって殊(こと)なれば、また何ぞ皆、仁ならん。しかれども聖人の道は、要は民を安んずるに帰するのみ。衆美ありといえども皆、仁を輔(たす)けてこれを成す所以なり。人の性は殊なりといえども、しかれども知愚・賢不肖となく皆、相愛し相養い相輔け相成すの心、運用営為の才ある者(こと)は一なり。ゆえに治を君に資(と)り、養いを民に資り、農工商賈(こ)、皆、相資りて生を為(な)す。その群を去りて無人の郷に独立すること能(あた)わざる者は、ただ人の性のみしかりと為す。夫(そ)れ君なる者は群なり。これその人を群して、これを統一する所以の者は、仁にあらずんば、安(いずく)んぞ、よくせん。学んで徳を成す者は、各おの性をもって殊なりといえども、その学ぶ所の者は皆、聖人の道なり。聖人の道は、要は民を安んずるに帰す。ゆえに君子、いやしくも仁に依らずんば、何をもってよく聖人の道に和順して、もってその徳を養成せんや。これを人に啗(くら)わしむるに五穀をもってせざるに辟(たと)う。また瘠(や)せて死せんのみ。かつ君のこの民をして学んで、もってその徳を成さしむるは、将(まさ)に何にこれを用いんとするか。また各おのその材に因(よ)りて、もってこれを官にし、もってこれを民を安んずるの職に供せんと欲するのみ。ゆえに聖人の徳は備(そなわ)れりといえども、君子の徳は殊なりといえども、皆、夫(か)の仁を輔くる所以なり。かつ先王、聡明睿知の徳あり、礼楽を制作し、この道を立て、天下後世をしてこれに由(よ)らしめ、しこうして後の君子、奉じてもってこれを行う。これ聡明睿知の徳ありといえども、将に安(いずく)にこれを用いんとするか。かつ先王のこの道を立つるや、仁をもってす。ゆえに礼楽刑政は、仁にあらざる者なし。ここをもって、いやしくも仁人にあらずんば、何をもってよく先王の道に任じて、もって天下の民を安んぜんや。ゆえに孔門の教えは、仁をもって至れりと為し、仁に依るをもって務めと為す。しこうしてまた聖人為(た)ることを求めざる者は、古(いにしえ)の道しかりと為す。孟子いわく、「仁なる者は人なり。合してこれをいえば道なり」と。夫(そ)れ道は先王に属し、徳は我に属す。ただ仁に依りて、しかる後、道は我と得て合すべし。これ古来相伝の説なり。]

 

《思うに、聖人の徳は、具備しないことはない。どうしてただ仁だけなのか。よって、仁なるものは、聖人のひとつの徳なのだ。しかし、聖人の聖人である理由は、その天下・後世に仁であることによってなのだ。よって、仁なるものは、聖人の偉大な徳なのだ。聖人の道は、様々な美が集会することで、また、どうしてただ仁だけなのか。人が聖人の道を学ぶのは、徳が性によって異なれば、また、どうして、すべて、仁なのか。しかし、聖人の道は、要するに、民を安寧するのに帰着するのだ。様々な美があるといっても、すべて、仁を助けて、これ(仁)をなす理由なのだ。人の本性は、異なるといっても、しかし、智巧か愚鈍か・賢明か未熟かでなく、すべて、愛し合う・養い合う・助け合う・成し合う心といった、運用・営為の才能があることは、ひとつなのだ。よって、統治を君主にとり、養いを民にとり、農工商のアキナイは、すべて、相互にとって生とする。その群を離れ去って、無人の場所に独立することができないのは、ただ人の本性だけを、そのようとするからだ。そもそも君主なるものは、群なのだ。これは、その人を群にして、これを統一する理由は、仁でなければ、どうして充分なのか(いや、充分でない)。学んで徳をなすものは、各々の本性によって異なるといっても、その学ぶことは、すべて、聖人の道なのだ。聖人の道は、要するに、民を安寧するのに帰着する。よって、君子は、もしも、仁によらなければ、何によって充分に聖人の道に調和・順応して、それでその徳を養成するのか。これを人に食べさせるのに、5穀によってしないことに例えられる。また、やせ衰えて死ぬのだ。そのうえ、君主がこの民に学ばせて、それでその徳をなさせるのは、まさに何にこれ(仁)を用いようとしているのか。また、各々その(民の)人材によって、それでこれ(人材)を官人にし、それでこれ(官人)を、民が安寧にする職に供給しようとするのだ。よって、聖人の徳は、具備しているといっても、君子(立派な人)の徳は、異なるといっても、すべて、あの仁を助ける理由なのだ。そのうえ、先王は、聡明・英知の徳があり、礼楽を制作し、この道を確立し、天下・後世にこれ(仁)をよらさせて、そうして、後世の君主は、奉職して、それでこれ(道)を行う。これは、聡明・英知の徳があるといっても、まさにどこでこれ(仁)を用いようとしているのか。そのうえ、先王がこの道を確立するのは、仁によってする。よって、礼楽刑政は、仁でないものはない。こういうわけで、もしも、仁の人でなければ、何によって充分に先王の道を任務にして、それで天下の民を安寧するのか。よって、孔子の門徒の教えは、仁によって至ることとし、仁によることによって任務とする。そうして、また、聖人になることを探し求めないのは、昔の道が、そのようとするからだ。孟子がいう、「仁なるものは、人なのだ。合わせて、これをいえば、道なのだ」(『孟子』14-238)と。そもそも道は、先王に属し、徳は、私に属す。ただ仁によって、はじめて、道は、私と得て合わせることができる。これは、古来相伝の説なのだ。》

 

・後世儒者不知聖人之道。是以不知仁。其説曰、仁者愛之理心之徳也。又曰、人欲浄尽而天理流行。又曰、有専言者、有偏言者。是其所見、根於仏老。故其学主理、主心。又誤読中庸孟子、而以仁為性。性人人殊、則又以為其殊者気質所為、而理与聖人一矣。是其意謂仁者愛人。然愛者情耳。方其静也、安見夫所謂愛者乎。然若愛之理、則稟諸天而具于心。是即仁而心之徳為爾。人生之初、不与聖人殊。祇気質人欲所錮、仁乃不全。及於学成而人欲尽気質化、則無適非仁矣。又其意謂天地之道、生生不已。稟諸人為仁。故以流行見生生之意云爾。又其意謂仁為心之全徳。故兼義礼智信。是専言之仁也。其与義礼智信対言也、偏言之仁也。殊不知、仁者徳也、非性也、況理乎。仁以愛之、特言其一端耳。安得尽於仁乎。且孔子所謂愛人者、謂為民父母也。苟非安民、烏足以為民父母乎。宋儒主心。主心而語愛、則釈迦亦仁人耳。其無安民之徳、則非吾所謂仁也。気質可変乎。人欲可尽乎。何徳非心。苟以仁為全徳、豈有所謂衆徳乎。専言偏言、豈非妄乎。皆肆言其理而未睹夫道之失也。

 

[後世の儒者は聖人の道を知らず。ここをもって仁を知らず。その説にいわく、「仁なる者は愛の理、心の徳なり」と。またいわく、「人欲浄尽して、天理流行す」と。またいわく、「専言なる者あり、偏言なる者あり」と。これその見る所、仏老に根ざす。ゆえにその学は理を主とし、心を主とす。また中庸・孟子を誤読して、仁をもって性と為(な)す。性は人人、殊(こと)なれば、すなわちまた以為(おも)えらく、その殊なる者は気質の為す所にして、理は聖人と一なりと。これその意に謂(おも)えらく、仁者は人を愛す。しかれども愛なる者は情のみ。その静かなるに方(あた)りてや、安(いずく)んぞ、夫(か)のいわゆる愛なる者を見んや。しかれども愛の理のごときは、すなわちこれを天より稟(う)けて心に具(そなわ)る。これすなわち仁にして、心の徳しかりと為す。人、生るるの初は、聖人と殊ならず。祇(ただ)気質・人欲の錮(こ)する所にして、仁、乃(すなわ)ち全からず。学成りて人欲尽き気質化するに及んでは、すなわち適(ゆ)くとして仁にあらざるはなしと。またその意に謂えらく、天地の道は、生生として已(や)まず。これを人に稟けて仁と為る。ゆえに流行をもって生生の意を見(あらわ)すのみと。またその意に謂えらく、仁は心の全徳なり。ゆえに義礼智信を兼ぬ。これ専言の仁なり。その義礼智信と対言する者は、偏言の仁なりと。殊に知らず、仁なる者は徳なり、性にあらざるなり、いわんや理をや。「仁もってこれを愛す」とは、特(ただ)その一端をいうのみ。安んぞ仁を尽くすを得んや。かつ孔子のいわゆる「人を愛す」とは、民の父母と為るをいうなり。いやしくも民を安んずるにあらずんば、烏(いずく)んぞ、もって民の父母と為るに足らんや。宋儒は心を主とす。心を主として愛を語らば、すなわち釈迦もまた仁人のみ。その民を安んずるの徳なきは、すなわち吾がいわゆる仁にあらざるなり。気質は変ずべけんや。人欲は尽くすべけんや。何の徳か心にあらざる。いやしくも仁をもって全徳と為さば、あにいわゆる衆徳あらんや。専言・偏言は、あに妄にあらずや。皆ほしいままにその理をいいて、未だ夫(か)の道を睹(み)ざるの失なり。]

 

《後世の儒学者は、聖人の道を知らない。こういうわけで、仁を知らない。その説によると、「仁なるものは、愛の理で、心の徳なのだ」。また、いう、「人の欲を清め尽くして、天の理が行き渡る」と。また、いう、「広義の言葉なるものがあり、狭義の言葉なるものがある」と。これは、その見ることが、仏教・老荘思想に根ざしている。よって、その(後世の儒学者の)学問は、理を主とし、心を主とする。また、『中庸』・『孟子』を誤読して、仁を本性とする。本性は、人々で異なれば、つまり、また、思うに、その異なるものは、気質がなすことで、理は、聖人とひとつなのだと。これは、その意味を思うに、仁なるものは、人を愛する。しかし、愛なるものは、情なのだ。その静かな方法で、どうしてあのいわゆる愛なるものを見るのか。しかし、愛の理のようなものは、つまりこれを天から授かって、心に具備する。これは、つまり仁であって、心の徳が、そのようだとする。人が生まれた最初は、聖人と異ならない。ただ気質・人の欲が固くなることで、仁は、つまり不全だ。学問をして、人の欲が尽き果てて、気質が変化するに及べば、つまり適用して、仁でないことはないと。また、その意味を思うに、天地の道は、生々として止まない。これを人に授けて仁となる。よって、行き渡ることによって、生々の意味を現わすのだ。また、その意味を思うに、仁は、心の完全な徳なのだ。よって、義・礼・智・信を兼ね備えている。これは、広義の言葉の仁なのだ。その義・礼・智・信と言葉が対立するものは、狭義の言葉の仁なのだと。意外にも、仁なるものは、徳であり、本性でなく、ましてや、理はなおさらなのを、知らない。「仁によって、これを愛する」とは、ただその一部をいうのだ。どうして仁を尽くすことができるのか。そのうえ、孔子のいわゆる「人を愛す」とは、民が父母となることをいうのだ。もしも、民を安寧するのでないならば、どうして、それで民が父母となるのに充分なのか(いや、充分でない)。宋代の儒学者は、心を主とする。心を主として、愛を語れば、つまり釈迦もまた、仁の人なのだ。その民を安寧するのに徳がないのは、つまり私がいわゆる仁でないのだ。気質は変化することができるのか。人の欲は、尽き果てることができるのか。何の徳が心にないのか。もしも、仁によって完全な徳とするならば、どうしていわゆる様々な徳があるのか(いや、ない)。広義の言葉・狭義の言葉は、どうして妄想でないのか(いや、妄想だ)。すべて、勝手気ままに、その理をいって、まだあの道を見ない過失なのだ。》

 

・仁斎先生乃曰、慈愛之徳、遠近内外、充実通徹、無所不至。是又泥孟子、而欲拡充惻隠之心以成仁、不属諸先王、不知帰諸安民、而徒以慈愛言之。故其弊遂至以釈迦為仁人。豈不謬乎。且孟子所謂拡充四端者、論説之言耳。初非語成仁之方也。辟諸一星之火、至於燎原、一寸之苗、至於参天。苟使揠而長之、引而伸之、則火滅苗槁已。仮以風鼓之、仮以雨露灌漑之、然後可以馴致燎原参天之盛也。人亦若是焉。礼楽以養之、然後成仁徳也。不知者則謂礼楽外物也。非在我者焉。是不信聖人之教、而欲以其私智成仁者也。烏知風与雨露、仮之於外、而其功若是其大焉乎。礼楽之道、不識不知、順帝之則。猶風雨自天祐之邪。仁斎与宋儒、均之不学無術已。

 

[仁斎先生、すなわちいわく、「慈愛の徳、遠近内外、充実通徹し、至らざる所なし」と。これまた孟子に泥(なず)みて、惻隠(そくいん)の心を拡充して、もって仁を成さんと欲し、これを先王に属せずして、これを人人に属し、これ民を安んずるに帰することを知らずして、徒(いたず)らに慈愛をもって、これをいう。ゆえにその弊、遂に釈迦をもって仁人と為(な)すに至る。あに謬(あやま)りならずや。かつ孟子のいわゆる「四端を拡充す」とは、論説の言のみ。初より仁を成すの方を語るにあらざるなり。これを一星の火、原を燎(や)くに至り、一寸の苗、天に参するに至るに辟(たと)う。いやしくも揠(ひ)きて、これを長じ、引きて、これを伸ばさしめば、すなわち火、滅し、苗、槁(か)れんのみ。仮すに風をもってして、これを鼓し、仮すに雨露をもってして、これを灌漑し、しかる後もって原を燎き天を参するの盛んなるに馴致(じゅんち)すべきなり。人もまたかくのごとし。礼楽もってこれを養い、しかる後、仁徳を成すなり。知らざる者は、すなわち謂(おも)えらく、礼楽は外物なり、我に在(あ)る者にあらずと。これ聖人の教えを信ぜずして、その私智をもって仁を成さんと欲する者なり。烏(いずく)んぞ知らん、風と雨露とは、これを外より仮れども、その功かくのごとく、それ大なることを。礼楽の道は、識(し)らず知らず、帝の則(のり)に順(したが)う。なお風雨の天より、これを祐(たす)くるがごときか。仁斎と宋儒とは、これを均しくするに不学無術のみ。]

 

《伊藤仁斎先生は、つまり、いう、「(仁は、)慈愛の徳が、遠くも近くも・内も外も、充実・貫通し、至らないことがない」(『語孟字義』仁義礼智1条)と。これは、また、孟子に執着し、惻隠(同情)の心を拡充して、それで仁をなそうとし、これ(仁)を先王に属さないで、これ(仁)を人々に属し、これ(仁)が民を安寧するのに帰着することを知らないで、無駄に慈愛によって、これ(仁)をいう。よって、その弊害は、結局、釈迦によって、仁の人とするのに至る。どうして誤っていないのか(いや、誤っている)。そのうえ、『孟子』のいわゆる「4端(惻隠・羞悪/しゅうお・辞譲・是非の4心)を拡充する」(3-29)とは、論説の言葉なのだ。最初から仁をなす方法を語っているのではないのだ。これを、1点の火が、野原を焼くに至り、1寸の苗が、天まで届くに至ると、例えている。もし、(無理に)引き延ばして、これ(1点の火・1寸の苗)を伸長させれば、つまり、火が消え、苗が枯れるのだ。(外側から)仮りて、風によってして、これ(慈愛)を鼓舞し、(外側から)仮りて、雨露によってして、これ(慈愛)を田畑に給排水して、はじめて、それで野原を焼き、天まで届くことが、さかんになって到達することができるのだ。人もまた、このようである。礼楽によって、これ(慈愛)を養って、はじめて、仁徳をなすのだ。知らない者は、つまり、思うに、礼楽は、外物なのであって、私に存在するものでないと。これは、聖人の教えを信じないで、その私的な智恵によって、仁をなそうとする者なのだ。どうして知らないのか、風と雨露は、これを外側から仮りたけれども、その功績がこのようで、それが偉大なことを。礼楽の道は、知識がなく、帝王の法則にしたがう。ちょうど風雨が天から、これ(1点の火・1寸の苗)を助けるようなものか。伊藤仁斎と宋代の儒学者、これを同等とするのは、不学無術なのだ。》

 

 

(2)

・有称仁人而曰仁者。如三仁以徳、如管仲以功、二者皆以安民言之。宋儒求仁於心。故其説至管仲而窮矣。仁斎亦求諸心。其所以異於宋儒者、唯不言天理人欲已。故其説亦至管仲而窮矣。其謬可見已。

 

[仁人を称して仁と曰(い)う者あり。三仁の、徳をもってするがごとき、管仲の、功をもってするがごときは、二者、皆、民を安んずるをもって、これをいう。宋儒は仁を心に求む。ゆえにその説、菅仲に至りて窮(きわめ)せり。仁斎もまた、これを心に求む。その宋儒に異なる所以(ゆえん)の者は、ただ天理・人欲をいわざるのみ。ゆえにその説もまた管仲に至りて窮せり。その謬(あやま)り見るべきのみ。]

 

《仁人(仁の人)を称して、仁というものがある。仁の3人(殷の微子啓/びしけい・箕子/きし・比干/ひかん、『論語』18-461)が、徳をするようなもの、管仲(斉の宰相)が、功績をするようなものは、2人とも、民を安寧することによって、これ(仁)をいう。宋代の儒学者は、仁を心に探し求める。よって、その説は、菅仲に至って行き詰まる。伊藤仁斎もまた、これを心に探し求める。それが宋代の儒学者と異なる理由は、ただ天理・人の欲をいわないのけだ。よって、その説もまた、菅仲に至って行き詰まる。その誤りを見ることができるのだ。》

 

 

(3)

・有称仁政而曰仁者。如曰知及之、仁能守之、曰民之於仁也、甚於水火、曰当仁不譲於師、及諸子問仁、皆是也。大氐問政与問仁相類。問政者、一邑之政也。皆其人為宰而問今日所行焉。問仁者、一国之政也。皆為其它日或得為一国之政而預問焉。如孔子之告顔子子張、直以天下言之、可以見已。

 

[仁政を称して仁と曰(い)う者あり。「知これに及び、仁よくこれを守る」と曰い、「民の仁におけるや、水火より甚(はなは)だし」と曰い、「仁に当りては師にも譲らず」と曰い、及び諸子、仁を問うがごとき、皆これなり。大氐(たいてい)、政を問うと仁を問うとは相類す。政を問う者は、一邑の政なり。皆その人、宰と為(な)りて、今日の行う所を問う。仁を問う者は、一国の政なり。皆その它日(たじつ)、或いは一国の政を為すことを得るが為にして、預(あらかじ)め問う。孔子の顔子・子張に告ぐるに、直ちに天下をもって、これをいいしがごとき、もって見るべきのみ。]

 

《仁政(仁による政治)を称して、仁というものがある。「知は、これ(この地位)に及び、仁は、充分にこれ(この地位)を守る」(『論語』15-411)といい、「民が、仁においては、水・火よりも大切だ」(『論語』15-413)といい、「仁にあたっては、師にも譲らない」(『論語』15-414)といい、または、各学者が、仁を問うようなものは、すべて、これ(仁政)なのだ。たいてい、政治を問うことと、仁を問うことは、相互に同類だ。政治を問うものは、1村の政治なのだ。すべて、その人が長官になって、本日の行うことを問う。仁を問うものは、1国の政治なのだ。すべて、いつの日か、または1国の政治をすることを得るために、あらかじめ問う。孔子が、顔回(がんかい、孔子の最優秀な弟子、若死)・子張(孔子の弟子)に忠告するのに、すぐに天下によって、これ(仁政)をいうようなもので、それで見ることができるのだ。》

 

・行仁政、以脩身為本。身苟不脩、雖行仁政、民不従之。中庸挙九経首脩身、亦此意。故孔子所答、皆脩身之事焉。後儒不知之、誤以為語成仁之方。謬之大者也。夫先王之教、詩書礼楽而已矣。礼楽不言、習以成徳。豈外此而別有所謂成仁之方乎。且先王之道、本為安民立之。故其言脩身者、亦皆以為行仁之本已。豈徒成己哉。後儒狃聞荘周内聖外王之説、而謂天下国家挙而措之。是以其解仁、或以天理、或以愛、専帰重於内、而止於成已。豈不非乎。

 

[仁政を行うは、身を脩(おさ)むるをもって本と為(な)す。身、いやしくも脩らずんば、仁政を行うといえども、民これに従わず。中庸に九経を挙げて身を脩むるを首(はじめ)とするも、またこの意なり。ゆえに孔子の答うる所は皆、身を脩むるの事なり。後儒はこれを知らず、誤りて、もって仁を成すの方を語ると為す。謬(あやま)りの大なる者なり。夫(そ)れ先王の教えは、詩書礼楽のみ。礼楽は言(ものい)わざれば、習いて、もって徳を成す。あにこれを外(ほか)にして別にいわゆる仁を成すの方あらんや。かつ先王の道は、もと民を安んずるが為にこれを立つ。ゆえにその身を脩むるをいう者も、また皆もって仁を行うの本と為すのみ。あに徒(ただ)己(おのれ)を成すのみならんや。後儒は荘周の内聖外王の説を狃(な)れ聞きて、天下国家に挙げて、これを措(お)くという。ここをもって、その仁を解するに、或いは天理をもってし、或いは愛をもってし、専(もっぱ)ら重きを内に帰して、己を成すに止(とどま)る。あに悲しからずや。]

 

《仁政を行うことは、修身を根本とする。もしも、修身しなければ、仁政を行うといっても、民は、これにしたがわない。『中庸』に9経(修身・尊賢・親親・敬大臣・体群臣・子庶民・来百工・柔遠人・懷諸侯、9-17)を列挙して、修身を最初とするのも、また、この意味なのだ。よって、孔子が応答することは、すべて、修身のことなのだ。後世の儒学者は、これを知らず、誤って、それで仁をなす方法を語ろうとする。誤りが偉大なものなのだ。そもそも先王の教えは、詩・書・礼・楽なのだ。礼楽は、無言で修得し、それで徳をなす。どうして、これを除外して、別にいわゆる仁をなす方法があるのか(いや、ない)。そのうえ、先王の道は元々、民を安寧するために、これを確立した。よって、その修身というものもまた、すべて、それで仁を行うのを根本としたのだ。どうして、ただ自己を完成するだけになるのか(いや、ならない)。後世の儒学者は、荘子の内聖外王(内に聖人・外に帝王の徳を兼ね備えた者)の説を慣れ聞いて、天下国家を取り上げて、これを据え置くという。こういうわけで、その仁を解釈するのに、天の理によってしたり、愛によってしたり、ひたすら重視を内側に帰着して、自己を完成するのにとどまる。どうして悲しくないのか(いや、悲しい)。》

 

 

(4)

・有論説道芸而曰是仁也者。是非称先王之徳也。亦非称仁人与仁政也。乃賛道之徳者已。後儒不察、混而一之。詳見下仁義。

 

[道芸を論説して、これを仁なりと曰(い)う者あり。これ先王の徳を称するにあらざるなり。また仁人と仁政とを称するにもあらざるなり。すなわち道の徳を賛する者のみ。後儒は察せず、混じてこれを一つにす。詳しきは下の仁義に見ゆ。]

 

《道徳・学芸を論説して、これを仁なのだというものがある。これは、先王の徳を称するのではないのだ。また、仁人と仁政を称するのでもないのだ。つまり道の徳を称賛するものなのだ。後世の儒学者は、推察せず、混合して、これをひとつにする。詳細は、下記の仁義(義(8))を見よ。》

 

 

(つづく)