日本住居集合論5~メガストラクチャーが視覚化された高層集合住宅 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

■メガストラクチャーを視覚化した高層集合住宅

 

 敗戦直後の住宅不足の中で、行政(1951年に公営住宅法制定、51C型)や、住宅公団(1955年に設立、55型)は、郊外では、エレベーターが省略できる、中層(4~5階建)・階段室型の団地を形成しましたが、都市では、エレベーターが必要な、高層化に取り組むことで、住宅を大量供給しました。

 高層化すれば、地面とのつながりが疎遠になってしまうので、家(私的)と街(公的)の間の空中に、街路的・広場的な共用スペース(半公的)を設置し、親の目が届きやすい、子供の遊び場を想定しましたが、子供の声や遊ぶ音がうるさいとの住民の苦情で、そこでの遊びが禁止され、閑散としています。

 量の時代の高層集合住宅は、メガストラクチャー(巨大構造)を視覚化したものが顕著で、ここでは、その代表的な4件を取り上げますが、当時は、巨大建築を、第2の大地や、立体的な都市基盤として、土木と同等にみていたようです。

 それが、質の時代(1973年以降)になると、しだいに構造を前面に押し出さなくなり、表層的な美観が重視され、建築と土木は、別物と意識されるようになったのではないでしょうか。

 メガストラクチャーは、スケルトン(構造・外装)を意識するので、インフィル(内装・設備)との分離にも、配慮することにつながりますが、美観の重視により、構造や設備を隠そうとすると、スケルトンとインフィルの混交も、見えにくくなります。

 

○前川国男の住宅公団晴海高層アパート(1958年)

 :10坪・12坪、1棟(15号館)、10階建、167戸

 前川は、ル・コルビュジェの設計事務所員だったので、晴海高層アパートは、コルビュジェのユニテ・ダビタシオン(マルセイユ、1952年)の影響がありますが、規模や風土が異なるので、違いもみられます。

 ユニテは、採光・通風のない中廊下型で、住戸は、大半をメゾネット(2層)とし(29坪)、共用廊下階+その上階の住戸、共用廊下階+その下階の住戸の、2種があり、3層を1ユニットとしており、地上部には、ピロティ、中間部には、商店、屋上部には、諸施設+庭園があります。

 一方、晴海は、3・6・9階が採光・通風のある片廊下型で、住戸は、すべてフラット(1層)とし、共用廊下階の住戸、共用廊下からの直線階段により、上階へ昇る住戸、下階へ降りる住戸の、3種があります。

 つまり、2戸1×3層スキップを1ユニットとしており、その1ユニットを強調するために、柱と、3層ごとの極太の梁を、外観に表出しています。

 ただし、その1ユニットが、4本の柱で取り囲まれた内側に完結していないので、両端と中央のエレベーター脇の住戸の一部は、非常用階段からの出入が必要になり、アクセスが複雑でした。

 1階住戸は、道路側から直接出入でき、2階住戸は、道路側からラセン階段で、台所の勝手口に出入できたので、地面とつながりやすくしました。

 ちなみに、ピロティは、公団に反対されたので、住戸とし、屋上庭園は、住人に開放できるよう、計画していたようですが、実現することは、ありませんでした。

 

○大高正人の広島市営基町・広島県営長寿園高層アパート(1972~1978年)

 :11坪・13坪、基町3棟(18~20号棟)・長寿園3棟(北館、南1・2号館)、8~20階建

 大高は、前川の設計事務所のチーフとして、晴海高層アパートに参画していたので、ユニテや晴海の影響があり、晴海で実現できなかった、ユニテと同様の、地上部のピロティ(工夫がなければ、駐車場化してしまいます)、屋上部の庭園(集会所を設置しています)を実現しました。

 基町・長寿園高層アパートは、偶数階が片廊下型で、住戸は、すべてフラット(1層)とし、共用廊下階の住戸、共用廊下から直線階段で上階へ昇る住戸の、2種があり、2戸1×2層スキップを1ユニットとしています。

 住棟は、敷地中央を空地にしたいので、住戸を南東面か南西面に向け、屏風状に配置し、柱が正方形断面の9.9m四方のグリッドとし、屏風の折れ曲がり部に、エレベーター・非常用階段を設置しています。

 その1ユニットを強調するために、柱と、2層(高さ5.935m)ごとの極太の梁を、外観に表出し、その1ユニットが、4本の柱で取り囲まれた内側に完結することで、晴海の複雑なアクセスが解消でき、ピロティも、2層分と同程度の高さを確保することで、できるだけ暗くならないようにしています。

 

○大谷幸夫の神奈川県営川崎河原町団地(1972年)

 :13坪(逆Y字形)・9坪(TC形)、6棟(4~9号棟、逆Y字形は偶数号棟)、14・9階建

 集合住宅の高層化において、公団では、晴海高層アパートを経験しましたが、公営では、その事例がなかったので、政府は、基町・長寿園高層アパートに大高を、川崎河原町団地に大谷を、特命で指名し、両者は、ほぼ同時期に完成しています。

 川崎河原町団地は、片廊下型を向かい合わせた、ツインコリダー(TC)形ですが、下層を段々に迫り出した逆Y字形断面の住棟も、半数取り入れ、住戸は、すべてフラット(1層)とし、東面か西面に向くので、段々にした下層は、南角をほぼ正方形平面のバルコニーにすることで、日照を確保しました。

 その結果、地上部には、両共用廊下の間に、広場ができますが、ここでも、日常での子供の遊びは、禁止され、非日常での大人の祭だけは、認められており、いくら豊かな共用スペースを作っても、騒音を理由に使用されず、どこも閑散とした風景になっています。

 逆Y字形の欠点は、ほぼ使えない広場が、ツインコリダーの間からの自然光で、比較的明るい一方、いつも使う下層の共用廊下が、とても暗いので、そこに照明が常時必要になるという、逆転現象です。

 

○ASTEMの芦屋浜シーサイドタウン高層住宅(1979年)

 :20坪・23坪(公団)・17坪(公社)、13棟・52ブロック、14~29階建

 工業化工法による高層住宅の設計競技(1972年)での当選案で、アステムは、公共の芦屋市と、民間の新日本製鉄・竹中工務店・高砂熱学工業・松下電工・松下興産の、共同事業体です(それぞれの頭文字)。

 この高層住宅は、2戸1の階段室型を基本とし、階段の上り下りの限界を、地上部では、4層分までとし、中間部・最上部では、エレベーターが停止する共用廊下階から、上下2層分までと設定すれば、共用廊下階は、7・12・17・22・27階となり、そこを空中広場としました(両端の住戸以外)。

 垂直方向は、2戸1の階段室(トラス柱)+住棟の両端を、水平方向は、5層ごとの空中広場(トラス梁)を、鉄骨造の大架構とし、その間にプレキャスト・コンクリート・パネル工法で、住戸を組み込む構成としました。

 2戸1の階段室が2個で、1ブロックとし、その1ブロックを連結して住棟を形成しますが、折り曲げることで、敷地中央を空地にしており、県営住宅が2棟・12ブロック、公社住宅が2棟・10ブロック、公団住宅が5棟・23ブロック、民間住宅が4棟・7ブロックです。

 

 このように、量の時代には、高層集合住宅でも、屋外の共用スペースを充実させようと、空中街路・空中広場等を確保しましたが、それで住民どうしの触れ合いが向上するわけでないので、質の時代には、屋内の共用施設の充実へと転換し、家と街の間を、オートロックで分断するようになりました。

 

(つづく)