富永仲基「出定後語」読解2~上巻1 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

■上巻

 

 

●1.教起(仏教興起)の前後

 

〇外道

・今且考教起之前後、蓋始于外道。其立言者、凡九十六種、皆宗天。曰、修之因、乃上生天。是已。

 

[今、且(まさ)に教起の前後を考うるに、けだし外道に始まる。その言(げん)を立つる者、凡(およ)そ九十六種、皆、天を宗(むね)とす。いわく、「これを因に修すれば、乃(すなわ)ち上(かみ)、天に生ず」と。これのみ。]

 

《今、まさに仏教興起の前後を考えようとすれば、思うに、仏教外の道から始まった。その(外道の)言葉を成立させたものは、約96種で、すべて、天を根本とした。(それらが)いう、「これを起因に修めれば、つまり上位になることは、天に生じる」と。これだけだ。》

 

・ 因果経云、太子因入雪山、遍扣諸仙。欲求何果。

仙人答言、為欲生天。乃是。

 

[ 因果経にいわく、「太子、因に雪山に入り、遍(あまね)く諸仙に扣(と)う。何の果を求めんと欲す」と。

仙人答えていう、「天に生まれんと欲するがためなり」と。乃(すなわ)ちこれ。

 

《 『過去現在因果経』によると、「太子時代の釈迦が、(ある)起因で雪山に入り、隅々まで様々な仙人に問うた。何の成果を求めようとするのか」と。

仙人が答えていう、「天に生まれようとするためだ」と。つまりこれだ。》

 

※仏教の外道:上位は天に生じて修める

 

〇外道から内道へ

・衛世師外道、在仏前八百年、是最久遠。其最後出、阿羅羅鬱陀羅也。蓋二十八天、以非非想為極。是鬱陀所宗、為度無所有而生于此也。是本上于阿羅以無所有為極。而無所有則本上于識処。識処則本上于空処。空処則本上于色界。空処色界、欲界六天、皆相加上以成説。其実則漠然、何知其信否。故外道所説、以非非想為極。釈迦文欲上于此、難復以生天勝之。於是、上宗七仏、而離生死相、加之以大神変不可思議力、而示以其絶難為。乃外道服而竺民帰焉。是釈迦文之道之成也。

 

[衛世師(えいせいし)外道、仏の前に在ること八百年、これ最も久遠(くおん)なり。その最も後に出(い)ずる、阿羅羅(あらら)・鬱陀羅(うつだら)なり。けだし二十八天、非非想をもって極となす。これ鬱陀の宗(むね)とする所、無所有(むしょう)を度(へ)て、ここに生まるとなせるなり。これもと阿羅の無所有をもって極となせるに上す。しかして無所有は、すなわち、もと識処(しきしょ)に上す。識処は、すなわち、もと空処(くうしょ)に上す。空処は、すなわち、もと色界に上す。空処・色界・欲界の六天、皆、相加上(かじょう)して、もって説を成せり。その実は、すなわち漠然として、何ぞその信否を知らん。ゆえに外道の所説、非非想をもって極となす。釈迦文(しゃかもん)、これに上せんと欲するも、復(ま)た天に生ずるをもって、これに勝ち難(がた)し。ここにおいて、上、七仏を宗として、生死の相を離れ、これに加うるに大神変不可思議力をもって、示すにその絶えて、なし難きをもってす。乃(すなわ)ち外道、服して竺(じく)民、帰す。これ釈迦文の道の成(な)れるなり。]

 

《エイセイシ(バラモン教の六派哲学のひとつ、勝論宗)の仏教外の道は、仏教以前に存在すること800年で、これが最も遠い過去だ。その(仏教外の道の)最後に出現したのが、アララ・ウツダラ(釈迦が修行中に教えを問うた仙人)だ。思うに、28天(欲界6天・色界18天・無色界4天)は、非想非非想処天(無色界4天の最上位=有頂天)を究極とする。これは、ウツダラの根本とするもので、無所有処天(無色界の非想非非想の直下)を計って、ここに生まれたとなしたのだ。これは元々、アララが無所有処天を究極としたのに加上した。そして、無所有処天は、つまり元々、識無辺処天に加上した。識無辺処天は、つまり元々、空無辺処天(無色界4天の最下位)に加上した。空無辺処天は、つまり元々、色界に加上した。空無辺処天・色界・欲界の6天はすべて、相互に加上して、それで説を成した。その実際は、つまり漠然としていて、どうしてそれが信じられるのか否かを知るのか。よって、仏教外の道の説は、非想非非想処天を究極とする。釈迦は、これに加上しようとしても、再び天に生じることよって、これ(先例)に勝ちにくい。こういうわけで、上位になることは、(過去)7仏(釈迦が登場するまでに出現した仏)を根本として、生死の様相を離れ、これに加えて、偉大な神の計り知れない不思議な力によって、(根本を)示すのに、それ(天への加上)を断絶して、なしにくいことによってした。つまり仏教外の道は、服従して、インドの民が帰着する。これは、釈迦の道が成したことだ。》

 

※加上=外道:天が根本、無色界の非想非非想処天(ウツダラ)>無所有処天(アララ)>識無辺処天>空無辺処天>色界18天>欲界6天〈新⇔古〉 ~ 古

※釈迦=内道:過去7仏が根本 ~ 新

 

〇小乗から大乗へ

・釈迦文既没、僧祇結集。迦葉始集三蔵、而大衆亦集三蔵、分為両部、而後復分為十八部。然而其言所述、以有為宗。事皆在名数、全無方等微妙之義。是所謂小乗也。於是、文殊之徒、作般若以上之。其言所述、以空為相。而事皆方広。是所謂大乗也。

 

[釈迦文すでに没して、僧祇(そうぎ)の結集あり。迦葉(かよう)、始めて三蔵を集めて、大衆、また三蔵を集め、分かれて両部をなし、しかる後に復(ま)た分かれて十八部となれり。しかるに、その言(げん)、述ぶる所、有をもって宗(むね)となす。事、皆、名数(みょうすう)在(あ)りて、全く方等・微妙の義なし。これ、いわゆる小乗なり。ここにおいて、文殊(もんじゅ)の徒、般若(はんにゃ)を作りて、もってこれに上す。その言、述ぶる所、空をもって相となす。しかして事、皆、方広(ほうこう)なり。これ、いわゆる大乗なり。]

 

《釈迦がすでに死没して、弟子達の編集会議があった。カヨウ(10大弟子の一人)は、始めて(経蔵・律蔵・論蔵の)3つの釈迦の教義(三蔵)を集め、大衆部も、また3つの釈迦の教義(三蔵)を集め、分派して(上座部と大衆部の)両部となり、そののちに再び分派して(小乗)18部となった。それなのに、その(釈迦の)言葉が述べることは、「有」を根本とする。物事はすべて、数の分類があって、まったく方正・平等・精妙の意義がない。これは、いわゆる小乗だ。こういうわけで、文殊菩薩の信徒は、悟りを得る智恵(般若)を作って、それでこれ(小乗)に加上した。その(文殊菩薩の)言葉が述べることは、「空」を様相とする。そして、物事はすべて、方正・広大だ。これは、いわゆる大乗だ。》

 

・ 智度金剛仙二論云、如来在此鉄囲山外、共文殊及十方仏、結集大乗法蔵。乃是。

 

[ 智度・金剛仙、二論にいわく、「如来、この鉄囲山(てっちせん)外に在(あ)りて、文殊および十方の仏と共に、大乗法蔵を結集す」と。乃(すなわ)ちこれ。]

 

《 『大智度論』(『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書)・『金剛仙論』(『金剛般若波羅蜜経』の注釈書)の2論によると、「如来(仏)は、この鉄山(須弥山の外側にある)の外に存在して、文殊菩薩・10方位(8方位+上下)の仏がともに、大乗の教義を編集会議する」と。つまりこれだ。》

 

※小乗=上座部→18部:有が根本、数の分類(4諦・8正道等) ~ 古

※大乗=大衆部:文殊菩薩信仰、悟りを得る智恵、空が様相、方正・平等・広大・精妙の意義 ~ 新

 

〇大乗の主張

・此時、大小二乗、未有年数前後之説。其張大乗者、則曰、自得道夜、至涅槃夜、常説涅槃。

 

[この時、大小二乗、いまだ年数前後の説あらず。その大乗を張る者は、すなわちいわく、「得道の夜より、涅槃(ねはん)の夜に至るまで、常に般若(はんにゃ)を説く」と。]

 

《この時に、大小2乗は、まだ経典の成立順序の説がなかった。その大乗を主張する者は、つまりいう、「初めて悟りを得た夜から、釈迦の入滅する夜まで、いつも悟りを得る智恵(般若)を説いた」と。》

 

・ 智度論文然。論又説迦文初成道事云、是時、世界主梵天王名式棄、及色界諸天等釈提桓因、及欲界諸天等、皆詣仏所、勧請世尊初転法輪。亦是菩薩念本所願、及大慈大非故、受請説法。諸法甚深者、般若波羅蜜是。是故、仏説摩訶般若波羅蜜経。乃是。

 

[ 智度論の文、しかり。論また迦文、初成道(しょじょうどう)の事を説きていわく、「この時、世界主、梵天王、名は式棄(しき)、および色界の諸天等・釈提桓因(しゃくだいかんいん)、および欲界の諸天等、皆、仏の所に詣して、世尊に初転法輪を勧請(かんじょう)す。また、これ菩薩の念じて、もと願う所、および大慈・大非のゆえに、請を受けて法を説く。諸法の甚(はなは)だ深き者は、般若波羅蜜これなり。このゆえに、仏、摩訶(まか)般若波羅蜜経を説く」と。乃(すなわ)ちこれ。]

 

《 『大智度論』の文章も、同様だ。論や釈迦が初めて悟りを得たことを説いていう、「この時に、世界の主人である梵天王、名はシキ(尸棄仏、過去7仏の2番目)、および色界の諸々の天等・帝釈天、および欲界の諸々の天等はすべて、仏の場所に参詣して、釈迦に初説法を迎え祭った。また、これは、悟りを得た修行者(菩薩)が念じて元々、願う場所で、また、偉大な慈悲から、請願を受けて仏法を説いた。様々な物事がとても深遠なものは、完全な真実の智恵(般若波羅蜜)、これだ。これによって、仏は、『摩訶般若波羅蜜経』を説く」と。つまりこれだ。》

 

※大乗:釈迦が初めて悟りを得た夜から入滅する夜まで、いつも悟りを得る智恵を説いたと主張

 

〇小乗の主張

・其張小乗者、則曰、従転法輪経、至大涅槃、集作四阿含。

 

[その小乗を張る者は、すなわちいわく、「転法輪経、従(よ)り大涅槃(ねはん)に至るまで、集めて四阿含(しあごん)を作る」と。]

 

《その小乗を主張する者は、つまりいう、「『転法輪経』(釈迦が悟りを得て最初に行った教えを記録)から偉大な釈迦の入滅に至るまで、集めて『四阿含経』を作った」と。》

 

・ 智度論云、大迦葉語阿難。従転法輪経、至大涅槃、集作四阿含。増一阿含、中阿含、長阿含、相応阿含、是名修妬路法蔵。乃是。

 

[ 智度論にいわく、「大迦葉(だいかしょう)、阿難に語る。転法輪経、従(よ)り大涅槃に至るまで、集めて四阿含(あごん)を作る。増一(ぞういち)阿含・中阿含・長(じょう)阿含・相応(そうおう)阿含、これを修妬路(しゅとろ)法蔵と名づく」と。乃(すなわ)ちこれ。]

 

《 『大智度論』によると、「偉大なカショウ(10大弟子の一人)が、アナン(10大弟子の一人)に語った。『転法輪経』から偉大な釈迦の入滅に至るまで、集めて『四阿含経』を作った。『増一阿含経』・『中阿含経』・『長阿含経』・『相応阿含経』、これをスートラ法蔵(小乗経)と名づけた」と。つまりこれだ。》

 

※小乗:経典化

 

〇大乗の法華経の優越

・是各命其終始、未有年数前後之説也。故其仁王般若序云、世尊前已説四般若。三十年正月説仁王者、亦唯泛爾言之。非言阿含後正当三十年也。然而法界性論説之云、十二年説阿含、三十年説大品、八年説法華。是為法華四十余年之文所転而云爾。其実非也。於是、法華氏之言興。其言云、従成正覚来、過四十余年。無数方便、引導衆生。我所説諸経、法華最第一。但為菩薩、不為小乗。観諸法実相。是名菩薩行。無量義経亦云、四十余年、未顕真実、種種説法、以方便力。是可見其託諸四十余年後、而愚法従前諸家、亦託諸実相、而破従前有空。是法華氏、乃大乗中別部、併従前二乗而斥之者也。然而後世学者、皆不知之。徒宗法華、以為世尊真実之説経中最第一者、誤矣。年数前後之説、実昉于法華。併呑権実之説、亦実昉于法華、広大方便力、栄惑古今人士者、何限。嗚呼孰蔽之者。非出定如来不能也。

 

[これ各(おのおの)その終始を命じて、いまだ年数前後の説あらざるなり。ゆえに、その仁王般若の序にいう、「世尊、前にすでに四般若を説く。三十年正月、仁王を説く」者も、またただ泛爾(はんじ)として、これをいう。阿含(あごん)の後、正当三十年というにはあらざるなり。しかるに法界性論(ほっかいしょうろん)、これを説きていわく、「十二年、阿含を説き、三十年、大品(だいぼん)を説き、八年、法華を説く」と。これ法華、四十余年の文の為(ため)に転ぜられて、しかいう。その実は非なり。ここにおいて、法華氏の言(げん)興(お)こる。その言にいわく、「成正覚(じょうしょうかく)従(よ)り来(このかた)、四十余年を過(す)ぐ。無数の方便、衆生(しゅじょう)を引導す。我(わ)が所説の諸経、法華最第一なり。ただし菩薩の為にして、小乗の為にせず。諸法の実相を観ず。これ菩薩行と名づく」と。無量義経もまたいわく、「四十余年、いまだ真実を顕(あら)わさず、種種の説法は、方便力をもってす」と。これ見つべし、そのこれを四十余年の後に託して、従前の諸家を愚法にし、またこれを実相に託して、従前の有・空を破るを。これ法華氏は、乃(すなわ)ち大乗中の別部、従前の二乗を併せて、これを斥(せき)する者なり。しかるに後世の学者は皆、これを知らず。徒(いたずら)に法華を宗として、もって世尊、真実の説経中の最第一となせる者は、誤る。年数前後の説は、実に法華に昉(はじ)まる。併呑権実(へいどんごんじつ)の説もまた、実に法華に昉まる。広大の方便力、古今の人士を栄惑(えいわく)するは、何ぞ限らん。ああ、孰(たれ)かこれを蔽(へい)する者ぞ。出定(しゅつじょう)如来にあらざれば、能(あた)わざるなり。]

 

《これ(大小2乗の主張)は、各々その終始を命令して、まだ経典の成立順序の説がなかったのだ。よって、その『仁王般若経』(大乗経)の序によると、「釈迦は、以前すでに4つの悟りを得る智恵(般若)を説いた。(釈迦が悟りを得て)30年後の1月に、『仁王般若経』を説いた」とする者も、また、ただ漠然とするだけで、これをいった。『四阿含経』(小乗経)の後で、正確に30年後というのではないのだ。それなのに『法界性論』は、これを説いていう、「12年後に『四阿含経』を説き、30年後に『大品般若経』(『摩訶般若波羅蜜経』/大乗経)を説き、8年後に『法華経』(大乗経、法華3部経のひとつ)を説く」と。これは、『法華経』が(釈迦が悟りを得て)40年後あまりの文章のために、転換させられて、そういった。その実際は、そうでない。こういうわけで、『法華経』の言葉が起こった。その(『法華経』の)言葉によると、「悟りを得るのを成し遂げて以来、40年あまりが過ぎた。無数の方便が、生類を引導した。わが説の経典で、『法華経』が最上位だ。ただし、悟りを得た修行者(菩薩)のためであって、小乗のためでない。様々な物事の実際の様相を観察する。これは、菩薩行と名づける」と。また、『無量義経』(大乗経、法華3部経のひとつ)によると、「40年後あまり、まだ真実を現わさず、様々な説法は、方便力によってする」と。これを見るべきだ、そうしてこれを40年後あまりに託して、以前の諸派を劣った教えにし、またこれを実際の様相に託して、以前の「有」(小乗)・「空」(他の大乗)を打ち破るのを。この『法華経』一派は、つまり大乗の中の別部で、以前の大小2乗を併せて、これを排斥する者だ。それなのに後世の学者は皆、これを知らない。無駄に『法華経』を根本として、それで釈迦が、真実の説経の中の最上位となす者は、誤る。経典の成立順序の説は、実際に『法華経』から始まる。方便と真実が併合した説もまた、実際に『法華経』から始まる。広大な方便力で、昔も今も立派な人を困惑するのは、どうして限られるのか(いや、限られない)。ああ、誰がこれ(誤り)を塞ぐ者なのか。悟りを得てから出た如来でなければ、できないのだ。》

 

・ 解深密経云、初小乗、中空教、後不空。亦法華氏之党也。又案、三蔵之目、始起於迦葉。而法華文有三蔵学者。是知法華経出于後。又案法華、蓋普現之徒作。大論遍吉之語可見。

 

[ 解深密経にいわく、「初め小乗、中(なか)空教、後(のち)不空」と。また法華氏の党なり。また案ずるに、三蔵の目、始めて迦葉(かしょう)に起これり。しかして法華の文に三蔵学者あり。ここに知る、法華経後に出(い)でたるを。また案ずるに、法華は、けだし普現の徒、作る。大論の遍吉の語、見るべし。]

 

《 『解深密経』(大乗経)によると、「先に小乗、中間に空の教え、後に不空の教え」と。また、『法華経』一派の仲間だ。また、思うに、(経蔵・律蔵・論蔵の)3つの釈迦の教義の項目は、始めてカショウ(10大弟子の一人)に起こった。そして、『法華経』の文章に、3つの釈迦の教義の学者がいる。ここに知る、『法華経』後に出たのを。また、思うに、『法華経』は、思うに、普賢菩薩の信徒が作った。『大智度論』の普賢菩薩の法華経護持の言葉を、見るべきだ。》

 

※加上:大乗の法華経・不空の教え(釈迦が悟りを得て40年後あまりに『法華経』→8年後)>他の大乗・空の教え(30年後に『大品般若経』=『摩訶般若波羅蜜経』)>小乗(12年後に『四阿含経』)〈新⇔古〉

 

(つづく)