伊藤仁斎「語孟字義」下・読解13~附1 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●附1:大学は孔氏の遺書にあらざるの弁(大学非孔氏之遺書弁)

 

 

(序)

・欲為孔孟之学者、不可以不読孔孟之書。欲読孔孟之書者、不可以不識孔孟之血脈。読孔孟之書、而不識孔孟之血脈者、猶を船之無柁、夜行之無燭、瞽者之失杖、而莫識其所嚮方也。其可乎。苟読孔孟之書、而識孔孟之血脈、天下何書不可読、何理不可弁。試以異端之言、雑諸聖人之書、以聖人之言、置諸異端之書、其見之如視黒白、分之如弁菽麥、随手而取、入耳則知、不爽毫釐、不差杪忽、夫然後謂之能識孔孟之血脈也。

 

[孔・孟の学をなさんと欲する者は、もって孔・孟の書を読まずんばあるべからず。孔・孟の書を読まんと欲する者は、もって孔・孟の血脈を識(し)らずんばあるべからず。孔・孟の書を読んで、孔・孟の血脈を識らざる者は、なお船の柁(かじ)なく、夜行の燭(しょく)なく、瞽者(こしゃ)の杖を失うて、その嚮方(きょうほう)する所を識ることなきがごとし。それ可ならんや。いやしくも孔・孟の書を読んで、孔・孟の血脈を識らば、天下、何の書か読むべからず、何の理か弁ずべからざらん。試(こころ)みに異端の言(げん)をもって、これを聖人の書に雑(まじ)え、聖人の言をもって、これを異端の書に置いて、そのこれを見ること、黒白を視るがごとく、これを分かつこと、菽(しゅ)・麦(ばく)を弁(わきま)うるがごとく、手に随(したご)うて取り、耳に入るときは、すなわち知り、毫釐(ごうり)を爽(たが)えず、杪忽(びょうこつ)を差(たが)えず、それしかる後に、これをよく孔・孟の血脈を識るというなり。]

 

《孔子・孟子の学問をしようとする者は、それで孔子・孟子の書物を読まないべきではない(読まないわけにはいかない)。孔子・孟子の書物を読もうとする者は、それで孔子・孟子の血脈を知らないべきではない(知らないわけにはいかない)。孔子・孟子の書物を読んで、孔子・孟子の血脈を知らない者は、ちょうど船にカジがなく、夜の行動にアカリがなく、盲人が杖を失うようなもので、その向かうところを知ることがないようだ。それでよいのか(いや、ダメだ)。もしも、孔子・孟子の書物を読んで、孔子・孟子の血脈を知れば、天下で何の書物を読むべきでないのか、何の理を弁明すべきでないのか。試しに異端の言葉によって、これを聖人の書物に混ぜ、聖人の言葉によって、これを異端の書物に置いて、それでこれを見ることは、黒・白を見分けるようなもの、これを分けることは、マメ・ムギを弁別するようなもので、手にしたがって取り、耳に入れば、つまり知り、ごくわずかも間違えず、数秒も間違えず、そうしてその後に、これで充分に孔子・孟子の血脈を知るというのだ。》

 

※孔子・孟子の学問:書(書物)を読む・理を弁ずる(弁明する)→血脈を識る(知る)

 

・将何以得能識孔孟之血脈而不惑乎。夫孔子之聖、賢於堯舜遠甚、而自有生民以来、未有比其盛者矣。而孟子願学孔子、而得其宗者也。若使孔孟復生於今世、其所説所行、不可過語孟二書、則舎語孟二書、而其何以能之。誠以論語一書、其詞平正、其理深穏、増一字則有剰、減一字則不足。天下之言、於是乎極矣。天下之理、於是乎尽矣。実宇宙第一書也。孟子之書、亦羽翼論語、而其詞明白、其理純粹、非若礼記諸篇、出於秦人坑燔之余、而成於漢儒附会之手。故次論語、而其言無詭者、其唯孟子乎。学者苟取此二書、沈潜反復、優游饜飫、口之而不絶、手之而不釈。立則見其参於前、在輿則見其倚於衡、如承其謦欬、如視其肺腑、不知手之舞之、足之蹈之。夫然後得能識孔孟之血脈、而不為衆言淆乱之所惑也。

 

[まさに何をもって、よく孔・孟の血脈を識(し)って惑わざることを得んとするか。それ孔子の聖、堯(ぎょう)・舜(しゅん)に賢(まさ)れること、遠く甚(はなは)だしくして、生民(せいみん)あってより以来、いまだその盛(せい)に比する者あらず。しかして孟子、孔子を学ばんことを願うて、その宗(そう)を得(う)る者なり。もし孔・孟をして、また今世(きんせい)に生れしむるとも、その説く所、行う所、語・孟の二書に過ぐるべからざるときは、すなわち語・孟の二書を舎(す)てて、それ何をもって、これをよくせん。誠にもって論語の一書、その詞、平正(へいせい)、その理、深穏(しんおん)、一字を増すときは、すなわち剰(あま)ることあり、一字を減ずるときは、すなわち足らず、天下の言(げん)、ここにおいてか極まる。天下の理、ここにおいてか尽く。実に宇宙第一の書なり。孟子の書も、また論語を羽翼(うよく)して、その詞、明白、その理、純粋、礼記(らいき)諸篇、秦人(しんびと)坑燔(こうはん)の余に出(い)でて、漢儒、附会の手に成るがごときにあらず。ゆえに論語に次いでその言、詭(あやま)りなき者は、それただ孟子か。学者いやしくもこの二書を取って、沈潜反復、優游(ゆうゆう)饜飫(えんよ)、これを口にして絶えず、これを手にして釈(お)かず、立つときは、すなわちその前に参(さん)なるを見、輿(よ)に在るときは、すなわちその衡(こう)に倚(よ)るを見、その謦欬(けいがい)を承(う)くるがごとく、その肺腑を視るがごとく、手のこれを舞い、足のこれを蹈(ふ)むことを知らず。それしかる後に、よく孔・孟の血脈を識って、衆言淆乱(こうらん)のために、惑わざる所を得ん。]

 

《まさに、何によって、充分に孔子・孟子の血脈を知って、迷わないことを得ようとするのか。そもそも孔子の聖は、堯・舜(古代中国の伝説上の帝王)に勝っていることが遥か遠くで、人民がいるようになって以来、まだその(孔子の聖の)勢いと比べるものがない(『孟子』3-25)。そして、孟子は、孔子を学ぼうとすることを望んで、その(孔子の)教義を得た者だ。もし、孔子・孟子を、再び今の世の中に生まれさせても、その説くこと・行うことは、『論語』・『孟子』の2つの書物を超過できなければ、つまり『論語』・『孟子』の2つの書物を捨てて、それで何によって、これ(説くこと・行うこと)を充分にするのか。本当に『論語』の1つの書物は、その言葉がやさしくて正しく、その理が深くて穏やかで、一字を増せば、つまり過剰、一字を減らせば、つまり不足で、天下の言葉は、ここにおいて極まっている。天下の理は、ここにおいて尽くされている。実に宇宙第一の書物だ。『孟子』の書物も、また『論語』を補佐して、その言葉は明白、その理は純粋で、『礼記』の諸篇が、秦の人の焚書坑儒の余りで出て、漢代の儒学者が、こじつけの手を入れたようなものではない。よって、『論語』に次いで、その言葉が誤りないものは、それがただ『孟子』だけか。学ぶ者は、もしも、この2つの書物を取って、没頭を反復、ゆったりと充分満足し、これ(2つの書物)を絶えず口にして、置かず手にして、(政務で)立っている時は、つまりその(『論語』『孟子』の)前に参上しているのを見、馬車に乗っている時は、つまりその(『論語』『孟子』の)横木に寄り掛かっているのを見て(『論語』15-384)、その(『論語』『孟子』の)咳払いを受けるように、その(『論語』『孟子』の)心の奥底を見るように、手がこれ(身もだえ)で舞い、足がこれ(身もだえ)で踏むことを知らない。そうしてその後に、充分に孔子・孟子の血脈を知って、大勢の言葉の入り乱れのために、迷わないことを得るだろう。》

 

※孔子・孟子の血脈を識る(知る)→不惑(迷いなし)を得る:孔子の聖の盛(勢い)

 ・『論語』:宇宙第一の書(書物)、詞(言葉)が平正(やさしく正しい)、理が深穏(深く穏やか)

 ・『孟子』:『論語』を羽翼(補佐)、詞が明白、理が純粋

 

・大学一書、本在戴記之中、不詳譔人姓名。蓋斉魯諸儒、熟詩書二経、而未知孔孟之血脈者所撰也。其斉家伝以下、言孝弟慈、論絜矩之道者、吾有取焉。固能得詩書之意者也。至乎其列八条目、及其所説学問之法、則不能無疑。

 

[大学の一書、もと戴記(たいき)の中に在(あ)って、譔人(せんじん)の姓名を詳(つまび)らかにせず。けだし斉(せい)・魯(ろ)の諸儒、詩・書の二経に熟して、いまだ孔・孟の血脈を知らざる者の撰する所なり。その斉家伝以下、孝・弟・慈をいい、絜矩(けっく)の道を論ずる者は、吾(われ)取ることあり。固(まこと)によく詩・書の意を得(う)る者なり。その八条目を列し、およびその説く所の学問の法に至っては、すなわち疑いなきこと能(あた)わず。]

 

《『大学』の1つの書物は元々、『礼記』の中にあり(篇42)、作者の姓名は不詳だ。思うに、斉・魯の国の多くの儒学者が、『詩経』・『書経』の2つの経典に熟知していたが、まだ孔子・孟子の血脈を知らない者が編集したものだ。その(『大学』の)「斉家」以下は、孝・悌(てい、年長者への従順)・慈(慈悲)をいい(伝9)、思いやりの道を論じるものは(伝10)、私も取り上げることがある。本当に充分に『詩経』・『書経』の意味を得たものだ。その8条項(格物・致知、誠意・正心・修身、斉家・治国・平天下)を列挙し、またはそれが説く学問の方法に至っては、つまり(孔子・孟子の血脈を知っているのか、)疑いないことにはできない(疑わずにはいられない)。》

 

※『大学』:『礼記』の一部、作者不詳、孔子・孟子の血脈を知らずに撰(編集)

 

 

(1)

・大学曰、古之欲明明徳於天下者、先治其国。欲治其国者、先斉其家。欲斉其家者、先修其身。欲修其身者、先正其心。欲正其心者、先誠其意。欲誠其意者、先致其知。致知在格物。程子以此為古人為学次第。然而愚謂孔孟言為学之条目者固多。未聞以此八事相列若此其密。語曰、子以四教。文行忠信。明夫子教人之条目、在此四者、而無他法也。又曰、知者不惑、仁者不憂、勇者不懼。明此三者天下之達徳、而進学之叙、無出於此者也。曽子曰、夫子之道、忠恕而已矣。明忠恕終身可以行之、而夫子之道、莫過於是者也。中庸曰、為政在人。取人以身。修身以道。修道以仁。此亦言為学次第如此。何其簡而易従邪。大学以為人之進道、若登九層台、歴一階、又歴一階、而後進至于台上邪。夫道非他、即人之道也。以人修人之道。何遠之有。孔子曰、仁遠乎哉。我欲仁、斯仁至矣。孟子曰、道在邇。而求諸遠。皆言道之甚近也。豈有如登九層台乎。宋人嘗譏韓子以其引大学不及於格物致知。亦不深考耳。孟子曰、人有恒言。皆曰、天下国家、天下之本在国、国之本在家、家之本在身。非但不及於格物致知、纔止於家之本在身。而不及於正心誠意、則又譏孟子以不知大学、可乎。故知八条之目、非孔孟之意明矣。

 

[大学にいわく、「古(いにしえ)の明徳を天下に明らかにせんと欲する者は、まずその国を治む。その国を治めんと欲する者は、まずその家を斉(ととの)う。その家を斉えんと欲する者は、まずその身を修む。その身を修めんと欲する者は、まずその心を正しゅうす。その心を正しゅうせんと欲する者は、まずその意を誠にす。その意を誠にせんと欲する者は、まずその知ることを致(きわ)む。知ることを致むることは、物を格(ただ)すに在り」。程子、これをもって古人(こじん)学をするの次第とす。しかれども愚(ぐ)おもえらく、孔・孟学をするの条目をいう者、固(まこと)に多し。いまだこの八事をもって相列(つら)ぬること、かくのごとく、それ密なるを聞かず。語にいわく、「子、四つをもって教ゆ。文・行・忠・信」と。明らけし、夫子、人を教うるの条目、この四者に在(あ)って、他の法なきこと。またいわく、「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼(おそ)れず」と。明らけし、この三者は、天下の達徳にして、学に進むの叙(じょ)、ここに出ずる者なきこと。曽子(そうし)のいわく、「夫子の道は、忠恕のみ」。明らけし、忠恕は身を終うるまで、もってこれを行うべくして、夫子の道は、これに過ぐる者なきこと。中庸にいわく、「政をすること人に在り。人を取るに身をもってす。身を修むるに道をもってす。道を修むるに仁をもってす」。これまた学をする次第をいうこと、かくのごとし。何ぞそれ簡にして従いやすきや。大学、もって人の道に進む、九層の台に登るがごとく、一階を歴(へ)、また一階を歴て、しかる後に進んで台上に至るとするか。それ道は、他にあらず、すなわち人の道なり。人をもって人の道を修む、何の遠きことかこれあらん。孔子いわく、「仁、遠からんや。我、仁を欲すれば、ここに仁至る」。孟子いわく、「道は邇(ちか)きに有り。しかしてこれを遠きに求む」。皆、道の甚(はなは)だ近きをいうなり。あに九層の台に登るがごときことあらんや。宋人(そうひと)、かつて韓子を譏(そし)るに、その大学を引いて格物・致知に及ばざるをもってす。また深く考えざるのみ。孟子のいわく、「人、恒の言(げん)あり。皆いう、天下国家と。天下の本は国に在り、国の本は家に在り、家の本は身に在り」。ただ格物・致知に及ばざるのみにあらず、わずかに「家の本は身に在る」に止(とど)まって、正心・誠意に及ばざるときは、すなわちまた孟子を譏(そし)るに大学を知らざるをもってして、可ならんや。故に知る、八条の目(もく)は、孔・孟の意にあらざること明らけし。]

 

《『大学』によると、「昔の公明正大な徳(明徳)を天下に明らかにしようとする者は、まずその国を治める。その国を治めようとする者は、まずその家を整える。その家を整えようとする者は、まずその身を修める。その身を修めようとする者は、まずその心を正しくする。その心を正しくしようとする者は、まずその意思を本物にする。その意思を本物にしようとする者は、まずその知ることを極める。知ることを極めることは、物を極めることにある」(経)。程顥(ていこう)+程頤(ていい)兄弟(中国・北宋の儒学者)は、これを昔の人が学問をする順序とする。しかし、愚見だが、思うに、孔子・孟子の学問をする条項をいうものは、本当に多い。このように、まだこの8事項を互いに連ねることが、そうして綿密なのを聞かない。『論語』によると、「孔子は、4つを教えた。学問・行動・忠・信だ」(7-171)。(孔子)先生は、人を教える条項が、この4つにあり、他の方法がないことが、明らかだ。また(『論語』で)いう、「知ある者は迷わない、仁ある者は悩まない、勇ある者は恐れない」(9-233、14-362)。この3つは、天下の一般的に行われるべき徳で、学問を進める順序が、ここから出ているものではないことが、明らかだ。曽子(孔子の弟子)がいう、「(孔子)先生の道は、忠・恕だけだ」(『論語』4-81)。忠・恕は、終身まで、それでこれ(忠・恕)を行うべきで、(孔子)先生の道は、これ(忠・恕)を超過するものがないことが、明らかだ。『中庸』によると、「政治をすることは人にある。人を選び取るには、自身によってする。自身を修めるには、道によってする。道を修めるには、仁によってする」。これは、また学問をする順序をいうことで、このようだ。どうしてそれは簡単でしたがいやすいのか。『大学』は、それで人の道に進み、9階建ての楼台に登るようなもので、1階を経、また1階を経て、その後に進んで楼台の上に至るとするのか。そもそも道は、他でもない、つまり人の道だ。人によって、人の道を修める、どこに遠いことがここにあるのか(いや、遠くない)。孔子が(『論語』で)いう、「仁は遠くなのだろうか(いや、遠くない)。私が仁を求めれば、それで仁に至るのだ」(7-176)。『孟子』によると、「道は近くにある。そしてこれ(道)を遠くに求める」(7-72)。すべて道がとても近いことをいうのだ。どうして9階建ての楼台に登るようなことがあるのか。宋の人(宋代の儒学者)は、かつて韓愈(かんゆ、中国・唐中期の士大夫)を責めるのに、それ(韓愈)が『大学』を引用したのに、格物・致知に及ばなかったことによってした(責めた)。やはり、深く考えていなかっただけだ。『孟子』によると、「人は、いつもの言葉がある。皆がいう、天下国家と。天下の根本は国にあり、国の根本は家にあり、家の根本は自身にある」(7-66)。ただ格物・致知に及ばなかっただけでなく、わずかに「家の根本は自身にある」に留まって、正心・誠意に及ばなければ、つまりまた孟子を責めるのに、『大学』を知らないことによってして(責めて)、よいのか。よって、8条項は、孔子・孟子の意思にないことが明らかになったのを、知る。》

 

※学(学問)の次第(順序)

 ・『大学』=8段階:明徳→治国→斉家→修身→正心→誠意→致知→格物 ~ 孔孟の血脈を知らず

 ・『中庸』=4段階:為政は人→人を選び取るのは身(自身)→修身は道→修道は仁

 ・孟子=3段階:天下の本(根本)は国(天下国家)→国の本は家→家の本は身(自身)

 ・孔子=順序なし:文(学問)・行(行動)・忠・信、知者不惑・仁者不憂・勇者不懼、忠・恕

 

 

(2)

・大学曰、修身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正。有所好楽、則不得其正。有所憂患、則不得其正。夫存心之道、莫要於無所忿懥恐懼好楽憂患者邪。書曰、以礼制心。孟子曰、君子以仁存心、以礼存心。又曰、居仁由義、大人之事備矣。大学乃不以此為要、而徒欲無所忿懥恐懼好楽憂患、何哉。夫此四者、心之用也。凡人有斯形、則有斯心。有斯心、則不能無忿懥恐懼好楽憂患。苟以仁存心、以礼存心、則此四者、即仁礼之著、而天下之達道也。何悪之有。大学乃不此之識、而徒欲無忿懥恐懼好楽憂患。此即不識孔孟之血脈故也。

 

[大学にいわく、「身を修むることは、その心を正しゅうするに在(あ)りとは、身(むくろ)忿懥(ふんち)する所あるときは、すなわちその正しきことを得ず。恐懼(きょうく)する所あるときは、すなわちその正しきことを得ず。好楽(こうぎょう)する所あるときは、すなわちその正しきことを得ず。憂患する所あるときは、すなわちその正しきことを得ず」。それ「心を存す」るの道は、忿懥・恐懼・好楽・憂患する所なき者より要(よう)なるはなきや。書にいわく、「礼をもって心を制す」。孟子のいわく、「君子は仁をもって心を存し、礼をもって心を存す」、またいわく、「仁に居(お)り義に由(よ)る、大人の事、備(そな)わる」。大学すなわちこれをもって要とせずして、徒(いたず)らに忿懥・恐懼・好楽・憂患する所なからんことを欲するは、何ぞや。それこの四つの者は、心の用なり。およそ人、この形あるときは、すなわちこの心あり。この心あるときは、すなわち忿懥・恐懼・好楽・憂患なきこと能(あた)わず。いやしくも仁をもって心を存し、礼をもって心を存するときは、すなわちこの四つの者は、すなわち仁・礼の著(あら)われにして、天下の達道なり。何の悪(あ)しきことか、これあらん。大学、すなわちこれこれを識らずして、徒らに忿懥・恐懼・好楽・憂患なからんことを欲す。これすなわち孔・孟の血脈を識(し)らざるがゆえなり。]

 

《『大学』によると、「「自身を修めることは、その(自身の)心を正しくすることにある」とは、自身が怒ることがあれば、つまりその(自身の心の)正しいことを得られない。恐れることがあれば、つまりその(自身の心の)正しいことを得られない。好み楽しむことがあれば、つまりその(自身の心の)正しいことを得られない。悩むことがあれば、つまりその(自身の心の)正しいことを得られない」(伝7)。その(自身の正しい)「心を存す」る道は、怒る・恐れる・好み楽しむ・悩むことがないものより、重要なことはないのか。『書経』によると、「礼によって心を制す」。『孟子』によると、「君子は、仁によって心を存し、礼によって心を存する」(8-117)。また(『孟子』で)いう、「仁に在居し、義を経由すれば、大人(立派な人)の事を備え持つ」(13-209)。『大学』は、つまりこれを重要とせずに、無駄に怒る・恐れる・好み楽しむ・悩むことがないようにしたいのは、なぜか。それで、この4つ(怒り・恐れ・好み楽しみ・悩み)は、心の作用だ。そもそも人には、この形(外面)があれば、つまりこの心(内面)がある。この心があれば、つまり怒り・恐れ・好み楽しみ・悩みをないことにはできない。もしも、仁によって心を存し、礼によって心を存すれば、つまりこの4つは、つまり仁・礼の現われで、天下の一般的に行われる道だ。何の悪いことが、これにあるのか。『大学』は、つまりここでこれを知らないで、無駄に怒り・恐れ・好み楽しみ・悩みをないようにしたい。これは、つまり孔子・孟子の血脈を知らないからだ。》

 

※形(外面)・心(内面)

 ‐形=心:自分の修身=正心 ~ 孔孟の血脈を知らず

  ・『大学』:存心之道=忿懥(怒り)・恐懼(恐れ)・好楽・憂患(悩み)の心の用(作用)をなくす

 ‐形→心:先に他人への徳(仁・礼)→後に自分の制心・存心 ~ 天下の達道(一般的に行われる道)

  ・『書経』:礼で心を制す

  ・『孟子』:君子は仁で心を存し礼で心を存す、仁に居(在居)し義に由(経由す)れば大人(立派な人)

 

 

(3)

・又曰、心不在焉、視而不見、聴而不聞、食而不知其味。可謂害道尤太甚矣。非惟不識孔孟之血脈、蓋不信孔子、而自欲以己之学号於世者也。語曰、子在斉聞韶。三月不知肉味。又曰、発憤忘食。又曰、顔淵死。子哭之慟。従者曰、子慟矣。曰、有慟乎。非夫人之為慟而誰為。若以大学観之、則可謂孔子亦不免放心也。夫撰大学者、本非疎漏而然、亦非有意義相通。其学本不見仁義之良、而欲剛制其心。蓋告子之流耳。

 

[またいわく、「心在(あ)らざれば、視れども見えず、聴けども聞えず、食(くら)えどもその味を知らず」。道を害すること、もっとも太甚(はなは)だしというべし。ただ孔・孟の血脈を識(し)らざるのみにあらず、けだし孔子を信ぜずして、自ら己(おのれ)の学をもって世に号(さけ)ばんと欲する者なり。語にいわく、「子、斉に在(いま)して韶(しょう)を聞く。三月肉の味を知らず」。またいわく、「憤(いきどお)りを発して食を忘る」。またいわく、「顔淵(がんえん)死す。子、これを哭(こく)して慟(どう)す。従者いわく、「子慟す」。いわく、「慟することあるか。かの人のこれために慟するあらずして、誰がためにせん」」。もし大学をもってこれを観るときは、すなわち孔子もまた放心を免れずというべし。それ大学を撰する者、もと疎漏(そろう)にして、しかるにあらず、また意義あって相通ずるにあらず。その学、もと仁義の良(りょう)を見ずして、剛(し)いてその心を制せんことを欲す。けだし告子(こくし)の流のみ。]

 

《また(『大学』で)いう、「心が不在ならば、見ても見えず、聞いても聞こえず、食べてもその味がわからない」(伝7)。(これは、)道を害することが、最も甚大だというべきだ。ただ孔子・孟子の血脈を知らないだけでなく、思うに、孔子を信じないで、自己の学問を世の中に大声でさけびたい者だ。『論語』によると、「孔子が斉の国にいて、韶の音楽を聞いた。3ヶ月間、肉の味がわからなかった」(7-160)。また(『論語』で)いう、「(孔子の人柄は、)怒りを発すると食事を忘れる」(7-165)。また(『論語』で)いう、「顔淵(孔子の弟子、顔回)が死んだ。孔子は、これ(顔回の死)を号泣してとても悲しんだ。従者がいう、「孔子(先生)がとても悲しんでいました」。(孔子が)いう、「とても悲しんでいたか。あの人(顔回)がこれの(死んだ)ために、とても悲しまないで、誰のために(号泣)するのか」(11-262)。もし、『大学』によって、これを見れば、つまり孔子もまた、心の放出(放心)を免れないというべきだ。そもそも『大学』を編集した者は元々、(孔子の血脈を知るのに)おろそか・もれがあって、そうしたのではなく、また、意義があって互いに通じるのでもない。その(『大学』の)学問は元々、仁義のよさを見ないで、強引にその心を制しようとした。思うに、告子(中国・戦国時代の思想家、孟子と論争)の流儀だ。》

 

※心

 ・『大学』=心の不在・放心(心の放出)を批判:正心・存心=制心 ~ 孔孟の血脈を知らず

 ・孔子=自分の心は他人への徳(仁義)で動静:心の不在も存心もあり・放心も制心もあり

 

 

(つづく)