伊藤仁斎「語孟字義」上・読解8~仁義礼智1-5条 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●仁義礼智:14条

 

 

○1条

・慈愛之徳、遠近内外、充実通徹、無所不至、之謂仁。為其所当為、而不為其所不当為、之謂義。尊卑上下、等威分明、不少踰越、之謂礼。天下之理、暁然洞徹、無所疑惑、之謂智。天下之善雖衆、天下之理雖多、然仁義礼智、為之綱領、而万善莫不自総括於其中。故聖人以是四者、為道徳之本体、而教学者由此而修之也。

 

[慈愛の徳、遠近内外、充実通徹、至らずという所なき、これを仁という。そのまさにすべき所をして、そのまさにすべからざる所をせず、これを義という。尊卑上下、等威分明、少しも踰越(ゆえつ)せざる、これを礼という。天下の理、暁然洞徹、疑惑する所なき、これを智という。天下の善、衆(おお)しといえども、天下の理、多しといえども、しかれども仁義礼智、これが綱領(こうりょう)となって、万善自ずからその中に総括せずといふことなし。ゆえに聖人、この四者をもって、道徳の本体として、学者をして、これに由(よ)って、これを修めしむるなり。]

 

《慈愛の徳が、遠くも近くも・内も外も、充実・貫通し、至らないということがない、これを仁という。その当然すべきことをして、その当然すべきでないことをしない、これを義という。身分の尊卑・地位の上下、威儀の等級が明らかに分けられ、少しも越えない、これを礼という。天下の理が、明瞭に洞察し、疑惑することがない、これを智という。天下の善が多いといっても、天下の理が多いといっても、しかし仁義礼智は、これが要点となって、すべての善行が自ずから、その中に総括しないということがない(総括する)。よって、聖人は、この4者を道徳の本体とし、学ぶ者が、これ(4者)を経由して、これ(道徳)を修めさせるのだ。》

 

※聖人:道徳の本体=仁義礼智:万善(すべての善行)を総括

 ・仁:慈愛の徳が充実・通徹(貫通)

 ・義:当然すべきことをし、当然すべきでないことをしない

 ・礼:尊卑・上下・等威(威儀の等級)が明確に区分

 ・智:天下の理が、暁然(明瞭)・洞徹(洞察)

 

 

○2条

・仁義礼智之理、学者当以孟子之論、作本字註脚看。蓋孔門の学者、以仁義礼智為家常茶飯、不復有疑於其間。故門人弟子、惟問其所以為之之方、夫子亦以其所以為之之方告之、而未嘗論仁義礼智之義。故今不能拠其詞而推其理。至孟子時、則聖遠道湮、学者非惟不得修仁義礼智之方、亦併仁義礼智之義、而不知之。故孟子為学者、諄諄然明論其理、指其源委、委曲詳悉、無復滲漏。故学者当原之於孟子、察其義理、而後会之於論語、求其全体。則茲無余蘊。

 

[仁義礼智の理、学者まさに孟子の論をもって、本字の註脚と作(な)して看(み)るべし。けだし孔門の学者、仁義礼智をもって家常茶飯とし、またその間に疑いあらず。ゆえに門人・弟子、ただそのこれをなすゆえんの方(ほう)を問い、夫子(ふうし)、またそのこれをなすゆえんの方をもって、これに告げて、いまだかつて仁義礼智の義を論ぜず。ゆえに今、その詞に拠(よ)って、その理を推(お)すこと能(あた)わず。孟子の時に至っては、すなわち聖遠く道湮(しず)み、学者ただ仁義礼智を修むるの方を得ざるのみにあらず、また仁義礼智の義を併(あわ)せて、これを知らず。ゆえに孟子、学者のために、諄諄(じゅんじゅん)然として、明らかにその理を論じ、その源委を指し、委曲詳悉(しょうしつ)、また滲漏(しんろう)なし。ゆえに学者、まさにこれを孟子に原(もと)づけて、その義・理を察して、しかる後に、これを論語に会して、その全体を求むべし。すなわち茲(ここ)に余蘊(ようん)なし。]

 

《仁義礼智の理において、学ぶ者は当然、孟子の論を、(孔子の論の)元々の漢字の注釈を作ったとして見るべきだ。思うに、孔子門下の学ぶ者は、仁義礼智を日常茶飯とし、またその(日常茶飯の)時間に疑いがない。よって、門人・弟子は、ただそれでこれ(仁義礼智)をなすための方法を問い、(孔子)先生は、またそれでこれ(仁義礼智)をなすための方法を、これ(門人・弟子)に答えて、今まで一度も仁義礼智(の言葉自体)の意義を論じたことがない。よって現在、その言葉によって、その(仁義礼智の)理を推しはかることができない。孟子の時代に至っては、つまり聖人から遠く道が隠れ、学ぶ者はただ仁義礼智を修める方法を得られないだけでなく、また仁義礼智の意義も併せて、これを知らない。よって、孟子は、学ぶ者のために、くどくどと明らかにその(仁義礼智の)理を論じ、その始めから終りまでを指し示し、詳細までなので、再び漏れ落ちることはない。よって、学ぶ者は当然、これ(仁義礼智)を『孟子』に基づけて、その意義・理を考察して、その後に、これを『論語』と照らし合わせて、その(仁義礼智の)全体を探求すべきだ。つまり、ここに付け加えることはない。》

 

※2書

 ・孔子の『論語』=実践のみ:仁義礼智をなすための方法を問答

 ・孟子の『孟子』=理論・意味を強化:『論語』の注釈書、仁義礼智の理・義(意義)を説明

 

・程朱諸家、所以不免於仁義礼智之理有差者、蓋為不知原之孟子、而徒就論語言詞上理会仁義礼智之理焉耳。孟子曰、惻隠之心は、仁之端也。羞悪之心、義之端也。辞譲之心、礼之端也。是非之心、智之端也。人之有是四端也、猶其有四体也。又曰、人皆有所不忍。達之於其所忍、仁也。人皆有所不為。達之於其所為、義也。学者就此二章求之、則於仁義礼智之理、自釈然矣。

其意以為、人之有是四端、即性之所有、人人具足、不待外求。猶四体之具於其身。苟拡而充大之、則能成仁義礼智之徳。猶火之始燃、自至於燎原之熾、泉之始達、必至於襄陵之蕩、漸漸循循、其勢自不能已焉。至於後一章、其義尤分明、無復可疑。所謂人皆有所不忍、有所不為者、即惻隠羞悪之二端也。而謂達之於其所忍所為、而後能為仁為義、則見四端之心、是我生之所有、而仁義礼智、即其所拡充而成也。

 

[程・朱の諸家、仁義礼智の理において、差あることを免れざるゆえんの者は、けだしこれを孟子に原づけることを知らずして、徒(いたずら)に論語言詞の上に就(つ)いて、仁義礼智の理を理会するがためのみ。孟子いわく、「惻隠(そくいん)の心は、仁の端なり。羞悪(しゅうお)の心は、義の端なり。辞譲の心は、礼の端なり。是非の心は、智の端なり。人のこの四端あるや、なおその四体あるがごとし」。またいわく、「人皆忍びざる所あり。これをその忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆せざる所あり。これをそのする所に達するは、義なり」と。学者、この二章に就いてこれを求むるときは、すなわち仁義礼智の理において、自ずから釈然たらん。

その意、おもえらく、人のこの四端ある、すなわち性の有(ゆう)する所、人人(じんじん)具足し、外(そと)に求むることを待たず。なお四体のその身に具(そな)わるがごとし。いやしくも拡(ひろ)めて、これを充大するときは、すなわちよく仁義礼智の徳を成す。なお火の始めて燃ゆる、自ずから原(はら)を燎(や)くの熾(さかん)なるに至り、泉の始めて達する、必ず陵(おか)に襄(のぼ)るの蕩(とう)たるに至り、漸漸循循(ぜんぜんじゅんじゅん)として、その勢、自ずから已(や)むこと能(あた)わざるがごとし。後の一章に至って、その義、もっとも分明、また疑うべきなし。いわゆる「人皆忍びざる所あり、せざる所ある」者は、すなわち惻隠・羞悪の二端なり。しかして「これをその忍ぶ所、する所に達して、しかる後に、よく仁たり義たり」というときは、すなわち見る、四端の心は、これ我が生(せい)の有(ゆう)する所にして、仁義礼智は、すなわちその拡充して成る所を。]

 

《程子・朱子の諸家が、仁義礼智の理において、差があることを免れない理由は、思うに、これ(仁義礼智の理)を『孟子』に基づけることを知らずに、無駄に『論語』の言葉上について、仁義礼智の理を理解しようとするためだ。『孟子』によると、「惻隠(同情)の心は、仁の端だ。羞悪(憎悪)の心は、義の端だ。辞譲(謙譲)の心は、礼の端だ。是非(正否)の心は、智の端だ。人のこの(心の)4端は、ちょうどその(人の)4肢(両手両足)あるようだ」(3-29)。また(『孟子』が)いう、「人には皆、忍びないことがある。これをその忍ぶことに達するのが、仁だ。人には皆、しないことがある。これをそのすることに達するのが、義だ」(14-253)。学ぶ者は、この2章について、これを探求するならば、つまり仁義礼智の理において、自ずからすっきりするのだ。

その意味は、思うに、人にこの4端がある、つまり性(生まれ持った本来の性質)を保有することは、完全に備わっていることで、外に救い求めることを待ち望まない。(それは)ちょうど、4肢がその身に備え持っているようだ。もしも、(4端の心を)拡げて、これを充実・広大するならば、つまり充分に仁義礼智の徳を成就する。(それは)ちょうど、火が始めて燃え、自ずから原っぱを焼いて激しくなるに至り、(また、)泉が始めて発達し、必ず岡を浸してなくすのに至り、徐々に整然として、その勢いは、自ずから止むことができないようなものだ。後の1章に至っては、その義が最も明らかに分けられ、再び疑うことができない。いわゆる「人には皆、忍びないことがあり、しないことがある」は、つまり惻隠・羞悪の2端だ。そして、「これをその忍ぶこと、することに達して、その後に、充分に仁だ義だ」というならば、つまり4端の心は、これが私の生まれつき保有するもので、仁義礼智は、つまりそれ(4端の心)が拡充して成就することを、見る。》

 

※仁義礼智の理:心の4端 ~ 人の4肢(両手両足):性(生まれ持った本来の性質)を保有

 ・惻隠(同情)の心:仁の端、仁=忍びないことを忍ぶことに達する

 ・羞悪(憎悪)の心:義の端、義=しないことをすることに達する

 ・辞譲(謙譲)の心:礼の端

 ・是非(正否)の心:智の端

※4端の心が拡充(拡大・充実)→仁義礼智の徳が成就

 

 

○3条

・仁義礼智四者、皆道徳之名、而非性之名。道徳者、以徧達於天下而言。非一人之所有也。性者、以専有於己而言。非天下之所該也。此性与道徳之弁也。

易曰、立人之道、曰仁与義。中庸曰、智仁勇三者、天下之達徳也。孟子曰、既飽以徳。言飽乎仁義也。仁義為道徳之名、彰彰矣。自漢唐諸儒、至於宋濂溪先生、皆以仁義礼智為徳、而未嘗有異議。至於伊川、始以仁義礼智為性之名、而以性為理。自此而学者皆以仁義礼智、為理為性、而徒理会其義、不復用力於仁義礼智之徳。至於其功夫受用、則別立持敬主静致良知等条目、而不復狥孔子之法。此予之所以深弁痛論、繁詞累言、聊罄愚衷、以不能自已者、実為此也。非好弁也。

 

[仁義礼智の四つの者は、皆、道徳の名にして、性の名にあらず。道徳は、徧(あまね)く天下に達するをもっていう。一人の有(ゆう)する所にあらず。性は、もっぱら己(おのれ)に有するをもっていう。天下の該(か)ぬる所にあらず。これ性と道徳との弁なり。

易にいわく、「人の道を立つ。いわく仁と義と」。中庸にいわく、「智・仁・勇の三者は、天下の達徳なり」。孟子にいわく、「すでに飽(あ)くに徳をもってす。仁義に飽くをいう」と。仁義、道徳の名たること、彰彰(しょうしょう)たり。漢・唐の諸儒より、宋の濂溪(れんけい)先生に至るまで、皆、仁義礼智をもって徳として、いまだかつて異議あらず。伊川に至って、始めて仁義礼智をもって性の名として、性をもって理とす。これよりして学者、皆、仁義礼智をもって、理とし、性とし、徒(いたず)らにその義を理会し、また力を仁義礼智の徳に用いず。その功夫受用に至っては、すなわち別に持敬・主静・致良知等の目を立てて、また孔子の法に狥(したが)わず。これ予(よ)の深く弁じ痛く論じ、繁詞(はんし)累言、聊(いささ)か愚衷を罄(つく)し、もって自ら已(や)むこと能(あた)わざるゆえんの者は、実にこれがためなり。弁を好むにあらず。]

 

《仁義礼智の4つは、すべて道徳の名称で、性の名称ではない。道徳は、隅々まで天下に到達することによっていう。一人の保有するものではない。性は、とりわけ自己に保有することによっていう。天下が兼ね備えるものではない。これが性と道徳の弁別だ。

『易経』によると、「人の道を確立する。仁と義という」。『中庸』によると、「智・仁・勇の3つは、天下の達徳だ」。『孟子』によると、「すでに飽きたのは、徳によってだ。仁義に飽きたのをいう」(11-157)。仁義は、道徳の名称だというのが明白だ。漢代・唐代の様々な儒学者から、宋の周敦頤(しゅうとんい、『太極図説』の著者)先生に至るまで皆、仁義礼智を徳にしており、今まで一度も異義がない。程頤(ていい、中国・北宋の儒学者、伊川先生)に至って始めて、始めて仁義礼智を性の名称にして、性を理とした。これ以降に、学ぶ者は皆、仁義礼智を、理とし、性とし、無駄にその意義を理解し、また力を仁義礼智の徳に用いなかった。その工夫を受け入れて用いるのに至っては、つまり別に持敬(意識集中の修養法)・主静(無欲の安静)・致良知(私欲の除去)等の目標を立てて、また孔子の教法にしたがわなかった。ここで私が深奥に弁じ、痛切に論じ、くどくどとした言葉で、少し謙遜した誠意を尽くし、それで自ら止めることができない理由は、実にこのためだ。弁論を好んでいるのではない。》

 

※道徳・性の関係

 ・道徳:隅々まで天下に到達(一人で保有せず)

 ・性:自己に保有(天下が兼ね備えず)

※従来の儒学:仁義礼智=道徳の名称

※朱子学:仁義礼智=性の名称=理 → 徳を軽視、別に持敬・主静・致良知を重視(仁斎が批判)

 

・或曰、伊川何以謂仁義礼智為性邪。蓋観孟子仁義礼智外、非由外鑠我也、我固有之也、及仁義礼智根於心之語、以為仁義礼智是性、而不再推到孟子之意所在。殊不知、其所謂固有云者、固与謂之性自不同。蓋孟子之意、以為人必有惻隠羞悪辞譲是非之心。是四者、人之性而善者也。而仁義礼智、天下之徳、而善之至極者也。苟以性之善、而行天下之徳焉。則其易也。猶以地種樹、以薪燃火、自無所窒礙。故拡充惻隠羞悪辞譲是非之心、則能成仁義礼智之徳、而雖四海之広、自有易保焉者矣。蓋人之性不善、則欲成仁義礼智之徳、而不得。唯其善、故得能成仁義礼智之徳。故謂仁義即吾性、可也。謂吾性即仁義、亦可也。但以仁義為性中之名、則不可也。所謂固有者意、蓋如此。其理甚微。所謂毫釐千里之差、実在於此。学者不可不反復体察焉。而其所謂根於心者、本対覇而言。夫覇者之行仁義也。皆仮之以済己之欲、而非己之真有也。王者之行政也、非惟外由仁義而行、実根柢於中心。而無往而不在仁義礼智。故曰、根於心。其義豈不明哉。

 

[あるひといわく、「伊川、何をもって仁義礼智をいいて性をするや」と。けだし孟子の「仁義礼智、外より我(われ)を鑠(と)かすにあらず、我これを固有するなり」という、および「仁義礼智、心に根ざす」の語を観て、おもえらく仁義礼智、これ性と。しかして再び孟子の意の在る所に推し到らず。殊(た)えて知らず、そのいわゆる固有という者は、固(まこと)にこれを性というと自ら同じからず。けだし孟子の意、もって人必ず惻隠・羞悪・辞譲・是非の心ありとす。この四つの者は、人の性にして善なる者なり。しかして仁義礼智は、天下の徳にして、善の至極なる者なり。いやしくも性の善をもって、天下の徳を行うときは、すなわちその易(やす)きことや、なお地をもって樹(き)を種(う)え、薪(たきぎ)をもって火に燃やすがごとく、自ら窒礙(ちつがい)する所なし。ゆえに惻隠・羞悪・辞譲・是非の心を拡充するときは、すなわちよく仁義礼智の徳を成して、四海の広きといえども、自ずから保ち易き者あり。けだし人の性、善ならざるときは、すなわち仁義礼智の徳を成さんと欲すとも、得ず。ただ、それ善なり。ゆえに、よく仁義礼智の徳を成すことを得(う)。ゆえに仁義は、すなわち吾(わ)が性というも、可なり。吾が性は、すなわち仁義というも、また可なり。ただ、仁義をもって性中(せいちゅう)の名とするときは、すなわち不可なり。いわゆる固有という者の意、けだし、かくのごとし。その理、甚(はなは)だ微(び)なり。いわゆる毫釐(ごうり)千里の差、実にここに在(あ)り。学者、反復体察せずんばあるべからず。しかして、そのいわゆる「心に根ざす」という者は、もと覇(は)に対していう。それ覇者の仁義を行うや、皆これを仮(か)りて、もって己(おのれ)の欲を済(な)して、己の真有(しんゆう)にあらず。王者の政を行うや、ただ外(そと)、仁義に由(よ)って行うにあらず、実に中心に根柢す。しかして往くとして、仁義礼智に在らずといふことなし。ゆえにいわく、「心に根ざす」と。その義、あに明らかならずや。]

 

《ある人がいう、「程頤は、何によって仁義礼智をいって性とするのか」。思うに、『孟子』の「仁義礼智は、外から私という金属を溶かすのではなく、私はこれを固有するのだ」(11-146)といい、または「仁義礼智は、心に根ざす」(13-197)の語句を見て、仁義礼智は、これを性だと思った。そして、再び孟子の意味のあるところを推しはかることに到らなかった。意外にも、そのいわゆる固有というものは、本当にこれ(仁義礼智)を性というのと自ら同じでないことを、知らなかった。思うに、孟子の意味は、人に必ず惻隠・羞悪・辞譲・是非の心があるとする。この4つは、人の性で、善なるものだ。そして、仁義礼智は、天下の徳で、善の至極なるものだ。もしも、性の善によって、天下の徳を行うならば、つまりその容易なことは、ちょうど土地で木を植え、タキギで火を燃やすようなもので、自ら障害になることはない。よって、惻隠・羞悪・辞譲・是非の心を拡充するならば、つまり充分に仁義礼智の徳が成就するので、世界が広大といっても、自ずから保ちやすいものだ。思うに、人の性は、善にならなければ、つまり仁義礼智の徳を成就しようとしても、できない。ただ、それ(そうなること)は善だ。よって、充分に仁義礼智の徳を成就することができる。よって、仁義は、つまりわが性というのも、可だ。わが性は、つまり仁義というのも、また可だ。ただ、仁義を性の中の名称とするならば、つまり不可だ。いわゆる固有というものの意味は、思うに、このようだ。その(仁義礼智の)理は、とても微妙だ。いわゆる、わずかに小さくても、とても大きくなる差が、実にここにある。学ぶ者は、反復して体験・考察しないことをすべきでない(体験・考察すべきだ)。そして、そのいわゆる「心に根ざす」というものは元々、覇者(武力・権力で天下を治める者)に対していう。その覇者が仁義を行うのは、すべてこれ(仁義礼智の理)を借りて、それで自己の欲望をなしており、自己の本当の保有ではない。王者(徳で天下を治める者)が政治を行うのは、ただ外の仁義によって行うだけではなく、実に中心に基づく。そして、行いとして、仁義礼智にあらずということはない(ある)。よっていう、「心に根ざす」。その意義は、どうして明らかでないのか(いや、明らかだ)。》

 

※道・性の関係

 ・惻隠(同情)・羞悪(憎悪)・辞譲(謙譲)・是非(正否)の4端の心=人の性→善

 ・仁義礼智=天下の徳→善の至極

※性と徳の関係

 ・人の性が善:4端の心が拡充→天下の徳が成就

 ・人の性が不善→徳が不成就→人の性の不善なら徳が不成就という善→徳が成就

※朱子学:仁義礼智=性 → 私の中の名称:外にはない固有、心に根ざす

※仁斎学:仁義礼智=徳 → 私の外の名称:天下の徳

※心に根ざす

 ・覇者(武力・権力で天下を治める者):外の理を借りて、己の欲(自己の欲望)をなし、仁義を行う

 ・王者(徳で天下を治める者):中心に根柢する(内に基づく)、己の真有(自己の本当の保有)

 

 

○4条

・聖賢論仁義礼智之徳。有自本体而言者、有自修為而言者。其自本体而言者、若書曰、以義制事、以礼制心、及論語曰、我欲仁、斯仁至矣、孟子所謂仁人之安宅也、義人之正路也、及居仁由義、大人之事備矣、及君子以仁存心、以礼存心等語。皆是也。其自修為而言者、若四端之章、及人皆有所不忍。達之於其所忍、仁也等語、是也。本体云者、即徳之本然、謂天下古今之達徳也。修為云者、乃指人能修仁義礼智之徳、而有於其身而言。

 

[聖賢、仁義礼智の徳を論ずるに、本体よりしていう者あり、修為よりしていう者あり。その本体よりしていう者は、書にいわく、「義をもって事を制し、礼をもって心を制す」、および論語にいわく、「我、仁を欲すれば、ここに仁至る」、孟子にいわゆる「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」、および「仁に居(お)り、義に由(よ)れば、大人(たいじん)の事備(そな)わる」、および「君子は仁をもって心を存し、礼をもって心を存す」等の語のごとき、皆これなり。その修為よりしていう者は、四端の章、および「人皆忍びざる所ある。これをその忍ぶ所に達するは、仁なり」等の語のごとき、これなり。本体という者は、すなわち徳の本然、天下古今の達徳をいうなり。修為という者は、すなわち人よく仁義礼智の徳を修め、しかしてその身に有(ゆう)するを指していう。]

 

《聖人・賢人が、仁義礼智の徳を論じるのに、本体からいうものと、修為からいうものがある。その(徳の)本体からいうものは、『書経』によると、「義によって事を制し、礼によって心を制す」、または『論語』によると、「私が仁を欲すれば、ここに仁が至る」(7-176)、『孟子』にいわゆる「仁は人の安らかな居宅で、義は人の正しい道路だ」(7-71)、または「仁に在居し、義を経由すれば、大人(立派な人)の事を備え持つ」(13-209)、または「君子は、仁によって心を存し、礼によって心を存す」(8-117)等の語句のようなものは、すべてこれだ。その(徳の)修為からいうものは、4端(惻隠・羞悪・辞譲・是非の心)の文章、または「人には皆、忍びないことがある。これをその忍ぶことに達するのが、仁だ」(14-253)等の語句のようなものは、これだ。本体というものは、つまり徳の本然で、天下古今の一般的に行われるべき徳をいうのだ。修為というものは、つまり人が充分に仁義礼智の徳を修め、そしてその身に保有することを指していう。》

 

※徳

 ・本体:徳の本然、天下(全空間的)古今(全時間的)の達徳(一般的に行われるべき徳)

 ・修為:徳の修身・保有、4端(惻隠・羞悪・辞譲・是非の心)

 

 

○5条

・仁義二者、実道徳之大端、万善之総脳。智礼二者、皆従此而出。猶天道之有陰陽、地道之有剛柔。二者相須相済、而後人道得全。故中庸曰、仁者、人也。親親為大。義者、宜也。尊賢為大。親親之殺、尊賢之等、礼所生也。孟子亦曰、仁之実、事親、是也。義之実、従兄、是也。智之実、知斯二者弗去、是也。礼之実、節文斯二者、是也。其理尤分明矣。而宋儒専謂仁一事、実兼義礼智三者。其言終為定説、而学者莫能識其説之謬孔孟也。自今以往、学者只当按孟子及易中庸之旨、為之準則而可。

 

[仁・義の二つの者は、実に道徳の大端(だいたん)、万善の総脳なり。智・礼の二つの者は、皆これよりして出ず。なお天道の陰陽あり、地道の剛柔あるがごとし。二つの者、相(あい)須(ま)ち相済(な)して、しかる後に人道、全(まった)きことを得(う)。ゆえに中庸にいわく、「仁は、人なり。親を親(した)しむを大なりとす。義は、宜(ぎ)なり。賢(けん)を尊(とうと)むを大なりとす。親を親しむの殺(さい)、賢を尊むの等(とう)、礼の生ずる所なり」。孟子もまたいわく、「仁の実は、親に事(つか)うる、これなり。義の実は、兄に従う、これなり。智の実は、この二つの者を知って去らざる、これなり。礼の実は、この二つの者を節文(せつぶん)する、これなり」。その理、もっとも分明なり。しかして宋儒もっぱらいう、「仁の一事(いちじ)、実に義・礼・智の三つの者を兼(か)ぬ」と。その言(げん)、終(つい)に定説となって、学者よくその説の孔・孟に謬(あやま)ることを識(し)ることなし。今より以往(いおう)、学者、ただまさに孟子および易・中庸の旨(むね)を按(あん)じて、これが準則となして可なるべし。]

 

《仁・義の2つは、実に道徳の要点で、すべての善行の総括の中枢だ。智・礼の2つは、すべてこれ(仁・義)から出る。(それは)ちょうど、天道の陰・陽があり、地道の剛・柔があるようだ。2つは、相互に待ち受け、相互になして、その後に、人道が完全なことを得る。よって、『中庸』によると、「仁は、ひとがら(人)だ。親と親しむのを大切にする。義は、ちょうどよい(宜)だ。賢さを尊ぶのを大切にする。親と親しむの押し殺し、賢さを尊ぶのを等級づけると、礼が生み出されることになるのだ」。また、『孟子』によると、「仁の実は、親に仕える、これだ。義の実は、兄にしたがう、これだ。智の実は、この2つ(仁・義)を知って離れ去らない、これだ。礼の実は、この2つ(仁・義)の節度を整え保つ、これだ」(7-88)。その(仁義礼智の)理は、最も明らかに分けることだ。そして、宋代の儒学者は、とりわけいう、「仁のひとつのことは、実に義・礼・智の3つを兼ね備える」。その言葉は、ついに定説となって、学ぶ者は充分にその説が、孔子・孟子と誤っているのを知ることがない。現在以前に、学ぶ者はただ当然、『孟子』または『易経』・『中庸』の主旨を調べて、これが決まりに準じており、可であるべきだとしている。》

 

※仁義礼智

 ・仁・義:道徳の大端(要点)、万善(すべての善行)の総脳(総括の中枢)

 ・智・礼:仁・義から出現

  ・仁:実=親に仕える

  ・義:実=兄にしたがう

  ・智:実=仁・義を知って離れ去らない

  ・礼:実=仁・義の節文(節度を整え保つ)

※朱子学:仁=義・礼・智 → 孔子・孟子と食い違い(仁斎が批判)

 ・仁=ひとがら:親と親しむ、義・礼・智を兼ね備える

 ・義=ちょうどよい:賢さを尊ぶ

 ・礼:親と親しむのを押し殺し、賢さを尊ぶのを等級づける

 

 

(つづく)