伊藤仁斎「語孟字義」上・読解7~徳 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

●徳:4条

 

○1条

・徳者、仁義礼智之総名。中庸曰、智仁勇三者、天下之達徳也。韓子亦曰、吾所謂道徳云者、合仁与義言、是也。然謂之徳、則仁義礼智之理備、而其用未著。既謂之仁義礼智、則各見於事、而有跡之可見。故経書多言徳、而又言仁、蓋為此也。

 

[徳は、仁義礼智の総名なり。中庸にいわく、「智・仁・勇の三つの者は、天下の達徳なり」。韓子(かんし)またいわく、「吾(わ)がいわゆる道徳という者は、仁と義とを合せていう」と、これなり。しかれども、これを徳というときは、すなわち仁義礼智の理、備(そな)わって、その用、いまだ著(あら)われず。すでにこれを仁義礼智というときは、すなわちおのおの事に見(あら)われて、跡の見るべきあり。ゆえに経書、多く徳をいうて、また仁をいう、けだし、これがためなり。]

 

《徳は、仁義礼智の総括した名称だ。『中庸』によると、「智・仁・勇の3つは、天下で一般的に行われるべき徳だ」。韓愈(かんゆ、中国・唐中期の士大夫)も、またいう、「私が、いわゆる道徳というのは、仁と義を合わせていう」は、これだ。しかし、これを徳というならば、つまり仁義礼智の理を備え持っているが、その用(作用)がまだ現れていない。すでにこれ(徳)を仁義礼智というならば、つまり各々の事に現れて、痕跡を見ることができるのだ。よって、経書が、多くの徳をいって、また仁をいうのは、思うに、これのためだ。》

 

※徳=仁義礼智の総名(総括した名称)、徳の用(作用)前(本/本体)=理、用後=跡(痕跡)

 ・智・仁・勇=天下の達徳(一般的に行われるべき徳)

 ・仁・義=道徳

 

○2条

・徳字及仁義礼智等字、古註疏皆無明訓。蓋非不能訓之。以本不可訓也。何者、学者之所常識、而非字訓之所能尽也。晦庵曰、徳者得也。行道而有得於心也。此語本出於礼記。但礼記作有得於身。晦庵改身字、而作心字。然礼記所謂徳者得也者。猶言仁人也、義宜也、天顛也、地示也。皆仮音近者、以発其義。本非正訓也。若以徳為得之義、則徳是待修為而後有。豈足尽本然之徳哉。

語曰、拠於徳。中庸曰、知微之顕、可与入徳矣。是等徳字、皆有道字之意。便指仁義礼智之徳而言。観其拠字入字可見矣。又曰、由、知徳者鮮矣。又曰、吾未見好徳如好色者也。夫有一物、而後謂之知、又謂之好。若宋儒之所謂、則知好二字、意義不通。

 

[徳の字および仁義礼智等の字、古註(こちゅう)疏(そ)皆、明訓なし。けだし、これを訓(くん)ずること能(あた)わざるにあらず。もと訓ずべからざるをもってなり。何となれば、学(がく)は、常に識(し)る所にして、字訓のよく尽くす所にあらず。晦庵(かいあん)いわく、「徳は得なり。道を行うて心に得(う)ることあり」と。この語、もと礼記に出ず。ただ、礼記は、「身に得ることある」に作る。晦庵、身の字を改めて、心の字に作る。しかれども礼記いわゆる「徳は得なり」は、なお「仁は人なり」、「義は宜(ぎ)なり」、「天は顛(てん)なり」、「地は示(し)なり」というがごとし。皆、音近き者を仮(か)りて、もってその義を発す。もと正訓にあらざるなり。もし徳をもって得の義とするときは、すなわち徳は修為を待って、しかる後にあり。あに本然の徳を尽くすに足らんや。

語にいわく、「徳に拠(よ)る」。中庸にいわく、「微(び)の顕(あら)わるることを知って、与(とも)に徳に入るべし」。これ等(ら)の徳の字、皆、道の字の意あり。すなわち仁義礼智の徳を指していう。その拠(きょ)の字、入(にゅう)の字を観て見るべし。またいわく、「由(ゆう)、徳を知る者、鮮(すく)なし」。またいわく、「吾(われ)いまだ徳を好むこと、色を好むがごとくする者を見ず」。それ一物あって、しかる後に、これを知るといい、またこれを好むという。宋儒のいう所のごとくなるときは、すなわち知・好の二字、意義通(つう)ぜず。]

 

《徳の字、または仁義礼智等の字は、古注の解釈書のすべてに、明らかな読みがない。思うに、これを読むことができなかったのではない(できる)。元々、読むべきではなかったからだ。なぜならば、学ぶことは、常に知ることで、漢字の日本語読みを充分に尽くすことではなかったからだ。朱子が(『論語集注』で)いう、「徳は得だ。道を行えば、心に得ることがある」。この語句は元々、『礼記』に出ている。ただ、『礼記』は、「身に得ることがある」にしている。朱子は、身の字を改めて、心の字にしている。しかし、『礼記』のいわゆる「徳は得(える)だ」は、ちょうど「仁は人(ひとがら)だ」・「義は宜(ちょうどよい)だ」・「天は顛(てっぺん)だ」・「地は示(しめす)だ」というようだ。すべて音読みの近いものを借りて、それでその意義を発している。元々、正しい読みでないのだ。もし、徳を得の意義とすれば、つまり徳は、作用(修為)を待って、その後にある。どうして本然の徳を尽くすことに足りているのか(いや、足りない)。

『論語』によると、「(道を志し、)徳に拠る」(7-153)。『中庸』によると、「(君子の道について、)かすかなことが明らかになることを知って、一緒に徳に入ることができる」。これらの徳の字は、すべて道の字の意味がある。つまり、仁義礼智の徳を指していう。その拠の字は、入の字を見て、理解すべきだ。また(『論語』で)いう、「子路(孔子の弟子)よ、徳を知る者は少ないな」(15-382)。また(『論語』で)いう、「私はまだ、徳(徳行)を好むことを、色を好むようにする者を見たことがない」(15-391)。それは、ひとつの物(徳)があって、その後に、これを知るといい、また、これを好むという。宋代の儒学のいうことのようになれば、つまり知・好の2字は、意義が通じない。》

 

※仁斎学:字義=漢字の意味に当たる日本語で読む→明訓(明らかな読み)・正訓(正しい読み)

 ・事前的な徳:徳を知る理論段階→徳に入る(拠る)信頼段階→徳を好む実践段階

※朱子学:字義=音読みの近いものを借りた意味→誤り(仁斎が批判)

 ・事後的な徳:道を行えば心身に徳を得る → 修為(作用)後の徳で、本然の徳への尽力不足

 ・事前的な道=理(天道=天理=人性)

 

 

○3条

・道徳二字、亦甚相近。道以流行言。徳以所存言。道有所自導。徳有所済物。中庸以君臣父子夫婦昆弟朋友之交為達道。以知仁勇為達徳。是也。若推而言之、則一陰一陽、天之道也。覆而無外、天之徳也。剛柔相済、地之道也。生物不測、地之徳也。或補或瀉、薬之道也。能療病活命、薬之徳也。或炎或焼、火之道也。能調和飲食、火之徳也。由是観之、道徳二字之義、自当分明。

 

[道・徳の二字、また甚(はなは)だ相近し。道は、流行をもっていう。徳は、存する所をもっていう。道は、自ずから導く所あり。徳は、物を済(な)す所あり。中庸、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の交わりをもって、達道(たっどう)とす。知・仁・勇をもって、達徳とす。これなり。もし推(お)してこれをいうときは、すなわち一陰一陽は、天の道なり。覆(おお)いて外なきは、天の徳なり。剛柔相済すは、地の道なり。物を生じて測られざるは、地の徳なり。あるいは補あるいは瀉(しゃ)は、薬の道なり。よく病(やま)いを療(いや)し命を活するは、薬の徳なり。あるいは炎あるいは焼は、火の道なり。よく飲食を調和するは、火の徳なり。これによってこれを観れば、道・徳二字の義、自ずからまさに分明なるべし。]

 

《道・徳の2字は、またとても互いに近い。道は、変化(流行)によっていう。徳は、あることによっていう。道は、自ずから導くことにある。徳は、物をなすことにある。『中庸』によると、君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の交わりによって、一般的に行われるべき道とする。知・仁・勇によって、一般的に行われるべき徳とする。これだ。もし、推しはかってこれをいうならば、つまり一陰一陽は、天の道だ。覆って外がないのは、天の徳だ。剛・柔を相互になすのは、地の道だ。物を生じさせるのを測れないのは、地の徳だ。あるいは補い、あるいは下すのは、薬の道だ。充分に病気を治療し、命を活かすのは、薬の徳だ。あるいは燃え、あるいは焼くのは、火の道だ。充分に飲食を調和するのは、火の徳だ。これによって、これを見れば、道・徳の2字の意義は、自ずから当然、明らかに分けるべきだ。》

 

※道≒徳

 ・道:流行、自ずから導く → 自然・変化

 ・達道(一般的に行われるべき道):君臣・父子・夫婦・昆弟・朋友の交わり(義・親・別・叙・信)

 ・徳:ある、物をなす → 存在(徳目)・行為(徳行)

 ・達徳(一般的に行われるべき徳):知・仁・勇

※道≠徳

 ・天の道=一陰一陽

 ・天の徳=覆って外がない

 ・地の道=剛・柔を相互になす

 ・地の徳=物を生じさせるのを測れない

 ・薬の道=補い・下す

 ・薬の徳=充分に病気を治療し、命を活かす

 ・火の道=燃え・焼く

 ・火の徳=充分に飲食を調和する

 

 

○4条

・聖人言徳、而不言心。後儒言心、而不言徳。蓋徳也者、天下之至美、万善之総括、故聖人使学者由焉而行之。若心本清濁相雑。但在以仁礼存之耳。孔子曰、其心三月不違仁。又曰、従心所欲、不踰矩。孟子曰、有恒産、則有恒心。無恒産因無恒心。曰仁、曰矩、曰恒、是徳。心則在処之如何耳。是聖人之所以言徳而不言心也。而後儒見心而不見徳。故以心為重、而一生功夫、総帰之於此。所以学問枯燥、無復聖人従容盛大之気象。蓋坐此故也。

 

[聖人、徳をいいて、心をいわず。後儒は、心をいいて、徳をいわず。けだし徳は、天下の至美、万善の総括なり。ゆえに聖人、学者をして、よってこれを行わしむ。心のごときは、もと清濁相雑(まじ)る。ただ、仁・礼をもって、これを存するに在(あ)るのみ。孔子いわく、「その心三月、仁に違(たが)わず」。またいわく、「心の欲する所に従えども、矩(のり)を踰(こ)えず」。孟子いわく、「恒(つね)の産(さん)あるときは、すなわち恒の心あり。恒の産なきときは、因(よ)って恒の心なし」と。いわく仁、いわく矩(く)、いわく恒(こう)は、これ徳なり。心は、すなわちこれに処すること、いかんというに在(あ)るのみ。これ聖人の徳をいいて、心をいわざるゆえんなり。しかして後儒、心を見て徳を見ず。ゆえに心をもって重(おも)しとして、一生の功夫(くふう)、総(す)べてこれをここに帰す。ゆえに学問、枯燥(こそう)して、また聖人、従容(しょうよう)盛大の気象なし。けだし、これが坐(ため)のゆえなり。]

 

《聖人は、徳をいって、心をいわない。後世の儒学者は、心をいって、徳をいわない。思うに、徳は、天下の至極の美で、すべての善行の総括だ。よって、聖人は、学ぶ者に、それでこれ(徳)を行わせた。心のようなものは元々、清・濁が互いに混ざっている。ただ、仁・礼によって、これ(心)を存在させるだけだ。孔子が(『論語』で)いう、「その(顔回/がんかい、孔子の弟子/の)心が3ヶ月も、仁に背かない」(6-124)。また、(『論語』で)いう、「(孔子は、70歳で)心がしたいこと(思い通り)にしたがっても、決まりを越えなくなった」(2-20)。『孟子』によると、「常の生産があれば、つまり常の心がある。常の生産がなければ、つまり(それに)よって常の心がない」(1-7、5-49)。仁といい、決まり(矩)といい、常(恒)といい、これが徳だ。心は、つまりこれに対処することにおいて、どういう存在かだけだ。これが、聖人の徳をいって、心をいわない理由だ。そして、後世の儒学者は、心を見て、徳を見ない。よって、心によって重視して、一生の工夫は、すべてこれをここ(心)に帰着する。よって、学問は、枯渇・乾燥して、また、聖人は、落ち着き盛大の気性がない。思うに、このためだからだ。》

 

※2者

 ・聖人:徳をいい、心をいわず、徳=学んで行う、心=清濁が相互に混合

 ・後世の儒者:心をいい、徳をいわず

※仁斎学

 ・徳=天下の至美(至極の美)、万善(すべての善行)の総括、仁・矩(決まり)・恒(恒常)

 ・心=徳の仁・礼を行う・処する(行為・対処する)ことで存在(徳先心後)

※朱子学:心を重視、一生の工夫を心に帰着、学問が枯燥(枯渇・乾燥)、従容(落ち着き)盛大の気性なし

 

 

(つづく)