ロラン・バルトの「表徴の帝国」 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

普遍的日本論1~12

日本統治原理概略史1・2

丸山真男の「~である」こと/「~をする」こと

丸山真男の「なる」「うむ」「つくる」

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 フランスの思想家・記号学者のロラン・バルトは、『表徴の帝国』で、日本料理・箸・すき焼き・天ぷら・料理過程・パチンコ・東京・通りの名称なし・駅・包み・品物・生け花・文楽・礼儀・禅・旅・書・女形・まぶた・全学連の闘争・和室等、日本の様々な現象を取り上げています。

 しかし、日本の本質にまで、迫り切れていないので、ここでは、バルトの言葉をもとに、そこまで踏み込んでみます。

 

 

●思想(実)/形式(名)

 

 まず、バルトは、西洋を「意味の国」、日本を「表徴(しるし)の国」と、対比させ、日本では、意味の喪失・廃絶がみられると指摘しましたが、この対比は、記号の両面における、内面の記号内容(意味)と、外面の記号表現(表徴)に、相当するので、次のように、対比できます。

 

○[内面・実]思想(主義・主張)優先:中国・西洋文明(「意味の国」)

・宗教の教義面優位:キリスト教の聖書、イスラム教のコーラン、儒教の四書五経

・進歩と優勝劣敗の思想:文明を発達させ、先進国が優勢、後進国が劣勢なのが当然

・直線的:始めと終りがあり(天地創造と終末論)、構築と破壊を繰り返す

・人為的:集権、目的と手段、費用対効果

・短期的な固定:特定の思想が席巻するほどに教化・啓蒙

・長期的な転換:新思想が旧思想を駆逐して新旧交代

例)西洋の思想(様式)の変遷:古代のギリシャ・ローマと帝国の原理(クラシック)→中世のキリスト教と聖書(ゴシック)→近世の絶対王政と王権神授説(バロック)→近代の民主政と社会契約説+科学技術(モダン)

例)中国の思想の変遷:前近代の王朝交代と天命思想・易姓革命(まず徳治、つぎに法治)→近代(戦前)の中華民国と民主主義→現代(戦後)の中華人民共和国と共産主義

 

○[外面・名]形式(慣習・生活)優先:日本文化(「表徴の国」)

・宗教の儀礼面優位:神道の祭祀、仏教の法会

・自然の摂理と反復の形式:永久不死不滅の自然に寄生・同化するのが当然

・循環的:万物・万事は流転しつつも、生住異滅の移り変わり(朝昼夕夜、春夏秋冬)

・生物的:分権による住み分け、和による助け合い、擬似親子関係(養子制、町人の徒弟制、仏僧の師弟制、芸道の家元制)で繁殖

・長期的な変化:自然の循環の中での漸次的な修正(旧勢力に新勢力を並立させる)

・短期的な流動:逆境の好転(仮死→再生の形式)

例)神道:不浄なケガレ・ツミ・タタリを、祈願・祭祀儀礼(形式)でミソギ・ハライ・キヨメて浄化

例)仏教:煩悩(欲望の思想)を除去し、悟りを得るのは形式化、無想での念仏・座禅も形式化

例)葉隠:自分の名誉の死で、家を維持・繫栄させるという理屈(打算の思想)を除去するのは形式化

例)朱子学:君臣間・父子間の上下関係の秩序・礼節(大義名分)は、天地自然の摂理だと形式化

 

 日本の思想家・政治家の中江兆民は、『一年有半』で、「わが日本、古(いにしえ)より今にいたるまで哲学なし」といったそうですが、日本には、たいした思想がなくても、形式(=時間的な自然循環性+空間的な生物多様性、後述)があったというべきで、たとえば、芸道の「型」も、そのひとつです。

 他方、中国や西洋の思想は、為政者や特権階級の側が、武力を背景に、すべてを無理矢理に押し付けたとみるのは、適切ではなく、思想を受け入れる側にも、相応の利得がないと、長年普及しません。

 これは、日本でも、中世後半に、一向一揆(浄土真宗)や法華一揆(日蓮宗)の決起で抵抗したり、近世前半に、キリスト教と西洋文明が一緒に持ち込まれ、禁教するまでキリシタンが急増した事例をみれば、容易に想像できるでしょう。

 

 

●利用価値(実)/存在価値(名)

 

 つぎに、日本政治思想史学者の丸山真男は、『日本の思想』の《「である」ことと「する」こと》で、価値の判断基準には、「何をするか」(利用価値)と、「何(誰)であるか」(存在価値)の、両面があるとし、次のように、対比させていますが、これも内面と外面といえます。

 ちなみに、中国には、物事を一面的に把握する「体」(本体)と、二面的に把握する「相」(様相・佇/たたずまい)+「用」(作用・働き)があり、この相+用も外面と内面の両面です。

 

○[内面・実]利用価値優先=「何をするか」(働き、機能性・効率性):中国・西洋文明(「意味の国」)

・智恵・能力(実力)の重視

 

○[外面・名]存在価値優先=「何(誰)であるか」(装い、永続性・尊貴性):日本文化(「表徴の国」)

・道徳・品格(人格・家格)の重視

 

 利用価値・内面優先だと、利用価値がなくなれば、廃棄しますが、存在価値・外面優先だと、利用価値がなくなっても、外面を温存し、別の利用価値を模索するか、形骸化するかになります。

 たとえば、天皇は、時の為政者に政治を委任し、神仏祭祀に特化しましたが、あくまでも祈り・祭りでの利用価値は二義的で、天皇のもと、日本をヨリ広く・ヨリ長く統治した、永年の歴史があるため、日本の絶対的な存在価値が一義的なので、たとえ何もしなくても、時の政権が庇護することになります。

 それは、もし、時の政権が天皇を廃棄し、外国人等の別の組織が庇護したうえで、日本の一部の土地を所有すれば、そちらが前例上の日本になるおそれがあるからです。

 小国分立の戦国期には、天皇が不要で、朝廷も一時衰退し、信長・秀吉・家康の天下統一には、天皇が必要で、朝廷を支援したのは、日本をヨリ広く・ヨリ長く統治するには、天皇の前例が不可欠だったからです。

 また、法隆寺等の日本の伝統建築は、まず存在価値を前提に保存し、つぎに利用価値として有料見学にすることで、維持・修繕するのが通例で、歴史的価値がそれほどなくても、建築自体が魅力的なら、外部を残して美観よくする一方、内部を変えて実用よくするのも、存在価値優先の事例です。

 このように、存在価値優先は、利用価値がないからといって、安易に廃棄せず、存在価値を前提に、その時代に合った利用価値を持つことになります。

 

 

●名実一体型/有名無実型

 

 さらに、バルトは、西洋の都市を「充実した中心」、日本の都市を「空虚な中心」と、対比させましたが、これは、前近代の中国のような名実一体型と、日本のような有名無実型の、政治体制にも当て嵌まり、次のように、対比できます。

 

 なお、日本の政治は、天皇を世襲で継承する万世一系とし、古代前半・近代には、一時的に名目上は、祭政一致の親政でしたが、上古には、諸豪族連合政で大連・大臣が、古代後半には、摂関政で摂政・関白が、中世前半には、院政で上皇(治天の君)が、政権を主導しており、天皇の補佐役でした。

 それが中世後半・近世には、天皇が政治から乖離し、武家政で将軍等の有力武将が、幕府等の政権を主導するようになり、天皇の外注先でしたが、幕府の創立期には、将軍が政権を主導した一方、幕府の安定期には、鎌倉期の執権→室町期の管領→江戸期の老中が、政権を主導し、将軍の補佐役でした。

 近代には、名目上は天皇親政ですが、実質上は元老(元勲)等が首相を選考し、責任が曖昧だったので、現代には、公選による政党政で首相が、政権を主導し、責任を明確にしています。

 武家政は実力(武力)で、政権交代したので、中国の皇帝が実力(武力)で、王朝交代したのと同様ともいえ、こうして、日本の実質上の中心の補佐役・外注先が、次々に変化したので、名目上の中心の充実していない天皇・将軍は、利用価値優先でみれば、空虚と評価されるのです。

 

○名実一体型=内面と外面が一致:中国・西洋文明(「意味の国」)

・内面(思想・意識)を外面(形式・制度)に表現するので、内面が変化すれば、外面も変化する

・一元的:名と実が一極集中(「充実した中心」)

・自立体質:権威(名)・権力(実)を併せ持つトップが責任追及される

例)前近代の中国の皇帝の王朝交代

 

○有名無実型=内面と外面が乖離:日本文化(「表徴の国」)

・外面は温存・形骸化しつつ、内面だけを変化させていく

・多元的:名と実が多極分散(「空虚な中心」)

・依存体質:権力(実)がなく権威(名)のみだと責任追及されない

・トップの名(家格)+トップ下の実(能力)による相互依存の上下関係

例)日本の天皇の万世一系(君臨すれども統治せず)+政権主導者の変遷:上古の大連・大臣→古代前半の太政官→古代後半の摂政・関白→中世前半の上皇→中世後半・近世の将軍→近代(戦前)の内閣→現代(戦後)の首相

例)摂関政での太政官の温存→院政での摂政・関白の温存→武家政での朝廷・律令制の温存

例)将軍の威光で、鎌倉期に執権→室町期に管領→江戸期に老中が政権を主導

 

 ここで、おもしろいのは、摂関政から院政へ移行すると、摂関家が3家→5家と分派し、院政から武家政へ移行すると、天皇家が持明院統・北朝と大覚寺統・南朝に分裂していることで、旧勢力を温存しても、政権を主導しなくなると、求心力が低下、職務も形式化しており、新勢力が発展しています。

 

 

●日本の本質

 

 ところで、人間とその他の生物の違いは、思考するか・しないかと、戦争するか・しないかですが、前近代の中国・西洋では、古来より、戦争で人民までも殲滅されることがあるので、都市全域に城壁が必要だった一方、日本では、藤原京・平城京・平安京等、古代の都に城壁はありませんでした。

 日本での都市全域の本格的な防禦は、近世の城下町の掘割(総構/そうがまえ)ですが、参加者のみが戦争の対象で、敵の大将を討ち取るか降参すれば終戦し、敵の中枢を処分することで、大半を無力化させるのが通例でした。

 つまり、前近代の日本は、思想(内面)を優先したり、身体(外面)を駆逐するのを、極力回避する傾向にあるので、前近代の中国・西洋のような人間(作為)からは遠く、生物(自然)に近いといえるのではないでしょうか。

 そうなると、充実した中心は、人間特有で、空虚な中心は、生物通有ともいえ、日本の特性である形式は、次のように、時間的な自然循環性と、空間的な生物多様性が、想定できますが、これらは、存在価値優先でみていることになります。

 

○時間的な自然循環性

 人間は自然界を、1日の…→朝→昼→夕→夜→…、1年の→春→夏→秋→冬→…等のように、おおむね4区分し、…→増進期(朝・春)→最盛期(昼・夏)→減退期(夕・秋)→仮死・再生期(夜・冬)→…の永遠の循環と認識しています。

 一方、万物・万事(諸行)は、無常で流転しますが、人間をはじめとする生物は、必死必滅で、おおむね生起期→増進期→最盛期→減退期→死滅期と移行するので、人間の思考で、死滅期と生起期をつなぎ、そこを仮死・再生期とみなし、それを繰り返せば、永久不死不滅になりえます。

 

○空間的な生物多様性

 自然界では、多様な生物が共存し、住み分け・食物連鎖等で、生態系が維持・永続されています。

 したがって、日本の人々も、多様な物事を並存させ、適時適材適所で使い分けようとし、そのためには、内と外(土着と渡来、縄文と弥生、和と漢=唐・洋、神と仏・儒・道、都→東→鄙)、天と地(天つ神と国つ神、天皇と臣民)、真・行・草(書体、書院・数寄・傾奇)等、最低2項を必要としました。

 もし、1項だけだと、それ以上に発展性がなくなれば、そこから急に、それ以外を見つけ出すのは(生起)、相当困難で対応が遅く、衰亡(死滅)を待つだけになりがちです。

 

 ここまでみると、中国・欧米文明と日本文化は、対照的ですが、ここで着目したいのは、欧米も日本も、社会は、階級社会から市民社会へと移行し、ほぼ同様なことで、日本の特権階級は、前近代の皇室・貴族・武士・仏僧・神職等→近代の皇室・華族→現代の皇室と、しだいに人数が減少しています。

 日本の政権の中枢も、天皇の補佐役では、最有力豪族の物部氏(大連)・蘇我氏(大臣)→有力豪族の藤原氏(内臣→左右内大臣→摂政・関白)、将軍では、天皇の子孫の源氏→元・御家人の足利氏(源氏の分家)→元・小豪族の徳川氏(源氏と無関係)と、しだいに地位が低下しています。

 近代(戦前)の首相を選出した元老(元勲、天皇の重臣)は、元・下級藩士なので、近世の将軍・諸大名や上級藩士よりも、地位が低下しており、現代(戦後)の首相は、皇室でない民間人なので、平民(庶民)の地位と同等になりました。

 よって、当初の権力者は、蘇我氏・藤原氏が、天皇の母の家族(外戚)で、上皇が、天皇の父か祖父と、尊貴性の高さが天皇に近かったのに、どんどん低く遠くになったので、為政者は、ますます天皇の権威が必要になっていきました。

 こうして現在は、外面・形式・存在価値優先の極致である、超尊貴性の代表の天皇が日本に君臨し、内面・思想・利用価値優先の極致である、国民の代表の首相が、日本を統治することで、万世一系と政権交代が、併用されているのです。

 それとともに、主権は、戦前の天皇主権(天皇・元老+貴族院による君主制と衆議院による民主制が並存)から、戦後の国民主権(天皇象徴制による完全な民主制)へと、転換しました。

 ですが、しだいに地位が低下した将軍が、幕府の安定期には、権威化することで、地位を上昇させ、名門化した事例があるので、新規の特権階級化による揺れ戻しにも、注意すべきです。