普遍的日本論1~組織の秩序安定方法 | ejiratsu-blog

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組織論

労働・教育・生活論1~5

日本統治原理略史1・2

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 これまで私は、日本の「しくみ」を、海外と比較しながら、様々みてきたつもりで、その本質を発見しようとしてきましたが、それは結局、組織の秩序をどう安定させるかで、その方法は、2つあり、その両者を織り交ぜながら、対応してきたとみられるので、ここでは、それを取り上げていきます。

 

 

■組織の秩序安定方法

 

 日本や海外の組織をみると、秩序を長年安定させる方法には、名実一体型と、有名無実型の、2つの型があるようで、それらを空間的・時間的に区別すると、それぞれ次のように、まとめられます。

 なお、名実一体型は、空間的には、集権になりがちで、時間的には、対外的な「名」と対内的な「実」を、なるべく一致させようとするので、「内面」の実・理・心が主題になります。

 一方、有名無実型は、空間的には、分権になりがちで、時間的には、対外的な「名」を不変としつつも、対内的な「実」を変化させるので、「外面」の名・形・物が主題になりますが、ここで、もしも「内面」を主題にすれば、それは、名実一体型になってしまうので、ここでは、こう設定しておきます。

 

○名実一体型

・空間的な名実一体=集権による秩序安定:名目上の権威も実質上の権力も併せ持つ状態

・時間的な名実一体=「内面」の実・理・心(徳行・才能等)による秩序安定:秩序は、善行を継続すれば生成・増進し、悪行を継続すれば減退・消滅するので、できるだけ善行を持続させるとともに、消滅すれば早急に生起させ(機械の部品交換的)、トップは有能が前提で、その利用価値(機能性)のもとに結集

 

○有名無実型

・空間的な有名無実=分権による秩序安定:実質上の権力はないが、名目上の権威はある状態

・時間的な有名無実=「外面」の名・形・物(家系・血筋等)による秩序安定:先祖崇拝→親孝行→子孫繁栄(3つで儒教徳目の「孝」)のように、親子的関係の世襲で秩序を形成し(生命の種族保存的)、トップは無能が前提で、その存在価値(永続性)のもとに結集

 

 たとえば、前近代中国の皇帝は、武力で制圧し、王朝交代させ(禅譲)、アメリカの大統領制(国家元首+中央政府のトップ)では、大統領が投票で選出され、政権交代があり、いずれも実力とみれば、空間的+時間的な名実一体型といえます。

 日本の象徴天皇制や、イギリスの立憲君主制では、権力が首相(中央政府のトップ)にあるので、天皇・国王(国家元首)は、権威のみで、世襲で皇位・王位継承し、空間的+時間的な有名無実型といえます。

 これは、「国王は君臨すれども統治せず」とも表現され、君臨という「外面」(名・形・物)と、統治という「内面」(実・理・心)を、分離させた体制といえます。

 首相は、変化・変動する利用価値なので、政権交代のある名実一体型で、天皇・国王は、不変・不動の存在価値なので、王朝交代なしの有名無実型になります。

 名実一体型は、空間的には、集権化し、時間的には、利用価値がなくなったものを、利用価値があるものと、交換しますが、有名無実型は、分権目的の空間的なものと、永続目的の時間的なものがあります。

 国際連合では、権力が安全保障理事会の常任理事5大国にあるため、事務総長は、権威・権力を併せ持たないよう、あえて5大国以外の出身者にして権威のみとするので、空間的な有名無実型といえます。

 ドイツの共和制では、序列1位が権威のみの大統領(国家元首)、2位が連邦会議(大統領選出のみが目的で、立法権のある連邦議会とは別組織)議長、3位が権力(行政権)のある首相(中央政府のトップ)となっており、これも空間的な有名無実型といえ、有名無実の直下には、名実一体型があります。

 前近代日本での禅僧の師弟制・芸道の家元制・商人や職人の徒弟制等、擬似親子的関係による教義・技能等の伝承での永続は、師から弟子へと、実力がそのまま、必ずしも教育できるとは限らないので(実力が師以上の弟子が輩出されることもあります)、時間的な有名無実型といえます。

 もし、教義・技能等に、一定水準の実力を確保すべきなら、公式機関の資格試験での評価が必要ですが、それは、すでに名実一体型で、学校や自分で勉強し、試験を突破することもできるので、擬似親子的関係も不要になります。

 これらを前提とし、今後の説明に活用していきます。

 

 

□有能と無能

 

 前述で、時間的な名実一体が、トップは有能が前提で、時間的な有名無実が、トップは無能が前提と、しましたが、原理的には、有能だと独裁的に、無能だと合議的に、なりがちといえますが、実際には、その間を行き来することになるでしょう。

 その本質を、聖徳太子は、「日本書紀」の17条憲法(604/推古12年4月3日)で、次のように、言及しています。

 まず、1条の「和をもって貴(たっと)しとなす」の「和」は、上の者に要求されており、普段では、3条の君臣間の「義」や4条の上下間の「礼」で、タテの関係の秩序を大切にしますが、議論の際には、上の者が和らぎをもち、下の者が親しみをもち、一時ヨコの関係になるべきだと、しています。

 つぎに、2条で仏教を崇敬、10・14・15条で煩悩(ぼんのう)を除去し、特に10条では、人は皆、賢さ(有能)と愚かさ(無能)を併せ持つ、不完全な凡人なので、自分の意見に疑念をもち、周囲の意見も尊重すべきだとし、17条で再度、重大時の議論の必要性が、主張されています。

 ただし、有能が前提・無能が前提としたのは、それぞれトップの自立体質・依存体質にも影響し、それらが責任追及されたり・されなかったりにまで、左右したという史実があるからです(たとえば、先の大戦での天皇の戦争責任追及なしや、鎌倉・室町・江戸幕府最後の将軍は皆、追放のみで殺害されず)。

 

○才能(⇔世襲)

・トップの有能が前提=「内面」(実・理・心)を優先:自立体質→責任追及される

・トップの無能が前提=「外面」(名・形・物)を優先:依存体質→責任追及されない

 

 17条憲法で、人が賢愚(中国では、奇正=奇抜な方法と正当な方法で対比、が多用)を併せ持つのは、端のない鐶(みみかね、イアリング)のようなものだといっており、人の心は、往来・循環するので、思想や論理も、対比が固定的にならず、流動的に検討するよう、注意すべきです。

 

 

□利用価値と存在価値

 

 さらに、前述で、時間的な名実一体が、利用価値(機能性)のもとに結集し、時間的な有名無実が、存在価値(永続性)のもとに結集すると、しましたが、価値は、「内面」(実・理・心)からみた利用価値と、「外面」(名・形・物)からみた存在価値の、両面に二分できます。

 

 それらを、建築の内部と外部になぞらえると、次のような論理が成り立ちます。

 建築界では、まず、近代には、「形態は機能にしたがう」(ルイス・サリヴァン)という言葉が登場し、これは、用途・機能したがって建築の形態・空間をつくるべきだという思想ですが、これだと、機能不全になった建築は、廃棄すべきだという発想につながります。

 したがって、現代には、「形態は機能を啓示する」(ルイス・カーン)という言葉で修正され、これは、用途・機能に適合するだけでなく、それ自体で存在意義のある建築を創造すべきだという思想で、機能不全になっても、その建築に魅力があれば、用途転換しても保存すべきだという発想につながります。

 たとえば、桂離宮は、日本最高峰の建築に位置づけられ、別荘として使用されなくなっても、予約制で見学者を相当制限することで、大切に保存されていますが、これは、利用価値より存在価値を最優先するからで、それを超越化したのが、機能性より永続性を最優先した天皇制といえます。

 

 また、利用価値と存在価値を、家族にあてはめると、おおむね、次のようになるでしょう。

 自分にとっての配偶者は、もしも恋愛で、かけがえのない存在価値になり、結婚しても、生活するには、仕事・家事・育児等の役割分担が必要なので、利用価値も大切で、見合結婚は、利用価値を前提にした方式といえます。

 それで、配偶者に利用価値がないと、最終判断するのが、離婚ですが、長年連れ添い、やがて病気・老化で何もできなくなっても、看病・介護するのは、それまでの持ちつ持たれつの関係の中で、特別な感情が形成され、存在価値ができたからです。

 それとは全く違い、自分にとっての子供は、欲しいと望んだ時には、けっして利用価値はなく(子が大人になり、仕事で裕福になれば、利用価値とみる親もいますが)、完全な存在価値で、健康と長寿を希求しますが、仕事は、真逆で、雇用・労働・売買・取引には、完全な利用価値で成り立っています。

 

 以上より、利用価値と存在価値をまとめると、以下のようになります。

 

○価値

・利用価値=「内面」(実・理・心)から出現:機能性、功利性

・存在価値=「外面」(名・形・物)から出現:永続性、尊貴性・高貴性(特権階級)、貴重性(妻子)

 

 ちなみに、17条憲法の1条の「和をもって貴しとなす」は、善行・善政を目的とし、その手段が、「和」という形(「外面」の一時対等関係)の尊貴性(存在価値)といえますが、同じ目的の手段には、「徳」という心(「内面」の常時上下関係)の機能性(利用価値)があり、両者は、次のように違います。

 

○善行・善政目的の手段

・中国:「徳」という心(「内面」の常時上下関係)の機能性(利用価値)

・日本:「和」という形(「外面」の一時対等関係)の尊貴性(存在価値)

 

 ここで注目すべきなのは、尊貴性を、特権階級等の人にしておらず、「和」という形にしていることです。

 当時の大和政権の中枢にいた、天皇家・有力豪族等の上の者は、血統による世襲で、いつも有能・有徳でないうえ、下の者の一部が、中国の先進文物に接触していたので、上下に関係なく、意見・議論したうえで、政策遂行を決断・命令したのでしょう。

 

 

 近現代の機能主義・功利主義が蔓延した状況では(学者の研究も、この傾向になりがち)、様々な利用価値を並び立てて、何とか説明しようとしますが、かけがえのない存在価値を、論理的に説明しようとすれば、それがなくなった場合に、どうなるのかを想定するのが、最も効果的ではないでしょうか。

 次の章以降では、日本特有の世襲重視に、どのような意味があったのか・あるのかを、探究するのを本当の目的にしています。

 

(つづく)