普遍的日本論2~中国と日本の本性 | ejiratsu-blog

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(つづき)

 

 

■中国と日本の本性

 

 前の章での、名実一体型と有名無実型の、2つの型を前提にすると、中国と日本の本性(本来の性質)は、対照的にみることができ、両者は、次のようになります。

 

 

●本性の中国:名実一体型+交代=機械の部品交換的

 

○前近代中国の根本=儒教道徳

 かつての中国では、生活のために、人どうしの良好な関係が必要で(騎馬民族的)、そのため儒教道徳が発達するようになり、「徳」で「民」を統治し、公地公民(王土王民思想)が原則の秩序を形成してきましたが、「徳」「民」は、いずれも「内面」(実・理・心)です。

 中国の皇帝も、「徳」(徳政)を優先させたので、有能が前提になり、権威と権力を併せ持つ存在として、思想的に名実一体が作為で創造されていき、相対的な利用価値(機能性)がなくなるという「内面」から、王朝交代という「外面」ができました。

 このようになったのは、歴代中国王朝の大半が、中国大陸の北半分の騎馬民族的な勢力を出身とし、南半分の農耕民族的な勢力も支配したからでしょう。

 「家」「血」は、客観的・明確で、わかりやすいですが、「徳」は、主観的・曖昧で、わかりにくいので、その判断基準として、官僚を登用する際には、全国規模の試験の科挙(男性のみ受験可)が必要でした。

 

○中国の皇帝=相対的な利用価値(機能性):まず「徳」(徳行)、つぎに「血」(血筋)

 中国の歴代王朝は、周辺国の異民族も、度々侵入・征服したので、血統以外で皇帝を正当化しなければならず、そこから天(天上の最高神)が、皇帝(天子)にふさわしい有徳者へ(実際は武力で制圧)、中華(中国大陸の中央=世界の中心)の統治を委任するという思想が定着しました(天命思想)。

 中国の皇帝は、有徳者であるとともに、官僚は、儒教道徳で試験選抜されたので、政権には有徳者ばかりなので、善政が当然になり、善政が連続すれば、皇帝の子孫も有徳者とみなされ、帝位を世襲、後宮と宦官で血統を維持し、後継者には帝王学を教育しました。

 でも、悪政が連続すれば、名目上は天意(天の命令)で、実質上は民意(民衆の反乱)で、現王朝を滅亡させ、別の有徳者が皇帝となり、新王朝が樹立されるという思想も定着し(易姓革命)、王朝交代を繰り返しました。

 よって、中国の皇帝は、機能性で評価された、相対的な利用価値にすぎず、利用価値がない現皇帝を廃棄し、利用価値がある新皇帝と交代させるので、機能不全の機械部品を交換するのと、類似しています。

 

○破壊と構築による交換 ~ 皇帝の自立体質

 名実一体型の「内面」・利用価値優先の社会では、武人が主導し、戦力で旧秩序を破壊すると、かれが皇帝になり、文人の官僚機構が整備され、新秩序を構築します。

 皇帝の側近は、科挙の難関を突破できるほどの知識・教養等があり、皇帝に様々な意見を披露しますが、最終判断は、失政すれば、最初に責任追及される皇帝です。

 

○人間的(作為的)で過激な敵排除

 中国では、今後の反逆を警戒し、皇帝・国王から家臣、時には人民まで、すべてを殲滅するので、城壁で取り囲まれた都市で防禦しました。

 

 

●本性の日本:有名無実型+永続=生命の種族保存的

 

○前近代日本の根本=土地経営

 かつての日本では、生活のために、土地経営が必要で(農耕民族的)、そのため「血」をきっかけに結び付いた「家」が基本単位になり、「家」で「国」(小国・令制国・天下国家)を構成し、私地私民が原則の秩序を形成してきましたが、「血」「家」「国」は、いずれも「外面」(名・形・物)です。

 記紀神話でも、冒頭には、「国」生み+天皇・豪族の祖先の神生みがあり、歴代天皇の事績の最初には、「血」のつながりが明示されていますが、「民」への「徳」(徳政)は、ほぼ仁徳天皇(16代)の逸話だけです。

 日本の天皇も、「血」「家」(世襲)を優先させたので、無能が前提になり、権力がなく、権威のみの存在として、形式的に有名無実が自然に生成されていき、まったく王朝交代がなく永続した(万世一系)という「外面」から、絶対的な存在価値(尊貴性)という「内面」ができました。

 「家」「血」は、客観的・明確で、わかりやすいので、地位の世襲・土地の相続等が容易ですが、「家」の中で「血」(「外面」)が同格で、「徳」(「内面」)を競い合ったのが、鎌倉後期の両統迭立から南北朝期にかけての、持明院統・北朝と、大覚寺統・南朝の対立です。

 「神皇正統(じんのうしょうとう)紀」では、三種の神器の鏡・玉・剣の「物」(「外面」)には、それぞれ正直・慈悲・知恵の「徳」(「内面」)を備え持つとされるので、それらを所持する南朝が、天皇の正統と主張しており、後世にも、様々な人達が、三種の神器と徳目を結び付けてきました。

 それらに共通するのは、本来の「徳」が人の「心」という「内面」を評価するものなのに、「内面」は「物」という「外面」に表出されているとこじつけ、「外面」だけで評価しようとしていることで、いかにも日本的といえます。

 こうして、「血」「家」「物」等の「外面」が大切にされ、男系の「血」を維持・管理し、流出を防止しなければならないので、天皇を御所で、徳川将軍を大奥で、囲い込むことで、女性との関係を限定しました。

 

○日本の天皇=絶対的な存在価値(永続性):まず「血」(血筋)、つぎに「徳」(徳行)

○日本の貴族・武士・仏僧等の有力者=相対的な存在価値:まず「家」(家格)、つぎに「血」、さらに「徳」

 古代に、諸々の「国」が、天皇中心でまとまれたのは、紀元前660年から「日本書紀」完成時点まで1380年間も、歴代天皇が日本統治に関与してきたという、記紀神話があったからです。

 実在と世襲が確実とされる継体天皇(26代)の即位からは、213年間の天皇の歴史なので、「日本書紀」完成時点で、天皇に超越的な存在価値があったとは、まだいえないでしょう。

 中世・近世に、為政者(将軍・幕府・有力武将等)が天皇家を庇護したのは、歴代天皇のもとで、より広く、領土を統治でき、より長く、政権を安定できたという、先例の実績があったからです。

 近現代に再度、天皇中心でまとまれるのは、記紀神話があるからではなく、継体天皇の即位から現時点まで1513年間も、歴代天皇が日本統治に関与してきたという、永年の歴史があるからです。

 だから、たとえ天皇家を廃棄しても、日本の領土の一部を所有する、現政府とは別組織が、天皇家を庇護し、治外法権を主張すれば、より広く、領土を統治し、より長く、政権を安定できる、条件を備え持ったことになります。

 やがて、そこが本当の日本になってしまうおそれもあるので、国民主権の現在では、税金で天皇家を庇護するのです。

 日本は、近代の戦中期に、中国が廃棄した清皇帝を庇護し、満州国を建国(1932年)、中国大陸にも勢力拡大しようとした前例がありますが、清王朝の中国全土統一は、268年間(1644~1912年)と、それほど永続したわけでもなく、利用価値がなくなった皇帝なので、国際社会で通用しませんでした。

 つまり、日本の天皇は、永続性で評価された、絶対的な存在価値といえ、それを意識せず、時の天皇は、自分の役割を見出そうとしたり、時の為政者は(国民も)、天皇の利用価値を見出そうとしてきたようで、この論法なら、たとえ天皇が御所に引き籠もり、たいして何もしなくても、成り立つのです。

 生命は本来、長年の生存(自殺せず)と子孫の存続だけが存在価値で、それ以外の何かを達成するために生きていないのに、人間だけが、生きる意味を探究することもあり、それが利用価値だと安直に結論づけたがりますが、天皇を一夫一妻で永続させようとするのは、絶滅危惧の生命種族を保存するのと、類似しています。

 天皇は、古代と近代に一時期、神聖性が強調され、権威と権力を併せ持つ、名実一体型になり、祭政一致を標榜し、中央集権化されました。

 しかし、天皇がとても神聖化されたのは、古代では、飛鳥後期(40代・天武)から奈良後期(48代・称徳)までの97年間、近代では、明治前期(122代・明治)から昭和前期(124代・昭和)までの77年間と、いずれも長く続いていません。

 それ以外は、比較的世俗化されており、それで政権を主導して失政すれば、責任追及されるので、国政への関与をアヤフヤにしたり、時の為政者に委託しましたが、天皇に神聖性があれば、世俗とは隔絶しているので、政権を主導して失政しても、責任追及されないという論法も、強引だが成り立ちます。

 天皇と比較すれば、貴族・武士・仏僧等の有力者は、それほどではない、相対的な存在価値といえ、天皇ほどの永続性がないために、貴族は、天皇に奉仕してきた実績で、武士は、そのうえ天皇家の末裔出身で(貴種)、仏僧は、天皇家や摂関家の子弟を迎え入れたことで(門跡)、尊貴性を加味しました。

 

○並置と乗取による移行 ~ 天皇の依存体質

 有名無実型の「外面」・存在価値優先の社会では、天皇は、親政でも、国政に関与したり・しなかったり、アヤフヤなうえ、しだいに時の為政者に、政治・軍事を委託するようになりました。

 そして、天皇は、儀礼(年中行事・有職故実)・祭祀等の反復に特化したため、失政もないので、責任追及もされず、王朝交代なし(古代の天皇・朝廷による律令制は、中世で形骸化しましたが、近世まで継続)・政権(幕府)交代ありの国家体制が確立されました。

 時の為政者(摂関家→上皇→将軍)は、新制度(それぞれ摂関政→院政→武家政=幕政)を導入・並置し、政権に干渉しても、旧制度(それぞれ律令制の太政官→摂関家→院政する上皇)の立場(「外面」)を温存しつつ、そのうちに政務(「内面」)を乗っ取っていきます。

 そのうえ、上位が無能なら、実務を有能な下位か、内部から外部へ委託するようになり、上流貴族・中央の仕事を、中級・地方役人が下請したり、朝廷は、「文」に特化し、「武」を将軍・幕府に外注したので、世襲前提での才能による活躍も、いくつかみられました。

 そもそも、貴族(公家)には、位階(等級)と官職(役職)があり、武士(武家)も、戦時には軍人、平時には役人と、いずれも「外面」(身分・地位)は不変で、「内面」(仕事・役割)が変化しています。

 特に武士の有力者は、公卿(太政官の一員)になって政権(朝廷)に参画したり、為政者(将軍)になって政権(幕府)を主導し、役割が流動的でした(西洋の騎士は、国王・諸侯等の為政者にはなれず、役割が固定的でした)。

 

○動物的(自然的)で穏健な敵排除

 日本では、今後の反逆のおそれのある実力者のみを、最小限一掃するので、城郭はありますが、城壁で取り囲まれた都市はなく、鎌倉・室町・江戸幕府の末期には、すでに権力なし・権威のみの、名ばかり将軍なので、倒幕で無職になれば、威光も完全に消失するので、殺害せずに無傷で追放しています。

 

(つづく)