天武・持統の2天皇夫妻と宗教3~道教・儒教 | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)

 

 

■道教(陰陽道)

 

 日本での道教の導入例には、宇宙の中心の北極星が神格化された、天皇大帝を由来とする、「天皇」の称号や、八色(やくさ)の姓(かばね、684年)で制定され、人間の理想である仙人の別称を由来とする、最上位の「真人」(まひと)、天下八方の統治者にふさわしい、天皇陵の八角墳があります。

 それらは、いずれも、天武天皇が、取り入れており、自分の死後の和風の名前にも、天渟中原瀛真人天皇(あまのぬなはらおきのまひとのすめらみこと)と、真人を使用し、瀛州(えいしゅう)は、仙人の生活する、東方の三神山のひとつとされ(他に蓬莱/ほうらい・方丈)、日本を東瀛ともいいます。

 天武・持統の2天皇夫妻の時代には、次のように、中国の陰陽五行説に基づいた陰陽道や、占いが、しばしばみられ、天体にも関心がありますが、たとえば、持統天皇の時代の日食6回は、すべて実際に観察不可と算出できたので、日々記録されていなかったようです。

 

 

●占い

 

○天武天皇の時代

・天武元(672)年6月24日:伊賀の横河で黒雲が現れたので占うと、天下を二分する兆候で、最後に自分が天下を取ると出た

・天武元年6月27日:野上の行宮での夜、天神地祇に占うと雷雨が止んだ

・天武4(675)年1月5日:はじめて天文台(占星台)を建造

・天武7(678)年4月1日:斎宮(いつきのみや、天皇が神事で引き籠もる施設)に外出する日時を占うと、7日と出て、その午前4時頃に、先発隊・官僚の行列が続々と出発すると、十市(とおち)皇女が、急病で死去したため、行列を停止させ、行幸・祭祀は中止に

・天武13(684)年2月28日:浄広肆(じょうこうし、諸王12階の12位)の広瀬王(おおきみ)+小錦中(冠位26階の11位)の大伴の連安麻呂+判官(まつりごとひと、四等官の3番目)・録事(ふびと、四等官の4番目)・陰陽師・工匠(たくみ)等を、畿内に派遣し、都城の敷地を視察

・朱鳥元(686)年1月13日:才芸のある人(才人/かどあるひと)・博士・陰陽師・医師(くすし)、20余人を呼び寄せ、食事と禄(金品)を授与

~~天皇の病気治癒の祈願のため~~

・朱鳥元年6月2日:工匠(たくみ)・陰陽師・主治医(侍医/おもとくすし)・唐の学生・12人の宮廷の女官、34人に爵位を授与

・朱鳥元年6月10日:天皇の病気を占うと、草薙剣(くさなぎのつるぎ)のタタリと出たので、当日に、尾張国の熱田神宮に送付・安置

 

○持統天皇の時代

・持統6(692)年2月11日:役人(諸官/つかさつかさ)に、3月3日に伊勢へ行幸する予定なので、様々な衣服を準備するように命令、陰陽博士の仏僧・法蔵+道基に、銀20両を授与

 

 

●漢方薬

 

○天武天皇の時代

・天武4(675)年1月1日:大学寮の諸学生+陰陽寮(おんようのつかさ)+外薬(とのくすり)寮+インド(舎衛/さえ)の女性+タイ(堕羅/たら)の女性+百済王・善光(31代・義慈王の子)+新羅の雑用役(仕丁/つかいのよほろ)等が、薬・珍品を貢進

・天武14(685)年10月8日:百済の仏僧の法蔵+男性在家信者(優婆塞/うばそく)・益田(ますた)の直(あたい)金鐘(こんじょう)を、美濃に派遣し、胃薬(白朮/おけら)を調達・製造するよう命令し、その御礼に絁(あしぎぬ)・綿・布を授与

・天武14年11月24日:法蔵+益田の直金鐘が、胃薬を献上

・朱鳥元(686)年4月19日:新羅の調が、筑紫から貢進、良馬1匹・ラバ1頭・犬2匹・彫刻付の金器・金・銀・霞錦(かすみいろのにしき)・綾羅(あやうすはた)・トラの皮・ヒョウの皮・薬物類、100余種、金智祥(こんちじょう)・金健勲(こんごくくん)等が、別に金・銀・霞錦・綾羅・金器・屏風・鞍皮・絹布・薬物類、各60余種を献上、別に皇后・皇太子・男性皇族(親王)達にも献上、色々あり

 

 

●天体異常

 

○天武天皇の時代:日食2回

・天武9(680)年11月1日:日食(史実)

・天武9年11月16日:月食

・天武10(681)年9月16日:彗星(ほうきぼし)が出現

・天武10年9月17日:火星と月が重なり合った

・天武10年10月1日:日食

・天武11(682)年8月3日:午後8時頃に、金星(大星/ゆうずつ)が東から西へと移動

・天武11年8月5日:造法令殿(のりのふみつくるみあらか)内で、大虹が出現

・天武11年8月11日:灌頂幡(かんじょうのはた、仏堂内を装飾する荘厳具)のような形状の火が、空に浮かび、北へ流れたと、諸国で見られ、日本海(越の海)に入ったとの報告もあり

・天武11年8月11日:白気(はっき、オーロラ)が東山に出現

・天武13(684)年7月23日:彗星が北西に出現

・天武13年11月21日:午後8時頃に、7つの星が一緒に北東へ流れ落ちた

・天武13年11月23日:午後6時頃に、星が東へ流れ落ち、午後8時頃に、雨のように隕石が落下

・天武13年11月:天の中央のぼんやり光る星が、スバル(昴星/もうしょう)と並んで移動し、月末に消失

 

○持統天皇の時代:日食6回

・持統5(691)年10月1日:日食

・持統6(692)年7月28日:火星と木星が光ったり消えたり、近づいたり離れたり4度繰り返し

・持統7(693)年3月1日:日食

・持統7年9月1日:日食

・持統8(694)年3月1日:日食

・持統8年9月1日:日食

・持統10(696)年7月1日:日食

 

 

 

■儒教

 

 儒教の思想には、天人相関説があり、皇帝が有徳で善政し、天下泰平であれば、その前兆に、天の命令で、めでたい動植物が出現するとされ(祥瑞/しょうずい)、記紀神話では、天武天皇の時代から、次のように、しばしば登場するようになり、それが、改元のきっかけにもなっています(祥瑞改元)。

 

 

●祥瑞

 

○天武天皇の時代

・天武2(673)年3月17日:備後の国司が、亀石郡(神石/じんせき郡)で白キジを捕獲・貢納、その郡の課役(主に調)をすべて免除され、全国で大赦

・天武4(675)年1月17日:大和(大倭/やまと)国から、めでたいニワトリ(瑞鶏/あやしきにわとり)を貢納、東国から、白鷹を貢納、近江国から、白トビを貢納

・天武4年10月20日:相模国の高倉郡(高座郡)で、男の三つ子が誕生したと報告

・天武5(676)年4月4日:大和(倭/やまと)国の添下郡(そうのしものこおり)の鰐積吉事(わにつみのよごと)が、ツバキの花のようなトサカの瑞鶏(あやしきとり)を貢納、その

・天武5年4月4日:大和(倭)国の飽波郡(あくなみのこおり、平群郡)から、雌鶏が雄鶏に変化したと報告

・天武7(678)年9月:忍海(おしぬみ)の造(みやつこ)能摩呂(よしまろ)が、株ごとに枝のある、めずらしい稲(瑞稲/あやしきいね)5株を献上、徒刑以下すべてを赦免

・天武8(679)年8月22日:縵(かずら)の造忍勝(おしかつ)が、株は別で穂はひとつの、めずらしい稲(嘉禾/よきいね)を献上

・天武8年12月2日:嘉禾が献上され、男性皇族(親王・諸王)・群臣(諸臣/まえつきみたち)・大勢の役人(百官/つかさつかさ)の人達に、禄(金品)を給付・格差あり、死罪以下すべてを赦免

・天武8年:紀伊国の伊刀郡(いとのこおり、伊都郡)が、キノコのような霊芝(芝草/しそう)を献上、因幡国が、株ごとに枝のある、めずらしい稲(瑞稲/あやしきいね)を貢納

・天武9(680)年1月20日:摂津国の活田村(いくたのむら、生田郷)で、モモ・スモモが実をつけたと報告

・天武9年2月26日:葛城山で、根元が2本・先端が1本の毛付・肉付のシカの角を拾い、不思議なので献上

・天武9年3月10日:摂津国から、白シトド(巫鳥/しとり、珍鳥)を貢納

・天武9年7月10日:(宮中の)南門で、赤スズメを発見

・天武10(681)年8月16日:伊勢国から、白フクロウを貢納

・天武10年9月5日:周防国から、赤カメを貢納され、嶋宮の池で放し飼いに

・天武11年8月13日:筑紫の大宰(おおみこともち)から、3本足のスズメが出現したと報告

・天武12(683)年1月2日:大勢の役人(百寮/つかさつかさ)が、朝廷(朝庭)に拝礼し、筑紫の大宰(おおみこともち)・丹比(たじひ)の真人嶋(しま)等が、3本足のスズメを貢納

・天武12年1月7日:男性皇族(親王)以下・群臣(群卿/あめつきみたち)を、大極殿前に呼び寄せ、宴会し、3本足のスズメを展示

・天武12年1月18日:天皇が、諸国の国司・国造・郡司・百姓等に、瑞祥(天瑞/あまつみつ)は多数出現し、有徳な政治のしるしとされているので、男性皇族(親王・諸王)・群臣(群卿/まえつきみたち)・大勢の役人(百寮/つかさつかさ)・全国の人民と喜び合いたいので、小建以上の者に禄(金品)を授与・格差あり、死罪以下の者を赦免、百姓の課役を免除

・天武13(684)年3月8日:吉野の宇閉(うへ)の直(あたい)弓が、白ツバキを貢納

・天武13年:大和(倭/やまと)の葛城下郡(しものこおり)が、4本足のニワトリを発見したと報告、丹波国の氷上郡(ひかみのこおり)が、角12本がある子牛を発見したと報告

・朱鳥元(686)年7月20日:(天武15年を、)朱鳥(あかみとり)元年に改元し、皇宮を飛鳥浄御原宮(あすかのきよみはらのみや)と命名

 

○持統天皇の時代

・持統6(692)年9月21日:伊勢の国司が、株は別で穂はひとつの、めずらしい稲(嘉禾/よきいね)2本を献上、越前の国司が、角鹿郡(つぬがのこおり、敦賀郡)の浦上(いらがみ)の浜で捕獲した(9月26日)、白ガチョウを献上

・持統8(694)年10月20日:白コウモリを捕獲した、飛騨国の荒城郡(あらきのこおり、吉城郡)の弟国部弟日(おとくにべのおとい)に、進大肆(諸臣48階の47位)を授与し、絁(ふとぎぬ)4匹・綿4屯・布10端も授与、その課役を終身免除

 

(おわり)