古民家の類型化2~農家サブシステム | ejiratsu-blog

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人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

(つづき)
 
●サブ・システム
 
○上屋(うわや)+下屋(げや)
 茅葺・板葺屋根の古民家は、雨水が流れ込んで集まる谷部から雨漏りするおそれがあるので、簡単な切妻・寄棟・入母屋の大屋根にするため、できるだけ平面を矩形にし(上屋)、それで納まり切らなければ、一部を奥行浅く突出させ、そこに下屋を架けることで対処することになります。
 
○角屋(つのや)造
 L字型・T字型平面等、上屋+下屋の構成で対処できないくらい、平面の一部を奥行深く突出させる場合には、複雑な屋根形状となり(角屋造)、主に福井県南越地区に分布しています。
 
   ▽旧谷口家住宅(福井県武生市):江戸後期、角屋造
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○突き上げ屋根
 日本の養蚕業は、古来より中国から技術を移入し、大和朝廷は庸・調として絹織物を徴税していましたが、国内だけでは絹糸(生糸)の生産不足で、長年中国から輸入していましたが、徳川幕府は江戸前期に代金としての金銀銅の流出を食い止めるため、生糸の輸入を従来の半分に削減して養蚕業を推奨しました。
 それまで養蚕業の中心は、畿内やその周辺でしたが、水田が少なく農産物の生産力が低い東日本の山間部では、養蚕業を副業として普及するようになり、江戸後期から生糸の輸出が開始されると、生糸の価格が高騰し、増産に拍車がかかりました。
 明治前期に温度・湿度を人工的に管理する温暖育や、温暖育と自然にまかせた清涼育を折衷した清温育が確立され、年1度から2・3度の生産が可能になると、ますます養蚕業がさかんになりました。
農家の屋根裏は、蚕を飼うための広い床面積が確保され、微妙な気温や換気の調整が要求されるので、換気・通風用の開口部が必要になり、甲府盆地では突き上げ屋根・煙出し櫓(やぐら)等、屋根形状が複雑化するようになりました。
 
   ▽高野家住宅(山梨県甲州市):江戸後期、突き上げ屋根
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○切り落とし造・兜(かぶと)屋根
 北関東でも養蚕業のため、寄棟屋根・入母屋屋根の小屋裏に採光・通風を確保しようと、平側の正面中央付近の屋根を切り落としたり(切り落とし造)、屋根の妻側全面や平側全面(平兜造)を切り上げました(兜屋根)。
 
  ▽関根家住宅(群馬県前橋市):江戸後期、切り落とし造
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   ▽富沢家住宅(群馬県中之条町):江戸後期、平兜造
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(つづく)