中空と巡回 | ejiratsu-blog

ejiratsu-blog

人は何を考え(思想)、何を為し(歴史)、何を作ってきたのか(建築)を、主に書いたブログです。

●一神教と二元論
 
 ユダヤ教・キリスト教・イスラム教等の一神教では、絶対的な神が唯一・完全だとするとともに、それ以外(人間の言動等)は不完全なので、徹底的に相対化されなければならず、みんなに理解しやすく、単純化するため、対立概念で把握させようとする傾向にあります(二元論)。
 それは、ふたつの対象の、一方が善・正・優、他方が悪・邪・劣とする(一元論)のではなく、ひとつの対象を対立概念で把握することで、いずれかを絶対化すれば、それに支配・拘束されてしまうので、相対化することで、対立した二項を自由に往復することができる効用があります。
 しかし、産業革命(工業化・近代化)による科学技術の発展とともに、二項対立を乗り越えようとするヘーゲルの弁証法が登場すると、先進は優、後進は劣という進歩史観が浸透し(西洋列強による植民地支配の根拠にもなりました)、それは、近年まで世界中に影響している見方です。
 弁証法は元来、古代ギリシャ哲学では問答法・雄弁術でしたが、ヘーゲルは、命題(テーゼ)と反対の命題(アンチ・テーゼ)が対立すれば、いずれかを選択するのではなく、肯定すべき部分は、肯定、否定すべき部分は、否定し、その矛盾を止揚する本質の綜合(ジン・テーゼ)に到達すべきだと主張しました。
 そののち、その総合は、やがてひとつの命題となり、それにひとつの反対の命題が対立すれば、それらを乗り越え、それまでとは異なる新たな総合を生み出すという具合に、徐々に真理へと接近・発展させようとしました。
 ところが、マルクスは、そうすれば、ますます抽象化・観念化していくので(観念論)、現実的・物質的に引き戻し(唯物論)、部分(主観と客観、意識と存在、精神と物質、人間と自然、科学と神話等の二項)の相互連関性による全体の統一性や、生滅・変化等の動態も考慮すべきだと主張しました。
 つまり、ヘーゲルにとって真理は、「上」(高次元)にあり、マルクスにとって真理は、「間」(関係性)にあるといえますが、それらは、キリスト教だと、「上」は、神への接近、「間」は、隣人への愛につながると読み取れるのではないでしょうか。
 日本の村落や幕府での意思決定の大半で、構成員が皆平等の、合議制による全会(満場)一致が採用されたのも、充分に議論すれば、妥協ではなく、対立双方の問題を解決する知恵が、生み出されることを期待したので、それを理想としたのでしょう(百姓一揆も、寄合による全員一致の集団行動です)。
 そして、ふたつの対象の質(善悪・正邪・優劣等)を、数という量に置き換えたのが多数決で、ひとつの対象にある対立概念の矛盾を止揚して総合できれば、全会一致となりますが、大切なのは、多数決するまでに、対立・矛盾を乗り越えようとするくらい、充分熟考・洗練化したかです。
 人間の言動は、成功もあれば、失敗もあるので、すべてを相対化して対象を把握し、意思決定のプロセスを誠実に推し進めたかが、指導者の最低限の責任で、失敗による辞任・自死は、決断後の結果責任であって、現在は、それで免責できないほどの損失になるので、本来は、決断前の説明責任を最重要視するべきです。
 ちなみに、王と神の関係は、一般に、王が敵国に敗戦すれば、王が信仰していた神も、廃棄されますが、日本では、敵国の王が信仰していた神も、存続させるとともに(オオクニヌシはその代表)、天皇を神の媒介者(司祭)にしておけば、天皇が失政しても、神の責任なので、天皇には、絶対的な権威が永続できました。
 
 ところで、欧米では、神以外の絶対化は、個人の自由意志による宣誓・契約で、日本でも、中世から武士間での御恩と奉公の契約による主従関係は、絶対的な規範でしたが、家臣にも主君を選定する権利があり、服従か謀反か、合戦か同盟か等は、すべて契約関係です。
 近世には、幕府が武士達に儒教(朱子学)を導入しましたが、中国由来の儒教では、契約的な主君への忠義と、非契約的な親への孝行は、区別され、どちらも主君・親の仁徳が前提でした。
 もともと武士は、自分や家系の名誉・名声を失墜しないよう行動し、不当に侮辱されれば、復讐、失墜しそうになれば、率先して自死(切腹)することで、免責・和解しようとしましたが、自分の信念よりも、主君との契約を遵守するという、他人との信念が、絶対的だとされていました。
 だが、近代には、政府が、主君への忠義と、親への孝行を、同一視するようになり(忠孝一致)、庶民にも、倫理・道徳が、要求され、武士道精神が、植え付けられましたが、すでに江戸期には、忠臣蔵(赤穂浪士の討ち入り)の流行や、商人・職人の丁稚奉公の制度等、町人にも、武士道精神が受け入れられていた経緯があります。
 こうして、天皇を国家の家長(司祭+統帥)とし(実際は無力)、政府の決定を天皇の命令にした、超一元的な中央集権国家が形成されましたが、前提の主君(天皇・政府・軍部)の仁徳は捨て去られ、対外的には、法治、対内的には、捻じ曲げられた徳治で、国民を先導、天皇制維持のため大勢が犠牲になりました。
 天皇は、憲法や軍人勅諭・教育勅語等で神格化されましたが、ヒトラー・スターリン・毛沢東等の指導者による改革運動は、抑圧からの解放を主張し、国民から賛美・神格化され、自由実現の過程での、やむをえない強制・束縛を口実に、個人を軽視・国家を重視した法制化で、独裁制が推進されました。
 ここからみえてくるのは、二元論から一元論への飛躍が、対立・矛盾を克服・統合したと錯覚させて、無理矢理に画一化してきたことで、尊重すべき多様性を排除していないか、充分注意する必要があり、世界を描き尽して閉ざさず、未来への自由の余地を、確保して開いておくことも、大切になります。
 
 
●多神教と三元論
 
 日本は、多神教で、神道・仏教には、様々な神・仏が多数いて、それを反映して、各々の対象も、疑わず程々に信じて把握しがちで、それらは、明確に組織化・体系化されず、整合性も追求されずに、混在・並存するのが通例です(例えば神仏習合)。
 日本の仏教では、人は誰でも仏になれる(悟りを開ける)とされ、善人か悪人かは、言動しだいで、神道でも、神の霊魂には、柔和な和魂(にぎたま)と、荒々しい荒魂(あらたま)の、両面がありますが、どちらが善で、どちらが悪かは、設定しておらず、善悪は、固定化せず、信念も、環境しだいで変化します(無常)。
 そして、特定の目標を設定すると、気力を振り絞って、猛烈に努力し、場の空気が、醸成され、しばらくその空気が、作用しますが、外圧等でその空気が、消滅すると、急激に無気力・倦怠になり、それとは別の目標を設定すれば、再度立ち上がるという具合に、気分が支配する傾向にあります。
 こうして、時代の変遷とともに、次々に目標とする対象が、移り変わることで、生滅・栄枯・盛衰を繰り返しており、結果的に相対化してきたようにみえますが、実際は、一時期絶対化したことが多々あります。
 たとえば、古代からは、中国大陸・朝鮮半島から、近代からは、欧米から、従来の技術・文化を排除するほどの先進文明を移入し、やがて、それらを日本化するようになり、戦前・戦中には、軍事本位、戦後には、経済本位と、極端な政策が席巻し、それは、今日まで継続されています。
 飛鳥期には、古墳の規模縮小とともに、推古天皇・聖徳太子(厩戸皇子)・蘇我馬子主導で、天皇(大王)家・諸豪族が、全国に仏寺を建立し(46寺、僧816人、尼569人)、明治期には、廃仏毀釈する一方、鹿鳴館で欧米人を盛大に接待・社交、いずれも国家地位向上のための、表面上の文化移入の段階といえます。
 軍事では、明治中期の日清戦争・明治後期の日露戦争まで、政府と軍部は、協調し、国際社会(欧米列強)からも、容認されていましたが、昭和前期の満州事変で、軍部が暴走し、事後に政府が追認、これ以降は、国際社会からも非難され、経済の問題を軍事で解決しようと、日中戦争・太平洋戦争へと突入しました。
 経済では、敗戦後に一転して経済復興に専念する一方、国家の安全保障は、アメリカに依存するため、米軍の駐留を要望し、施設・経費等を提供、軍事を一切保留にしたことが、高度成長につながりました。
 ところが、朝鮮戦争が勃発すると、憲法との整合性が、充分議論されないまま、アメリカの要望で、国土防衛のための警察予備隊が発足され、そののちの保安隊→自衛隊も必要性の増大とともに、憲法解釈を徐々に拡大して派遣するようになり、最近になって、大半の政党が、現状を追認した格好になっています。
 
 ところで、心理学者の河合隼雄は、『中空構造日本の深層』で、皇祖神話「古事記」に登場する、三神(タカミムスヒ・アメノミナカヌシ・カミムスヒ、アマテラス・ツクヨミ・スサノオ、ホデリ・ホスセリ・ホオリ)のうち、一神は、名前の列挙のみで、何もしておらず、無為の存在だと指摘しています。
 タカミムスヒとカミムスヒは、ムスヒ(産巣日)が共通し、いずれも生産・生成の神ですが、前者は高天原系、後者は出雲系の神に関与し、アマテラスは、天上(太陽)の神で、スサノオは、地上(海)の神、ホデリは、海幸彦で、ホオリは、山幸彦と、二項は、対比関係にあります。
 一方、アメノミナカヌシ(宇宙根源の神)・ツクヨミ(夜の神)・ホスセリは、何もせず、中央・中間の一項は、空虚(中空)で、他の二項は、中空の周囲を対立と融和を繰り返しながら、巡回することでバランスをとり、いつまでも中心に到達できない構造を創り出し、それによって、永久不死不滅を獲得しています。
 また、フランスの批評家・ロラン・バルトは、『表徴の帝国』で、西洋の都市は、中心に市民のための公共施設(教会・市庁舎・広場等)が充実している一方、東京の中心には、皇居の緑地があり、その周囲を交通が、迂回・循環しており、中心が空虚だといっています。
 全国の都市の中心である駅前も、交通に占拠されて空虚で、駅前の商業施設も、交通の一環として取り扱われており、建築家の黒川紀章も、日本には、西洋のような滞留性のある広場がなく、その役割は、流動性のある道空間が担い果たしてきたと、主張しています。
 さらに、町や村の神社はハズレに立地し、鳥居から参道を進むにつれて中心に近づきますが、神は降臨するとされているので、本殿には、何もなく空虚で、城下町の中心である天守閣も、頻繁に使用したのは、信長の安土城だけで、秀吉の大坂城から倉庫化して空虚となり、城郭内の御殿が生活の中心でした。
 実質的な指導者も、天皇から摂関・上皇(院政)へ、朝廷から幕府へ、将軍から執権(鎌倉期)・三管四職(室町期)・老中(江戸期)へと移動し、権威・権力・財力が極端に集中するのを敬遠しており、天皇や将軍に指導力がなくても、政権が維持できる体制を確立してきました。
 ちなみに、中国では、天(天帝)の命令で、天子(皇帝)に天下(国)の統治を委任するとされ、もし、皇帝が悪政・失政すれば、その国を滅亡させ、仁徳のある別の人に建国を命令し、皇帝にするという、天命思想があり、これが王朝交代の根拠とされ、国家の中心が空虚になるのを、できるだけ回避しています。
 このように、日本では、中心が空虚(中空)で、普段から寛容なので、異物を周縁ではなく、すぐさま中心に受け入れやすく、非合理的な根拠でも(理より情)、それが絶対化すれば、場の空気に支配されて一元化し、やがて、その空気が過ぎ去れば、無・空の状態に揺れ戻されます。
 仏教では、念仏・修行等で、様々な煩悩(欲望・執着)を捨て去り、無・空の境地に到達し、そこから行動すべきだといっていますが、空とは、あらゆる現象が相互関係性のうえに成り立っており、個々の独自性はない(無自性)という認識で、無とは、何もないものが、何かをさせている(絶対無)という認識です。
 そうなると、宇宙の法則・自然の摂理にしたがって、行動しているかが問題で、利潤や幸福を追求するためでなく、苦痛や犠牲をも耐え忍んで、義務(義理・人情)を遂行することが信念になり、これまでも、自己の内面的な罪より、他者の外面的な恥に支配されてきました。
 それとともに、自然の循環のように、多項との相互関係性として、把握すべきですが、ある程度は、単純化しないと、わかりやすくならないので、三項を巡回しながら考察するのが、得策になったのではないでしょうか。
 日本では、対象を三元化して把握しがちで(3・5・7…の奇数は吉数、偶数は割り切れるので凶数とされているからか)、三項あれば、二項よりも自由に回遊・循環できる効用があります(多元論のはじまり)。
 三元化の実例には、記紀神話での、天上・地上・地下または海の彼方の三世界、大和政権初期の統治対象としての、アメ(天、都)・アヅマ(東、東国)・ヒナ(鄙、夷狄/いてき、未開・野蛮)の三地域(雄略天皇の時代の宮廷歌謡による)があり、日本古来より、受け入れられています。
 芸術の表現様式では、書道での真行草(しんぎょうそう)、仏寺建築での、和様・天竺様(大仏様)・唐様(禅宗様)、表現要素では、生花での天地人・真(=人)副(=天)体(=地)(しんそえたい)、歌舞音曲での演目の構成では、序破急(じょはきゅう)、芸道の稽古では、守破離(しゅはり)等があります。
 芸術では、真行草や天地人の空間的な三元化と、序破急や守破離の時間的な三元化に大別でき、前者は、静的にならず、動的な均衡を生み出すことを意図とし、後者は、初めから終りまでの直線的ではなく、誕生→死滅→再生のように円環的に進行しようとする意図があるようです。
 
 近年での三元化は、私=プライベート(個人・法人等)・共=コモン(個人だと家族・学校・職場・地区等、法人だと取引会社・関連団体等の知り合い集団)・公=パブリック(地域・国家・社会等の見ず知らず集団)が、よく取り上げられ、防災対策でも、自助・共助・公助に区分されています。
 建築家の山本理顕は『住居論』で、プライベート(私)とパブリック(公)、プライバシーとコミュニティの対立概念は、空間の関係性(配列と相互交流)によって決定され、私(住戸)→共(住棟・地区)→公(都市)という、段階的な構成だけでなく、共←私→公の図式もあると、集合住宅で提起しています。
 集合住宅では、各住戸へは、外周の道路からアプローチしますが、各住戸を通り抜けないとアプローチできない、共用の中庭を確保し、私(住人)が共(地域)と公(社会)の両方向へアプローチできる構成にした事例があります。
 戸建住宅でも、各個室へは、外界(道路や中庭)からアプローチし、それらの奥にLDKを配置した、私(個人)が共(家族)と公(社会)の両方向へアプローチできる構成にした事例もあります。
 これは、最近流行している、LDKを通過しないと子供部屋にアプローチできない、戸建住宅の対極にありますが、現実は共←私→公の図式ですが、親は、子と接触する機会を増加させ、家族関係を繋ぎ止めたいので、私(個室)→共(LDK)→公(道路)の図式を採用したがります。
 余談ですが、この図式を極限化すれば、戦前・戦中の、天皇を国家の家長とする、超一元的な中央集権国家となり、大人は、軍人→軍人勅諭→天皇か、非軍人→職場・地域(戦時統制下の産業界・婦人会)→天皇、子供は、生徒→教育勅語→天皇と、当時の個人は、天皇主権で国家と直結、極度に拘束されていました。
 
 ただ、三元論・多元論で懸念したいのは、その対象を対立概念等で充分把握せず、議論も希薄になり、場の空気によって、中心を次々に取り替えることで、それをこれまで延々と繰り返してきたので、すべてが流行となってしまい、議論の積み重ねや過去の反省による蓄積がほとんどありません。
 意思決定とは、人工による作為で、そこに責任も発生しますが、日本の美意識である自然との一体化のように、場の空気で意思決定すれば、無責任になってしまいます。
 そのうえ、日本では、三元化を理想としながらも、国家の最高機関は、三権分立といいながら、実際は、立法=行政(ほとんど政府の官僚が法制化)と司法の二分だったり、政党で、第三局が躍進するのが、困難だったり、委員会で、第三者の専門家が、成立しなかったりする等、結局は、二元化になりがちです。
 ここまでみてくると、二元化や三元化は、認識段階での動的な作業、一元化は、確定(合意形成)段階での静的な作業といえ、おそらく円環的と直線的が組み合わさった、ラセン的なイメージで進行するとよいでしょう。
 現在は、複雑で高度・高速な社会なので、問題の把握と解決を一対一で対応するのではなく、一対多で対応するとともに、秩序形成・平衡維持のため、生命活動のように、常時頻繁に更新するつもりでいなければならないでしょう。