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大場 豪のブログ

自由に生きる、とは

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

そのさびしさ、どう扱っていますか?

 

 

「埋めるもの」として見ているのか、
 

それとも、何かに使えているのか。

 

 

昨日の記事の続きとして、
 

もう一歩だけ踏み込みます。

 

 


昨日に続きます。



人間はみんな、さびしい。


だから、

一人で生きずに、社会をつくる。



そういう中で

どうさびしさと関わっていくか。



これは

人生のテーマでもある。



もちろん、

自由にもつながっている。



ヒントは、

昨日の記事にあります。



あなたがさびしくないのは、

誰かが埋めてくれていたから。



であれば、



あなたが埋めるんです。



実際に埋まっているかは

確かめづらいので、


自分が誰かのさびしさに関わっているか、

何かをしているか。



そこだと僕は思っています。



誰かや社会が

あなたのさびしさを埋めてくれるなら、


あなたもまた、

誰かや社会に関わることで、

あなたのさびしさは変わっていく。



あなたなりのやり方で、

できることでいい。



誰かがさびしさを埋めてくれるのを

待つのではなく、


あなたが関わることで、

さびしさは変わる。



さびしさすらも使いよう。



ここまで読んで、


あなたは今、

さびしさとどう関わっていますか?



このテーマは、

もう一歩先があります。



次は

「自由」とのつながりについて書きます。



興味があれば、

メルマガでもう少し深く触れていきます。
 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

世間はゴールデンウイーク。

 

 

人と会う時間が増える人もいれば、

 

逆に一人の時間が増える人もいると思います。

 

 

そんなとき、

 

ふと「さびしさ」を感じることもあるかもしれません。

 

 

今日は、そんな「さびしさ」についてです。

 

 


いつもとテイストが違うことを

今日はシェアしてみます。



最近、あなたは「さびしさ」を

感じたことはありますか?



ないなら、

それは幸せなことですよ。



あるなら、

それは普通の、当たり前のことです。



人間は生まれつき、さびしいもの。



さびしい、という感情は

生まれてから、最後の時まで

持っているもの。



かく言う僕もそうです。



ためしに、


1週間、誰とも会わず、話さず、

仕事もせず、SNSもやめてみてください。


たぶん、多かれ少なかれ

さびしくなるでしょう。



早い人は半日で

さびしく感じるでしょう。



そう、

僕らはさびしい生き物。


「さびしい」という感情は

元々、しっかりとある。



ときどき、

親しい誰かと離れてしまって

「さびしい」という相談を受けることがある。



それはそうなります。



その上で、

そのさびしさは


離れたさびしさというよりも、

自分のさびしさを埋めてくれる人が

いなくなったのかもしれない。



その人が

あなたのさびしさを

その間、埋めてくれていた。


そのおかげで、

あなたはさびしさを感じずにいられた。



それは

つらさやかなしさになるけれど、


一方では、

それだけ幸せだったってこと。



なくしたことばかりを見るか、

いてくれた時間に目を向けるか。



もちろん、


いなくなったかなしさ、

今一人でいるさびしさ、

この先どうなるかという不安、


それらを抱えて、耐えることはつらい。


だから、

それを体験してきたからこそ、

そのさびしさがわかるからこそ、



人は人にやさしくできるし、

なれるんだと今は思う。



そのさびしさは

あなたが人間である証。



そして、

人にやさしくできる。
 

 

 

人は、生まれつきさびしい生き物。

 

 

だから、

 

さびしさを感じることは悪いことではありません。

 

 

 

誰かがいてくれたからこそ、感じなかったさびしさ。

 

いなくなったからこそ感じるさびしさ。

 

 

 

そこには、

 

あなたが大切にしていた時間があります。

 

 

 

メルマガでは、

 

こうした感情の奥にあるものももっと深く書いています。

 

 

 

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今、自由ですか?



では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

昨日は、

 

「でも、」の奥にある本音について書きました。

 

 

今日は、その続きです。

 

 

「でも、」を使う自分の氣持ちや本音が見えてくると、

 

今度は「でも、」そのものが苦しくなることがあります。

 

 

今日は、

 

「でも、」を少しずつ手放していく話です。

 



昨日に続きます。


自分に「でも、」を使うとき

「でも、」の本音


がわかると、

あなたはこう感じてくるかもしれません。



自分にも、相手にも、

「でも、」を使うことが苦しい。



無意識で出てくる言葉であっても、


「でも、」という言葉が

自分と相手を遮って、

分けてしまうことになるから。



「でも、」を使う自分の本音も、

「でも、」と返す相手の本音も、

理解できてくるから。



それに氣づいたから。



そうなってきたら、


「でも、」を少しずつ手放すときかもしれません。



もう無理して

「でも、」って使わなくていいんですよ。



手放しましょう。



「でも、」

「だって、」

「けど、」


の代わりの言葉はいくらでもあります。

使わなくても、成立しますし。



たとえば、


「したい。でも、自信がない」の


「でも、」の後ろにあるものが本音で、


「実は、」

「というのも、」

「その上で、」


と言い換えられる。



もしくは、

「でも、」と

言わなくても、問題はない。



「でも、」が見えてきて、

その本音がわかって、

自分や相手を遮っているなら、手放す。



言葉を自分らしく使って、

自由になりましょう。



言葉は自分を自由にするものでもある。

そして、

使い方によっては、

自分を縛って、遮ってしまうものにもなる。



言葉があなたを使うのではなく、

あなたが言葉を使うのだから。
 

 

 

「でも、」は悪い言葉ではありません。

 

ときに、自分や相手を遮ってしまうことがある。

 

 

 

だからこそ、

 

本音が見えてきたら、少しずつ手放していく。

 

 

 

言葉は、自分を自由にするものでもあります。

 

使い方次第で、もっと自由になれる。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。