おはようございます。大場です。
ここに来てくれて、ありがとうございます。

今日も、ここから書きます。
週末恒例の「揺れシリーズ」です。
誰かの何氣ない一言に、
どうしても引っかかる。
言った相手は
氣にしていないかもしれない。
それでも、自分の中では揺れている。
そんな揺れにも、
自分らしさがあるのかもしれません。
あの人の何氣ない一言に
戸惑う。揺れる。
「え?今ここで、それを言う?」
たった一言なのに、
そのあと、ずーっと氣になっている。
言った相手は、
もう忘れているかもしれない。
自分でも氣にしすぎだと思う。
そうわかっても、
やっぱり引っかかる。揺れてしまう。
何度もその言葉を思い出してしまう。
自分の中で、その言葉の意味を
確かめる。反芻する。
何かある氣がする。
真意みたいなものが。
あの声のトーン。表情。しぐさ。
そこに何かあるように感じる。
こうやって揺れるのは、
自分だけなのかもしれない。
こんなに揺れなくてもいいのに。
つまり、
「自分が感じる揺れは、自分らしさ」とも
言える。
誰も感じないかもしれない揺れを
自分だけは感じるから。
それは悪いものではない。
自分を知るカギにもなる。
揺れの中にあるもの。
自分だけが感じる揺れ。
それを
「氣にしすぎ」
で終わらせなくてもいい。
その揺れの中に
自分を知るものがある。
今、自由ですか?
では、また明日。

