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大場 豪のブログ

自由に生きる、とは

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

「こわい」と感じるとき。

 

 

それは、
 

避けたほうがいいサインなのでしょうか?

 

 

それとも、

 

自分の奥にあるものと、
 

向き合おうとしているサインなのでしょうか?




昨日までに続きます。


「こわい」というときは

「自分と向き合っている」とき。



その「こわさ」って

何から来るのでしょうか?



生命の危機?

やったことないから?

ずっと禁止されていたから?


後戻りできないから?

何かを失う氣がするから?

自分のエゴだと思うから?



まあ、いろいろと

思いつくかもしれません。



その上で、

あなたはどうしたいのでしょうか?



自由であるために。



だとしたら、

やってみたら、どうですか?



ここで、こわさから逃れても、

あなたはまたどこかで

そのこわさに戻ってくるでしょう。



また、向き合うことになります。


というか、

今も戻ってきていませんか?



そこから、

一歩進んでみませんか?



こわいから逃げるのではなく、

そのこわさに飛び込んでいく。



その繰り返しが

自分を自由にしてくれます。



あなたの感じているこわさは

あなた自身に向き合っている証。
 

 

 

こわさを感じるのは、
 

ダメだからではなく、

 

向き合おうとしているからかもしれません。

 

 

 

そのこわさを避けるのではなく、
 

少しだけ見つめてみる。

 

 

 

そこから、
 

自由は始まるのかもしれません。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

自分のことを言葉にする。

 

 

それだけでも、
 

案外こわい。

 

 

ましてや、
 

それを誰かに話すとなると、

 

もっとこわい。

 

 

けれども、
 

その「こわさ」の先にしか、
 

見えないものもあるのかもしれません。

 



昨日に続きます。



まあ、

「言葉にすることは引き算」

と書いていて、

頭でも理解できます。



ただし、これって、

実際やってみると「こわい」んですよね。



やったことないのもこわいし、

やったことあっても、やっぱりこわい。



自分で自分のことを

さらけ出すのはこわい。



さらに、

誰かに打ち明けるのは

もっとこわい。



裸を見られる方がまだマシだとか

思うこともある。



一方で、


自分だけだと

俯瞰的に見れないこともわかっているから、



誰かに整理してもらいながら、

フィードバックしてもらう方が、


より自分を深く理解できるし、

安心できる、というのも確実にある。



自分の中にある二面性を

理解することもむずかしかったりするから。



僕は人間が自分一人ではないのは、


一人では生きていけないし、

一人ではさびしいし、



今日の話のように、

「相手を鏡にして見つめることができる」

ということがあるんだと思っています。



なんで、ここまでして

「自分を見つめる必要があるのか?」

と聞かれたら、こう答えるでしょう。



今、自由ですか?
 

 

 

自分を見つめることは、
 

簡単ではない。

 

 

こわさもあるし、
 

見たくないものも出てくる。

 

 

 

それでも、
 

誰かを鏡にしながら、
 

少しずつ自分を見つめていく。

 

 

そこから、
 

自由が始まるのかもしれません。

 

 

 

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では、また明日。

 

 

 

こんにちは。大場です。

ここに来てくれて、ありがとうございます。



 

 

 

今日も、ここから書きます。

 

 

話しているうちに、

 

「あれ? 本当に引っかかっていたのは、
 

 そこじゃなかったのかも」

 

 

そんな感覚になることがあります。

 

 

言葉にすることは、
 

増やすことではなく、

 

余分なものを削ぎ落としていくことなのかもしれません。

 



昨日に続きます。



人は話すことで、

自分から余分なものを引いていく。



残るものは、

自分にとって、大切なものであり、

必要なもの。



それが今の自分にとって、

ネガティブに感じるものであっても。



たとえ、

「こわさ」や「不安」、「かなしみ」

であっても。



そこから見えるものは


「自分を守っていた」ことと

「自分を止めている」ことの両面。



ネガティブなものが

残るということは、


そういう二面性がある。



自分にとって、

ネガティブな意味だけならば、

本当は残らない。



ポジティブな要素もあるからこそ、

あなたは残している。



そのどちらに、

今までのあなたが

目を向けて来たかということ。



そして、


これからのあなたが

どちらに目を向けたいかということ。



話すことの引き算は、

いつもそれを教えてくれている。
 

 

 

残るものには、


意味がある。

 

 

 

たとえそれが、
 

ネガティブに感じるものであっても。

 

 

 

そこには、
 

「自分を守っていたもの」
 


 

「自分を止めているもの」

 

その両方があるのかもしれません。

 

 

 

今、自由ですか?



では、また明日。