「方広寺鐘銘事件は、徳川の言いがかり」?昔はみんなそう信じていたね。豊臣の宣伝戦略のおかげで。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

一昨年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では、「方広寺鐘銘事件」は、豊臣方からの、いやラスボス淀殿からの「意図的な挑発」である!と明示されていました。

豊臣方は「被害者」の立場を取りに来ている、ということです。

この事件が「徳川方の一方的ないいがかり」だというのは、常識的にはありません。豊臣家側が意図的にやった挑発だ、と考えるのが妥当です。

「国家安康」「君臣豊楽」って、豊臣、家康、という文字が使われている時点で、偶然ってのは、有り得ないでしょう。

秀頼、淀殿はじめ、豊臣の偉い人たちは、まさか事前に見もしなかったんですかね。もし偶然こんな配列になったというなら、それはそれで出来すぎですけど、誰も「もしかして、マズくないか?」と言わなかったんでしょうかね?

だとしたら、豊臣家って、とんでもなくユルイ人たちだといわざるをえません。

つまり、秀頼・淀殿が指示してやらせたか、少なくとも「これ、大丈夫ですかね」といわれて「構わない、やっちゃえやっちゃえ」と言って通してしまったか、どちらかしかないでしょう、常識的にいって。

この銘文、秀頼や淀殿が自分で書いたわけではなく、「清韓」という偉い坊さんに頼んで書いてもらったものです。

もっと前の大河ドラマ「真田丸」には、この清韓が出て来ましたが(植本純米さんです)。

問い詰められた清韓が「無教養な武士どもは、こういう粋なアソビを理解できないのか」と逆ギレしてましたね。

要は悪気のないお遊びだった、と。ところがそれがオオゴトになってはじめて、豊臣側の皆さんは誰も事前に問題だと思わずスルーしてた、っていうことが判明した、ってわけですね。

それって、オトナの組織として、どうなんでしょう?

真田丸は「豊臣がホーム、徳川はアウエー」のドラマですから、豊臣に悪気はなかった、ということになっていましたけど。

それはそれで、なんか豊臣家って間抜けすぎじゃあないの、真田幸村も可哀想に、と言いたくなる話でした。

「どうする家康」は「徳川がホーム」のドラマなので、豊臣側に明確な「悪意」があった、とハッキリ描写されていました。

これこそ忖度なしの、スッキリした解釈だと思われます。

「家康」という諱を他人が呼ぶのは、とんでもないタブーです。呼んでいいのは「主君だけ」です。

つまり、豊臣家側の意識として、少なくとも「家康という諱に遠慮なんかする必要はない、だって、こっちがそもそも主君で、あいつは家来なんだから」とタカをくくっていた、としか思えません。

「君臣豊楽」、豊臣は君なんだから楽=自由なんだ、というわけです(楽はフリーって意味、楽市楽座っていうでしょ)。

家康を真っ二つにする、という呪詛の意図まであったとは言い切りませんが、明らかに幕府、徳川家をおちょくってやろう、という意図があります。文句を言ってきたら「偶然そうなっただけだ、何が悪いの?」といくらでも言い逃れが出来ると踏んでいたんでしょう。だって、こっちのほうがほんとうは偉いんだから。

つまり「豊臣は、幕府の権威なんて、なんとも思ってないよ」ということを言いたかった。あからさまに言えばケンカになって潰されるから、言い逃れできる(と思っていた)方法であてこすった、とすれば、子供の悪戯みたいなやりかたです。

幕府としては、これは重大な侮辱行為なのは明らかですが、あまりの子供っぽさに一瞬、呆然としたでしょう。咎めだてるのもばかばかしい、という意見もあったけど、「やはり堂々と銘文になってるものを、捨て置けぬ」という結論に至った、と。

不遜な態度を取り続ける豊臣家を討伐しなければ、幕府の権威もなにも、あったもんじゃありません。豊臣は「こっちが格上だ」とダダをこねているに過ぎません。

天下を取り返したいというなら、家康よりいい政治ができる、幕府よりいい国を作れるというビジョンの一つも示すべきでしょう。それもできずに、こんな児戯に等しいことばかりやっていれば、どうなるか分かりそうなものなのに。

おそらく豊臣家は、というか淀殿は、むしろ戦争したがってるんです。

関ヶ原でもう一歩だった(と思い込んでる)から、もう一回やれば今度こそ勝てる、と信じていたんじゃあないでしょうか。

そこで、満天下の同情を集めるため、家康に先に手を出させて、被害者のポジションを取ろうとしているんです。

「徳川は傲慢、徳川は横暴」というイメージを世間に流布させるために、徳川を怒らせ、先に手を出させて、「徳川の卑怯な言いがかり、豊臣は無垢の被害者」というポジションを取ろうとしているのは明らかです。

そして、この宣伝戦略は、後世に向けてならば、ある程度成功した、と言えます。通俗小説ではどこでもそのように描写され、現在に至るも「方広寺鐘銘事件って徳川の完全な言いがかりじゃないすか?」と思い込んでいる人が、跡を絶たないわけですから。

しかし、当時の諸大名にしてみれば、どうだったでしょう。

豊臣さん、いい加減にしてくださいよ、と思うのが正直なところでしょう。せっかく平和な世の中になってるのに。なんで大人しくしていてくれないんですか。

「豊臣を担いで、もういっぺん天下分け目の戦争をやって、徳川から天下を奪い取ろう」

なんて考えている大名なんて、もう一人もいないんです。

でもたぶん、秀頼や淀殿は、その現実が分かっていなかったんでしょう。

大坂からほとんど外に出たこともなく、まともな進言をする家臣を片端から追放し、周りをイエスマンだけで固めて、「豊臣と徳川が戦争になれば、全国の豊臣恩顧の大名が反徳川で立ち上がるに違いない」とでも思い込んでいた、てゆうか信じていたんでしょうか?

戦争したがってたのは、徳川ではなく、豊臣のほう、なんです。だって、戦乱の世に戻さなければ、天下を取り返せないから。

毎度言わせていただきますが。日本のトップに立ちたいと思うんだったら、日本をどうしたいのか、どうしたらいい国にできるか、ビジョンを示さなければダメだと思うんですよ。

天下ってのは、豊臣家の私有財産ではないんです。

あたりまえのこと言ってると思うんですけど。

関ヶ原で何故、家康が勝ったか。三成の示したビジョンより、家康の示したビジョンが支持を集めたからです。

豊臣と徳川がどっちが正統か、なんて、日本という国にとっては、どうでもいいことです。諸大名だって民衆だって、どっちが上手く国を治めてくれるか、てことだけが大切なんです。