大宰府は「一儲けできる美味しい赴任先」である。但し流罪先の場合は、別。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

今週、とりあえず、開始三分で分かったことは。 

「大宰府赴任は、儲かる!」

久し振りにやってきた親戚のドロッセルマイヤー叔父さんは、いろんな夢のあるお土産を持ってきてくれました。
お菓子、口紅、でも、女の子をいちばんワクワクさせたものは「海の向こうには、夢の国がある」というお話でした。
さて。 
どうやら大宰府に赴任するっていうのは、とっても旨味のあるお仕事だということが分かりました。 
ちなみに現在の地名としては「太宰府市」ですが、当時の役所の名前は「大宰府」が正しい。太平洋と大西洋みたいなもんで、以上は余談。 
国際貿易センターである伯方(はかた、船が泊まるトコロ)=博多の港を管轄する大宰府に数年勤めれば、一財産築ける、らしい。 
大河「平清盛」でも、松山ケンイチ清盛が大宰大弍として赴任し、海外貿易で国家を富ませるアイデアに目覚めてます。
菅原道真、源高明(明子女王の父)、そしてこのドラマでももうすぐやらかす藤原伊周、大宰府といえば「不祥事を起こした貴族の左遷先」として有名ですが。
実際のところ、この三人は左遷ではなく「流罪」です。大宰府での仕事は一切なく、軟禁されているだけです。 
菅原道真は衰弱して、病気になって現地で没してます。 
源高明も、娘の明子女王があんなに執念深く兼家を呪詛してたくらいだから、それこそ崇徳院のように流罪先で死んだのか、と思いきや。実はしばらくして京都に帰り、隠遁生活をしてたんですね。つまり殺されたわけじゃあない、それであんなに、自分の身体を犠牲にするほど呪詛するかなあ、とも思いましたが、まあそこは、ドラマの設定ですから。 
 伊周も、数年で京都に帰ってきて、内大臣には戻れぬものの「儀同三司」と名乗って、まあまあ元気に?暮らしてるわけです。 
また、伊周の弟の隆家(一緒に不祥事を起こして流罪)も、のちに志願して大宰権帥として赴任し、「刀伊の入寇」のときに活躍しています。 
古くは、奈良時代の藤原広嗣が、左遷先の大宰府で兵を集めて乱を起こしてます。 
つまり、「大宰府に左遷」と一言で言っても、その都度、扱いはその都度、全然違う、ってことですね。 
 「左遷」と「流罪」の間にはグラデーションがあるし、流罪といってもいろいろで。
「平清盛」の藤原成親(鹿ケ谷の陰謀)のように流罪先で監禁され餓死させられた者もいれば、
源頼朝のように、流罪先でわりと好き勝手に行動して、現地の豪族の娘とねんごろになり子供まで作ったりできる例もあります。