豊臣秀長は、買い被られキャラの典型。豊臣政権は延長しない | えいいちのはなしANNEX

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次の次の大河は「豊臣兄弟」かあ。

仲野太賀くんには悪いけど、豊臣秀長こそ、早死にしたお陰で評価が嵩上げされている典型的な人物でしょう。

実際のところは大和の統治で私腹を肥やして秀吉から叱責されている程度の人物で、秀吉との器量の差は、家康と秀忠の差どころのもんではありません。 
秀長さえ長生きしていれば、というのは、それこそ「死んだ子の歳を数える」ってやつで、豊臣贔屓の幻想に過ぎません。
堺屋太一先生あたりが秀長持ち上げ派ですけど、あのひと典型的な大阪人ですからね。 
ちなみに、秀忠ほど、出来た二代目はいません。江戸幕府が長続きしたのは秀忠の管理能力のお陰と言っても過言ではない。
みんな、秀忠嘗めすぎです。
江戸の街をつくったのも、幕府のシステムを作ったのも、アイデアは家康でも企画実行はぜんぶ秀忠の仕事です。

「豊臣秀長さえ早死にしなければ、家康の死後、秀忠など簡単に滅ぼされていたに違いない!」

あのねえ。

戦争なんてのは、得意なやつがやればいいんですよ、なにもいちいち社長が先頭に立つ必要はないの。

 豊臣政権の滅亡の原因は、完全なワントップ、秀吉というカリスマにしか操縦できない超高性能マシンみたいなものだったから。

秀吉がいなくなれば何ともならないようなシステムだった、秀吉が死んだらすぐに潰れた。これが、歴史的事実。

家康は、子孫が代々優秀なヤツが続くはずがない、って分かってた。だから将軍が凡庸でも病気でも子供でも、ちゃんと回ってく仕組みをきっちり作ってから死んだ。

秀忠は武将じゃなくて政治家だから。代わりに戦争の指揮を取る家来くらい、いくらでもいるんです、そこが、徳川政権が260年続いた秘訣。

秀吉に従っていた外様大名たちは、秀吉のカリスマ性にかなわないから、仕方なく家来をやってただけ。

上杉も毛利も島津も伊達も、みんなおんなじ、秀吉に負けて領地減らされて、それでも「秀吉だから」従ってるんで、豊臣への忠誠心なんざないんですよ、結局のとこ。 

そいつらに秀長あたりが「逆賊徳川を討て!」ったって、「は?わたしいつ、あんたの家来になりましたっけ? あんた秀吉さんの代わりができる気?」って言われるのがヲチですわ。

秀長が長生きしようがしまいが、徳川の天下は動かんでしょう。

そういうもんです、歴史って。