清少納言が女房に入った「中関白家」、道隆と中宮定子の家族は、宮廷で嫌われていた? | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「光る君へ」第十五回「おごれる者たち」の回の、ラストの予告編にこのシーンが来る、というのは、なんというか、皮肉ですね。

宮廷じゅうがこぞって「この親にして、この子あり」と囁いている様子が、ドラマで明示されました。
親というのは道隆と貴子、子というのは、伊周と定子。

つまり、この一家(のちに中関白家、と言われる)は、いま宮廷で、親子まるごと嫌われているんです。大きな声では言えませんが。


ききょうさんは、「漢詩の会」「和歌の会」で目立った活躍を見せ、高階貴子さまの目にとまり、中宮定子の御相手の女房に抜擢されました。
いわば、超一流企業「中関白家」の就職試験の最終面接で、まひろは落ちて、ききょうがキャリア採用された、わけです。
しかし、理想の就職先と見えた超一流企業が、その先もずっと安泰で栄えているとは限りません。
清少納言(せい、しょうなごん)という女房名を貰い、定子の美しさにボーッとして、我が世の春です。
しかし、春はいつまでも続かない、ということに、ききようさんは、まだ気が付いていません。

この御簾を掲げた瞬間が「中関白家」の絶頂で、あとは落ちていくだけ、という未来を、このときの清少納言は知らないんです。

「皇后、中宮、並び立つ!」というフレーズが、なんか妙に、記憶の底に残ってるんですよね。そういうのってありません?
 高校の授業、日本史の先生だったか、古文の先生だったかが、いかにも大事件が起こったみたいに「皇后、中宮、並び立つ!」と教壇で叫んでいたので、妙に印象に残っているんです。

 皇后と中宮が「並び立つ」と、何だというのか。「異常事態だ」ということです。だって、皇后と中宮は同じ意味ですから。皇太子と東宮が同じなのと一緒です。
 皇后の住処が「中宮」、皇太子の住処を「東宮」です。
エライ人を呼ぶときは、肩書きをズバリ呼ばずに、住んでいる建物の名前で呼んだりするのが「日本式おくゆかしさ」です。

ところが、にわか独裁者道隆は、「皇后」と「中宮」が別な女性でもいいじゃあないか、という横車を押したわけです。
関白道隆は、一条天皇に嫁がせた娘の定子を「立后」しようとした。つまり正夫人として公認させようとしました。生んだ子供が確実に次期天皇になれるように、です。

ところが、ここに面倒な障害があった。
ドラマを良く見ていれば分かる話ですので、長い蛇足と言われそうですが、今更のように復習させていただきますと。
 天皇の第一夫人を「皇后」、退位した前の天皇の第一夫人(つまり前の皇后)を「皇太后」、そのまた前の皇后を「太皇太后」、これを「三后」と呼びます。それぞれお世話する役所があります。
だから、それぞれ一人と決まっています。
ところがこのとき、まだ「三后」がみな健在で、称号にアキがなかった。前の前の円融天皇の后がまだ「皇后」のまま残っていたのです。
えつ、なんで? 天皇が退位して上皇になったら、自動的に皇后も退位して皇太后になるのではないの?
そうはいかないんですね。
この「光る君へ」で見てきたとおり、この時代は、藤原氏が自分たちの都合で、若い天皇を即位させては短期間で退位させてまた別の・・・ということをやっていました。
たがら、皇后から皇太后になりたくても、上がつかえている、てことが起きるわけですね。

このときの「大皇太后」は、冷泉天皇の皇后だった「昌子内親王」。このドラマには登場していません。
「皇太后」は円融天皇の女御で、現・一条天皇の祖母、おなじみの吉田洋さん演じる「藤原詮子」。このひとは円融天皇とは(父兼家のせいで)折り合いが悪く、皇后にはなれかった。しかし息子が天皇になったことで「国母」となり、皇太后の称号を贈られています。もちろん、権力者・兼家の娘であった、という御威光もあります。
円融天皇は、右大臣(当時)兼家や、娘の詮子への当てつけのように、ライバル関白頼忠の娘「藤原遵子」を皇后に立てました(ドラマでやってました)。この人は、夫円融帝の退位後も皇太后になれず、いまだ皇后のままなんですね。
ちなみに、余計な話ですが、中村静香さんが演じる遵子さまは、ワンシーン、円融と見つめあっていただけで、台詞は一つもありませんでした。もうドラマには出てこないでしょうが、まだ元気に生きているんです。さらについでに言うと円融上皇も、実はまだ生きてます(史実では、事あるごとにあれこれ文句をつけてきて、兼家や道隆にうっとおしがられていたらしいですが、ドラマにはその話はやらないようです)。

と、いうことで。
現に太皇太后や皇太后である女性たちに「やめてもらう」ことはできません。そうなると、前の皇后「藤原遵子」さまも、皇后から繰り上がれません。
そこで苦肉の策として道隆は、「皇后」はそのままに、自分の娘を「中宮」と呼ぶことにして、強引に「立后」したのです。
これは道隆、あきらかに反則技です。
高校生のときは、そんなんべつに、呼び方の問題だけだろう、そんなに目くじら立てる話なのかなあ、と思って聞いてたんですが。
今回の「光る君へ」を見て、なるほど、そういうことかと分かりました。中宮を一人増やすってことは、国の予算をとんでもなく食うことになるんですね。役所を一つ新設せにゃならんし。
でも、関白の威光で、誰にも文句は言わせず、これを強行した。

朝廷というのは「前例」でできていて、前から決まっていたものを変更するのは、ものすごい反発を買います。
「先例がないなら、今から新しい例を作ればいい」なんてのは、平清盛か織田信長か、くらいの怪物になって、はじめて言っていい台詞でしょう(しかも、この二人がどういう最期だったかも、皆様御存知のとおり)。
こういうことをやっていいのは、「大河ドラマの主役が張れる」くらいの大物だけです。そして、大河ドラマの主役は「新しい日本のシクミ」を創造できる人間でなければいけません。
果たして、道隆はそんだけの大物なのか? それとも単に「おごれる者」なのか?
言えばそもそも、道隆の摂政関白就任じたいが、ゴリ押しなんです。
大臣も摂政関白も公職ですから、一族の長老が持ち回りするのが普通であって。親から息子にダイレクトに世襲するのがおかしい。
パパ兼家は、強権でそれをやった、だから道隆の中関白家は、発足当初から「ゴリ押し一家」として反感を買っていたんです。
定子さまには「ゴリ押し中宮」のレッテルが、生涯つきまとうことになります。いい時は嫉まれ、家が落ち目になると…いや、これは先の話。
妻の高階貴子さんも、長男の伊周さんも、ついでに次男の隆家さんも、それぞれ「夫(親)の威光をカサに着て、勝手な振る舞いが多すぎる」とけっこうな不人気だった、らしい。

このへんは、ドラマで着々と描かれていますし、これからますます、描かれていくでしょう。
そうそう、騙されて退位させられた「花山院」も、まだ元気にいきています、あの性格のまんまで?
彼はきっと、また、このドラマに戻って来ます、兼家一族への恨みを胸に?
満月のように見える関白道隆も、足元はじわじわと崩れているんです。
清少納言は、それと知らずに、その中に足を踏み入れた、と言えます。
ちなみに歴史では、この皇后・中宮分離という「前例」に目をつけたのが・・・おっと、それはまた、のちの話(これは、日本人はみんな学校で習ってるはずの話ですから、ネタバレとは言わないと思いますが・・・どうですか?)。
一つ言えるのは、このドラマでは、道長は「主人公の器」として描かれている、ってことです。
「光る君へ」は、まひろと道長、ふたり主人公のドラマです。