大坂が大阪になったのは何故か? 縁起がいいから、ですが。 | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

大坂は、いつから大阪になったのか? という話題ですが。

大久保利通あたりが「士族が反乱する、ってのは怪しからん」っていうんで改名した、っていう話は、都市伝説みたいなもので。

よく出来た話ほど、眉に唾をつけて聞いたほうがいいです。 

阪は坂の古い異字体で、意味はほぼ同じですが、阪の左側(こざとへん)は「小高い丘」を意味します。 
日本語では、地名と苗字は「読みが同じなら、縁起のいい字に勝手に変えてもいい」ということになっています。

窪さんが久保さんになり、小久保さんが国母さんになり、橋下さんが橋本さんや橋元さんになり、鴨下さんが鴨志田さんになり、浮田さんが宇喜多さんになり、森さんが毛利さんになるようなもんです。

江戸時代の中期ごろに、「大坂って、土に反るでっしゃろ、なんや字面が縁起悪いさかい、阪って書いたほうが、シャレてて、ええんとちゃいまっか」といって、大阪と書きだした文化人がいて、それが少しづつ広まった、というのが、どうも妥当なところのようです。 

庶民が地名に勝手に縁起のいい字を使っても、別に誰にも叱られません。

江戸時代にはあくまで正式には大坂ですが、大阪と書かれたものは江戸時代から存在します。 

明治になってはじめて、「大阪」が正式になります。これを決めたとき、大久保が「士が反るはダメだ」と言って大阪のほうを推した、というのは、まあ、あるかも知れません。