大坂は、いつから大阪になったのか? という話題ですが。
大久保利通あたりが「士族が反乱する、ってのは怪しからん」っていうんで改名した、っていう話は、都市伝説みたいなもので。
よく出来た話ほど、眉に唾をつけて聞いたほうがいいです。
阪は坂の古い異字体で、意味はほぼ同じですが、阪の左側(こざとへん)は「小高い丘」を意味します。
日本語では、地名と苗字は「読みが同じなら、縁起のいい字に勝手に変えてもいい」ということになっています。
窪さんが久保さんになり、小久保さんが国母さんになり、橋下さんが橋本さんや橋元さんになり、鴨下さんが鴨志田さんになり、浮田さんが宇喜多さんになり、森さんが毛利さんになるようなもんです。
江戸時代の中期ごろに、「大坂って、土に反るでっしゃろ、なんや字面が縁起悪いさかい、阪って書いたほうが、シャレてて、ええんとちゃいまっか」といって、大阪と書きだした文化人がいて、それが少しづつ広まった、というのが、どうも妥当なところのようです。
庶民が地名に勝手に縁起のいい字を使っても、別に誰にも叱られません。
江戸時代にはあくまで正式には大坂ですが、大阪と書かれたものは江戸時代から存在します。
明治になってはじめて、「大阪」が正式になります。これを決めたとき、大久保が「士が反るはダメだ」と言って大阪のほうを推した、というのは、まあ、あるかも知れません。