「落下の解剖学」の感想を改めて書きます。母親は本当に無実なのか? 男の子の証言は本当なのか? | えいいちのはなしANNEX

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「落下の解剖学」 の感想を、改めて書きます。
ミステリー映画の感想を書くってことは、すなわちネタバレを書くってことになります。
映画を見た方のみ、お読みください。


雪の山荘の場面と、裁判所の場面、ほとんどそれしか絵変わりがないのに、小さなドン殿返しの連続で、相当に思い路五脚本でした。「賛」です。
事前の予備知識では、「女性で外国人で著名人、という、社会の件兼に晒されがちな条件の空った女性が、無実の罪を着せられそうになり、追い詰められていく」という、一緒の社会的ホラーだと思ったし、映画もそのつもりで見ていました。
あの検事の、偏見に満ちたねちっこい物言い、世論の代表である陪臣員の「劣情に阿るような」論理展開には、嫌悪感しかなく、裁判長までが検察官の味方ぎみ、という四面楚歌、完全アウエーな法廷が、恐ろしいなあ、と思いながら見ていました。
しかし。
中盤に被告の彼女に関する「新情報」が暴露されていくにつれて、「そんなことまで引っ張り出すか!」という義憤の一方、「あれっ、なんか話が違ってきたぞ?」という間良いが同時にやってきて、カオスな気持ちになってきて。
なんだか、本当に彼女が付き落としたのではないか? という気もしてきて、ああ、うまいことこの映画の罠にはまったな、と逆になんか楽しくなりました。
愛書に与えられなかった情報、書けばネタバレになることが、次々に出てきます。
彼女がバイセクシャルであること、息子が視覚障害になった責任を夫婦が押し付け合っていたこと、妻が夫のアイデアを盗用(と言っていいのかわからない曖昧なころがまたミソ)してベストセラー作家になったこと、など。
自分が裁判官なら、これはかなり悩みますよね。心証は真っ黒、ではないけど、かなりグレーです。
その状況をひっくり返したのは、結局、「目の不自由な息子」の証言である、わけですが。この男の子の証言が、いちばん信用できない。
なぜなら我々観客だけが、母親が息子に寝毒で「お母さんは、やっていないのよ、信じてね」と吹き込んでいるのを見ているから、です。

 

 

これは「裁判に影響すうような会話を息子にしない」という保釈条件に、明らかに違反しています。これを裁判官が見ていたら。無罪は出なかった、ように思います。
母親の懇願は、息子に対しては「呪い」の言葉です。
息子が「死んでる父余暇より、生きてる母親を守らなければ」と思うのは当然で。証言台で、正直者のフリをして母親を庇う証言をする男の子の姿に、私は涙を禁じ得ませんでした。
この男の子が、どっかで「嘘をついた」ことは確かでしょう。母親の最後の台詞も、それを認めたものです。ニュアンス的には「嘘をついてくれてありがとう」って言ったようなもんだ、と感じました、私は。

 

 

決定的な証言者が「盲目だ」と言っていながら、実は結構五感が効き、事件の真相を知っている、という点では「梟(ふくろう)」とすごく似ている映画です。「梟」の主人公が悩みに悩んだのと同様に、いやその何十倍も、この男の子は「嘘をついた」という傷を抱えて、これからの人生を過ごすのでしょう。
裁判は、真実を明らかにはしない。
「ああ面白かった」と無邪気には言えない、絶対言えない映画です。
でも、観て良かった、てのも確かなところで。