城というのは、普通は複雑な経路をくねくね曲がりながら登っていくように設計されています。もちろん、防御の観点からです。
ところが、安土城は大手門から天主まで、真っ直ぐに大階段が作られていました。これはつまり、信長はこの城を防御するつもりはまるでなかった、ってことです。
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天主(と安土城では書きます)というのを初めて造ったのも信長ですが、あれは「見せつけるためのもの」であって、軍事的意味は全くありません。
つまり安土城は、要塞ではなく、宮殿なんです。
戦国時代はもう終わる、この城が攻められたりすることは絶対にない、どうだ!っていう信長の自信満々な作品が、安土城なんです。
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こないだ安土城に登ったけど、石段の高さがバラバラで、歩きずらくて仕方がなかった、という人がいました。
あれは、攻めにくいように、わざと歩きにくくしてるんだよ、と訳知り顔で言いたいところですが、その説明は、たぶん当たっていないでしょう。
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私、思うに、登りにくいと文句を言うのは、あなたが現代人だからです。
当時の人たちにとっては、坂道ではなく階段だ、ってだけで、感動的だったんじゃあないでしょうか?
それもこんなに幅広くてバカ長い。こんな石段見たことない、信長さま凄い、神だ、となるんではないかな、と思います。
嘘だと思ったら、向かいにある観音寺城でも登ってみてください。戦国の城ってこんなもんか!と思うはずです。
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江戸時代が終わるまで現役だった彦根城や姫路城と比べたら酷ってもんです。
いまの安土城は「城址」つまり「城あと」です。長い間、土の下に埋まっていたのを最近ようやく発掘したものです。
こんなデカイ石段が、あの時代にあったなんて、スゲエな、と思って登るのが宜しいのではないでしょうか。