道長に「源氏の姫君」を。ところで天皇家の氏神、石清水八幡宮とは? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

三男の道長に左大臣の姫の倫子を、というのを、父の兼家がノリノリで主導しようとしています。
兼家にとっては「ちょうど三男坊の結婚相手が空いている」ってだけ、かもしれませんが。
宇多源氏と縁を結んだ、というのが、この先、道長にとって兄たちに対するアドバンテージになりそうです、「兄弟はいつも、最初にして最大のライバル」ですから。
倫子さま、かなり大物、に思えます(まひろには気の毒ですが)。
左大臣源雅信は、宇多天皇の孫で「準皇族」です。「源氏物語」の主人公(序列が低い王子様)にイメージが近いのは、源頼朝や源義経といった「武士の源氏」より、こちらの倫子さまの実家のほうでしょう。
いまTBSラジオの「水音スケッチ」(堀井美香アナウンサーの5分間地理歴史豆知識番組?)で、「比叡山は平安京の表鬼門、石清水八幡宮は裏鬼門」という話をして、八幡宮について軽く解説していました。あー光る君にに寄せせてきてるな、と思いましたが。
王朝時代を描く以上、石清水八幡宮は、この先どっかに出てくるんじゃないかと思うんです。
世間では「八幡神は源氏の神様」だと思ってる人が多いと思いますが。もとは「天皇家の神様」であって。
天皇の子や孫が「源」の姓を賜るのも、たぶん「岩清水」から来ているのでしょう。
八幡は「やはた」つまり八本の旗です。戦の神様は、東西南北のそれぞれ陰陽、合計八つの直属部隊を率いています。だから八幡神は「最強の武神」です。
これに倣い、中国の歴代王朝の皇帝は、必ず八つの軍、八つの旗の中心にいて、四方八方つまり全世界を支配しました。
日本では、八幡神は応神天皇となってこの世に現れた、とされます(神功皇后が三韓征伐で連戦連勝してる間、一年以上ずっとお腹の中にいた、と言われているのが、この人、特別な産まれかたをした人物はそれだけ神に近い特別な存在です)。
日本の天皇家は応神天皇の子孫ですから。八幡神は天皇家の祖先神であり、天皇家の分家である源氏や平氏にとっても守護神で、だから源頼朝が政権を開いた鎌倉の街のど真ん中に鶴岡八幡宮がどーんとあるわけで。