「ミツバチと私」の話を、改めて書きます。
公開初日舞台挨拶で、村山輝星(きらり)さんが来るというので、新宿武蔵野館に観に行きました(auのCMの桃姫だ)。
13歳の、舞台挨拶初経験にしては。ものすごく立派で、「性別だけでなく、宗教や家族でも、自分の意志で選び取っていく主人公が、とても偉い」というようなことを語ってくれました。
「トランスジェンダーの子供のお話」というような先入観だけだと、ありがちかな、と思えて、ちょっと見る意欲が削がれる気がする。
この主人公の抱えるテーマは「男の子か、女の子か」だけじゃなく、宗教や生活文化の問題、なにより、家族なかの誰をメンターにするか、いろんな問題を抱えていて、それが混然一体となって9歳の主人公の中に渦巻いているんだ、そういう映画なんだ、という、ああ、映画みる前にきららちゃんの話を聞いておいて、よかったな。
「映画や舞台では男の子の役も、女の子の役も、そっちでもない役もやります、どれも楽しいです、このあいだはパックという妖精の役でした」
ああ「夏の夜の夢」でこの子がパックやったら最強だなあ。
そういえば、シェイクスピア劇は女優がいないので、女性の役をみんな少年俳優がやるんだけど、それを逆手に取って、「少年が演じる少女が、男装して男を演じる」というトリッキーな設定が結構あって、そこが面白いんだけど。
この映画は、まさに「その面白さ」がある。
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いや、こういうテーマの映画は真面目に見なきゃいけない、仕掛を面白がってはいけない、みたいに言うのは、かえってこの映画のために迷惑だろうと思ってんですよ。
べつにLGBTへの理解を訴える映画だと構える必要はない、「男の子だか女の子だか、わかんなくなるよー」というエンタメとして楽しんでも、いいはずだ、と思うんですよね。
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主演のソフィア・オテロという9歳の「女優」が、「女の子の心を持った男の子」の役を演じている、ここに制作者の仕掛けたヒネリがある。だから観客は「今見ているのが、9歳の女の子の素の演技なのか、それとも女の心を持った男の子を意識して演じている天才子役なのか、どっちだろう」と常に振り回されることになる。
これは、立派にエンタメとして面白い、と思う。
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主人公の姿は、見るからに女の子のようにも見えるし、ちょっと可愛くてカッコいい男の子にも見える。
「男の子が、女みたいな恰好しているのは怪しからん」と言われるか言われないか、ギリギリの線をついてるのがいい。
この主人公には、自分が「LGBT」だという知識はまだない、ましてや、この映画の社会にすら、まだそういう認識がない。だから、この主人公は、何かと戦っているという意識は、ない。ただ、自分の意に沿わないことが起こるたびに、怒ったり、癇癪を起したり、傷ついたりする。
主人公は、戸籍名の男名前「アイトール」と呼ばれることを嫌い、自分で「ココ」と名乗っている、絶妙に「男の子の愛称にも、女の子の愛称にも聞こえる」ネーミングが上手い。
芸術家である母親は、そんな主人公を「理解している」つもりでいる。しかしそれは実は「女の子っぽいものが好きな男の子がいてもいいじゃない、それが個性だわ」という程度の、浅い理解に過ぎない。
だから、主人公が本当に心から女の子を望んでいるのだ、ということを知ると、ものすごい衝撃を受ける。
この時、主人公は「信じていた母に、裏切られた」という絶望感を味わう。
こういうことって、トランスジェンダー云々を抜きにしても、「誰にでもあったかも知れない(あったに違いない)幼児体験なんではないかな、と思うんですよね。
観客は誰でも、かつて、ああ親は自分を理解してくれない、という絶望感を突き付けられた経験があるはずだ、あるでしょみんな?
そんな、「親に裏切られた瞬間」を記憶の底から呼び起こし、悶絶することになる。これが、この映画のキモなんでは、ないでしょうか。
ミツバチを飼っている叔母さんは、最初からそういう拘りはない。だから主人公が男の子でも女の子でも変わらず接してくれる、主人公はこの叔母に救われる、わけだ。
ラスト、ある事件で、主人公が森の中に失踪する。大人たちは必至に探し、「アイトール、アイトール!」と名前を呼び続ける。
ああ、これじゃあ出てこないな、だってアイトールってのは「デッドネーム」なんだから(サク・ヤナガワさんが先週水曜日のラジオ「アトロク2」で教えてくれました)。
ここで母親が「ルチア!」と叫ぶ。この瞬間に、ひとつ世界が修復された、そういう感動がどっときた。
そうだよ、ルチアだよ、主人公が選んだルチアって名前を、みんなが呼んであげようよ。
いやあ泣いたな。
全体、ものすごく、よく構成された映画だったなあ、と思う。エンタメ映画として良くできていた、と思います。
なんか「思想っぽい」映画だと思って敬遠するのはもったいない、と切に思いました。