「魔王」というのは「悪魔の親玉」という意味ですが、「悪魔」というのは釈迦の修行を邪魔するために表れて欲望を起こさせようとした者です。つまり日本語 の「魔王」というのは「仏教の敵」という意味で、仏教勢力が旧秩序の中心と目されていたこの時代においては「仏教の破壊者=旧秩序を破壊し、新秩序の創造 する者=世界を改革する人間」という意味になるのです。信長はこうした意味で、「第六天魔王」と自らの乗っていたのです。
これ、自分が天台座主だって言ってるならとんでもない僭称だし、嘘に決まってると今まで思ってましたが、勘違いですね。「天台座主沙門」というのは、オレ信玄は天台座主さまの直弟子だぞ、って意味なんでしょう。
つまり、信玄が「オレは仏教の保護者だぞ」と言ったのに対して、「しゃらくさい、ならばオレは仏教の破壊者だ」と返した、という話になりますね。伝統的価値観を「絶対」と考えている信玄に対して「オマエ、頭古いよ」とあざ笑ってみせた、ということですね。
「魔王、上等!」とワルぶってみせるというのはいかにも信長らしいので、この話、あながちウソでもないようにも思います。
先に書いたように、仏教で「魔」あるいは「悪魔」というのは、釈迦の悟りを邪魔するために「人間の欲望」をチラつかせて誘惑して存在、つまり「人間の欲望を解放する者」であり、魔王はその親玉です。
人間の欲望の世界にはレベル1から6まであって、6が最高、みたいなことと思えばいいと思います。
当時は「第六天信仰」というのが流行していたそうです。要するに「伝統仏教に抑圧されるのはまっぴら、人間らしく 欲望に正直に生きたっていいじゃない」みたいなムーブメントらしいです。社会がギスギスするとこういうガス抜き思想がはやるのは、いつの時代 にもあることです。
「信玄くん、キミ天台マスターになったって自慢してるけど、都では今ソレ、流行ってないよwww」
旧体制側にしてみれば最大の悪罵である「第六天魔王」という呼び名も、旧体制を打破しようとする者にとっては、むしろ「カッコイイ」というイメージだったのです。信長が「気に入って自称していた」理由というのは、そんなとこだと思われます。